Art & Life in Toronto

カナダ・トロントに住んで出会ったアートを紹介します

MET日本ギャラリー

2015年08月10日 13時34分45秒 | アメリカの美術館
メトロポリタン美術館の東アジア部門は今年で100周年とのことで、日本ギャラリーでも「Discovering Japanese Art: American Collectors and the Met」と題して、METの日本美術コレクションの成立を振り返りつつ、名品を展覧している。前期には尾形光琳「八橋図屏風」をはじめとする琳派の名品を展示していたようだが、後期の展示も充実している。

まず楽しみにしていたのは狩野山雪の「老梅図襖」。この襖絵は、妙心寺の塔頭・天祥院にあったもので、4枚の襖に、総金地を背景に、上へ下へまた上へと幹をくねらせる梅の古木を描く。幹の洞や、細い枝先にしかついていない花が、木の古さを表わしている。威厳と存在感がすごい。梅の花の甘酸っぱい香りが漂ってくるようだ。日本ギャラリーには10畳の和室があり、この襖絵はその一番奥に設置されているので、和室に座って、座った目の高さで目の当たりにしたい衝動に駆られる。入れないのがもどかしい。

次にチェックしていたのは狩野派による「列子図襖」。これは、龍安寺方丈の中央の部屋の西壁を飾っていたもので、風を操ることができたという列子という仙人を描いたもの。向かって右から2枚目の襖に、飛んでいる「小さいおじさん」がいるのが、ふざけた絵ではないけれどなんだか面白い。これも総金地で、全てのモチーフがとてもしっかり描かれている。それぞれの襖はほぼ正方形の立派なものだが、展示スペースの幅が足りなくて、一番右の襖の左端と一番左の襖の右端が、だいぶ隠れてしまっているのがちょっと残念。

ノーマーク(?)であって、嬉しい驚きだったのは「保元平治合戦図屏風」。江戸初期の六曲一双の屏風で、一瞬何が描かれているのかわからなかったくらい、夥しい数の人間が描かれている。今回は単眼鏡を忘れなかったのが正解だったが、単眼鏡を使ってさえも、展示ケースが暗いこともあり、とても全てを見ることはできない。「遮那王」や「後白河院」などの人物名や、「鞍馬」や「六波羅」などの場所名が文字で書き込まれており、また、白河殿夜討や六波羅合戦などの保元・平治の乱の合戦の場面が連続的に描かれている。人の多さと、活き活きとした人物表現、そして時に残忍な場面も含まれるという特徴を考えると、岩佐又兵衛系統の絵師によるものか、と思ったりする。舟木本・洛中洛外図屏風に描かれた人数が2500人ということを考えると、この屏風にもその規模の数の人が描かれていそうだ。状態がよく、色も線もきれいに残っているので、もう少し明るいところで時間をかけてよくよく観察することができたら、かなり面白いだろうと思う。この屏風について、どのくらい研究が進んでいるのか、興味が湧いた。

その他、「北野天神縁起絵巻」は清涼殿に雷神が落ちてきた場面を展示。英一蝶の「唐獅子図屏風」は、ころころした獅子がかわいらしく、リズムがある。土佐光吉の「源氏物語図屏風(「御幸」・「浮船」・「関谷」)」もきれい。「蔵王権現立像」は、スタイルとバランスがよく、控えめな装飾は細かく端正で、とても美しい。蒔絵や色鍋島も充実している。浮世絵では、北斎の「神奈川沖浪裏」はボストン美術館のものより色がよく残っている。そして、ここで窪俊満に出会えるとは思っていなかった。紅嫌いを得意とした窪だが、「三ひらの内」はこってりした鳥たち(孔雀)である。

日本にあったなら、とは言うまい。たまには「里帰り」展示もされているようだし、私はこの機会に、在外日本美術品もできるだけ勉強できればと思う。

Discovering Japanese Art: American Collectors and the Met
(8/1/2015, The Metropolitan Museum of Art


メトロポリタン美術館へ

2015年08月09日 14時22分47秒 | アメリカの美術館
土曜日の夜間開館を利用して、夕方、メトロポリタン美術館に入った。METに来るのは今回で2度目。網羅的に見られるはずもないので、予め決めてあったお目当ての展示室に直行した。

ソル・ルウィットはコンセプチュアル・アートの代表的作家として知られる米国の作家。私がルウィットを意識するようになったのはトロントに来てからだ。現在、1982年の作品<Wall Drawing #370>を展示中。タイトルのとおり実は壁画作品で、METでは昨年制作され、来年1月には塗り潰されるのだそう。白と黒の縦横のラインだけで作られた幾何学的な「模様」の連なりが、じっと見ていると美しく思えてくる。また、この壁画の制作風景の記録映像がMETのウェブサイトで公開されていて、マスキングテープを使い、鮮やかに模様が生み出されていく様子が面白い。作家不在で制作され(ルウィットは2007年死去)、壁画でありながら限られた期間のみ展示されるということでコンセプチュアルではあるのだろうが、4週間にわたる手作業の成果は、コンセプチュアル・アートの一側面である「非物質化」というより、むしろモノとしての存在感を十分に感じさせる。



続いて、たまたま通りかかった展示室でフランスの作家、ピエール・ユイグの新作映像<Untitled(Human Mask)>を上映していた。舞台は福島、原発事故の影響で打ち捨てられた無人の町。居酒屋と思われる家屋の中に、動き回る女の子がいる。と思ったら、どこか動きがおかしい。よく見ると、服から出ているのは獣の腕。なんと猿が人のマスクをかぶり、長い黒髪のカツラを被り、服を着ているのだった。「彼女」の他には猫が1匹。明らかに長期間放置された無人の店内を行ったり来たりし、時に冷蔵庫から何かを取り出したりもする。マスクがよくできていて、憂いを含んだ表情で、見る者を不思議な気持ちにさせる。じわじわと衝撃的な作品だ。後で読んだ解説によると、この猿は、実際に宇都宮の居酒屋でウエイトレス(!)として働いている、知る人ぞ知る猿だそうだ。

広大な館内をだいぶ迷ってようやくたどり着いたのは、ウォルフガング・ティルマンスの<Book for Architects>。2014年のヴェニス・ビエンナーレ建築展で発表されたこの作品は、約40分間の2画面映像インスタレーション。35以上の国で撮影された450以上の建築写真のスライドショーで、恐らく全く異なる場所の建築物でありながら、似ている形やデザインを含むものが複数並んで映写される。2つのスクリーンは展示室の角に、つまり直角に立てられており、その直角に向き合うように階段状の鑑賞席が設けられている。これらも作家によるデザインとのことで、映像に没入させる仕掛けだろう。そこで大量の建築画像に身を委ねると、世界は広いということと、反対に、全て身近な場所だということを、同時に感じるような気持ちになる。
私がティルマンスに興味を持ったのは、2004年の東京オペラシティ・アートギャラリーでの個展による。そのときに見た身近な生活の光景と比べて、世界の建築写真なんて個性が生じないもののように想像していたが、やはりティルマンスの写真なのだった。巧みな人だと思う。国立国際での個展が見たい(さすがに無理)。

迷い込んだ展示室でキーファーに遭遇。美術館内なら迷子も悪くない。



Sol LeWitt: Wall Drawing #370
Pierre Huyghe: Untitled(Human Mask)
Wolfgang Tillmans: Book for Architects
(8/1/2015, The Metropolitan Museum of Art

2015年夏、ニューヨーク(MOMA:Shunk-Kender)

2015年08月09日 07時33分52秒 | アメリカの美術館
6階の特別展会場を後にして、3階の「Art on Camera: Photographs by Shunk-Kender, 1960-1971」展へ向かう。シャンク-ケンダーは、ドイツ人のハリー・シャンクとハンガリー人のヤノーシュ・ケンダーの2人組の写真家で、1950年代から70年代にかけて、パリとニューヨークで活動した。彼らの被写体は美術作品、特に、美術家との協働でハプニングやパフォーマンスを撮影した。日本で言えば安斎重男さんというところか。

この、所蔵品による小企画展には、大きく分けて3種類の作品が展示されている。ひとつめはイヴ・クラインの「空虚への跳躍」(1960年)。クライン自身が塀の上からジャンプした瞬間をとらえたこの有名な写真の撮影者が、シャンク-ケンダーという写真家だったとは知らなかった。腕を両側に張り、頭を上げ、そして身体を反らして、何のためらいもなく塀から離れた瞬間の姿は、本当にそのまま地面につっこんでいったのではないかと思わせる勢いがあるが、当然ながらそんなわけはなく、タネ明かしは興ざめではあるが、友人らがマットで受け止めた合成写真であった。そう思って見てもよくできた、いい写真、あるいは、いいパフォーマンス、だと思う。



2つめは「第18埠頭(Pier 18)」(1971年)。ハドソン川の埠頭で、27組の美術家が行ったアート・プロジェクトの写真である。例えば、脱出王として知られた奇術師ハリー・フーディーニの自宅のレンガを入れて鎖で縛ったスーツケースをハドソン川に投げ入れる、埠頭の岸でボーリングをする、写真家に撮影されないように逃げる、いわば「鬼ごっこ」をする、といったもの。プロジェクトの現場に観客はおらず、もとよりシャンク-ケンダーの7×10の写真が作品として見られ普及されることが意図されていた。よって写真は単なるパフォーマンスの「記録」ではなく、作品そのものであり、内容的にも美術家とシャンク-ケンダーが協働している。しかも、美術館やギャラリーでの展示ではない普及方法を考えていたということなので、従来の美術の枠組みを越えようとする、野心的なプロジェクトではあったのだろう。参加作家には、Richard Serra、Dan Graham、Vito Acconci、Mario Merz、そしてMichael Snowの名前も見える。

3つめは、草間彌生がニューヨークで1968年に行った鏡の間でのハプニングと、ニューヨーク証券取引所の前で行ったハプニング<人体炸裂(The Anatomic Explosion)>の写真。いずれも水玉模様のボディペインティングをされた裸の男女によるハプニングである。この時期、草間が行ったハプニングについては自伝『無限の網』第3部に詳しく、それを思い起こしつつ写真を通して想像をふくらませる。草間自身の姿が映り込んでいる写真もいくつかあるが、いずれも表情は硬く、何を考えているのか伺い知れない魔女的なたたずまいが印象に残る。

シャンク-ケンダーが活動した1950年代~70年代は、ハプニング、イベント、パフォーマンスという美術形態が盛んに行われた時期だ。シャンク-ケンダーのような写真家がいたことと、ハプニングなどが盛んになったこととは、表裏一体の関係だったということだろう。

Art on Camera: Photographs by Shunk-Kender, 1960–1971
(8/1/2015, Museum of Modern Art

2015年夏、ニューヨーク(MOMA:オノ・ヨーコ展)

2015年08月08日 13時02分07秒 | アメリカの美術館
今年2度目のニューヨーク。真夏にニューヨークを訪れるのは、考えてみたら初めてのことだ。トロントよりも蒸し暑く、街も、美術館も、他の時期より人が多い。

1泊2日の最初に訪れたのは、時間の都合でMOMA。今は、オノ・ヨーコ(小野洋子)の個展「Yoko Ono: One Woman Show, 1960-1971」が開催されている。オノ・ヨーコについては、かつて都現美での個展横浜トリエンナーレ2001への出品作品を見て、正直なところ良い印象は持っていなかった。今回は、天下の(?)MOMAでの日本人作家の個展だからと思って足を運んだが、結局印象が変わることはなかった。



この展覧会では、次のようなセクション分けで、主に1960年代の作品と、本展のための新作インスタレーションが展示されている。

Chambers Street Loft Series (December 1960-June 1961)
AG Gallery, New York (July 1961)
Sogestu Art Center, Tokyo (May 1962)
Tokyo/New York (1963-1966)
Bag Piece (1964)
"Plastic Ono Band" (est. c. 1968-1969)
London (1966-1969)
To See the Sky (2015)

この中では「Chambers Street Loft Series」が最も興味深かった。これは、1960年12月にオノ自身がニューヨークのダウンタウンに借りたロフトで約半年にわたって開催したイベントシリーズで、音楽、美術、パフォーマンスを融合したさまざまなイベントが開催された。毎回、ジョン・ケージ、マルセル・デュシャン、ペギー・グッゲンハイム、イサム・ノグチ、ジョージ・マチューナス、ジャスパー・ジョーンズ、ロバート・ラウシェンバーグといった芸術家を含む、200人もの観客が集まったという。このセクションの主な展示物は各イベントのプログラム。実際のイベントの内容を鮮やかに思い描くことまでは私にはできないが、当時においてかなり尖がったことをしていたのだろうと想像される。

その他には『Grapefruit』や、オノの着衣を観客が順に好きなように切り取っていく映像作品<カット・ピース>、横たわる全裸の女性の全身を這いまわる蝿を映しつつ、それにオノ自身の声によるサウンドがついた映像作品<フライ>といった、著名な作品が含まれている。<カット・ピース>などはよくできた作品だと思う一方で、好きだとは思わないのは、私がフェミニズムということを理解していないからかもしれない。しかし、オノ・ヨーコの作品を改めてまとめて見て思うのは、「想像せよ」と言うけれど、作品そのものは観客に想像させるようにはできていないということだ。

本展のための新作インスタレーションは、<To See the Sky>という螺旋階段で、一人ずつ登って体験する作品。登ったり降りたりするとぐらぐら揺れるやわな作りの螺旋階段で、てっぺんまで登ると天窓ごしにニューヨークの摩天楼と空がかろうじて見える。展示室内で一人、高いところに登るという体験は、それだけでちょっとした特別感はあるが、うーん、だから何だという感じがぬぐえない。





Yoko Ono: One Woman Show, 1960–1971
(8/1/2015, The Museum of Modern Art