おにぎり2個の里みち歩き 農山漁村の今昔物語

おにぎりを2個持って農村・山村・漁村を歩き、撮り、聞き、調べて紹介。身辺事象もとりあげます。写真・文章等の無断転載禁止

島原半島の住所表記と「島原の乱」

2012年08月17日 05時05分55秒 | 農村

写真1 原城の空濠の案内板


写真2 原城の空濠


人気ブログランキングへ ←ブログランキングに登録しています。よろしければ、左の緑色部をクリックして私に元気をください。

 2012年8月1日にJICA集団研修「農業普及企画管理者」コースの研修員3名といっしょにお世話になった南島原市南有馬町「農林漁業体験民宿第十七号 白玄」さん。
 ご先祖は、香川県小豆島からの移住者と教えていただく。

 それは、1637年12月11日~1638年4月12日に勃発した「島原の乱」に関係する。
 乱の際、原城に籠城していた37,000人ほどの老若男女は惨殺された。
 その結果、島原半島南部、現南島原市、現雲仙市の多くの村に住民・農民はいなくなり亡地と化した。

 したがって、幕府は各藩に移住農民数を割り当て農業・農村の再興を図った。
 この過程で「白玄」さんのご先祖が移住。

 さて、「白玄」さんの住所には甲がつく。
 甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の十干である。
 かねて私は、甲・乙など十干がつくのは栃木県那須野ヶ原にもあり、
 開拓地・フロンティアに関係すると考えていた。
 この考えは、「白玄」さんの住所の甲、ご先祖は小豆島からの移住者と聞き、傍証された。

 さらに島原半島の住所を調べると十干がつくのは次のようである。
 1.南島原市 口之津町:甲・乙・丙・丁
         加津佐町:甲・乙・丙・丁・戊・己
         南有馬町:甲・乙・丙・丁・戊・己
         北有馬町:甲・乙・丙・丁・戊・己
         布津町:甲・乙・丙
         深江町:甲・乙・丙・丁・戊
         有家町:なし。乱の初めに襲われた代官所があった。
         西有家町:なし
 2.雲仙市  国見町:甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛
         瑞穂町:甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛
         南串山町:甲・乙・丙
         愛野町:甲・乙
         千々石町:甲・乙・丙・丁・戊・己・庚
         小浜町:なし
         吾妻町:なし
 3.島原市  有明町:甲・乙・丙・丁・戊
         旧島原市:なし。酷政領主松倉氏の島原城がある。
              旧島原市街にある武家の町は「・・・丁」、
              町人の町は「・・・町」に分かれると教える人がいる。

 以上のような住所表記からも、17世紀、「島原の乱」後に大規模な移住による農業・農村の再興があったことを知る。
 ちなみに、当地の特産品島原素麺は小豆島から製法が伝わった、と南串山町出身者に教えていただく。

 引用・参考文献等:当ブログ2012年08月07日
 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2012年018月01日 撮影地:長崎県南島原市南有馬町
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする