ANANDA BHAVAN 人生の芯

ヨガを通じた哲学日記

リーベル

2011年10月14日 | 日記
リーベル

 東京の大学に入学した私はしばらくの間何をしたら良いのか分かりませんでした。もう受験勉強をする必要も無いし、かと言ってまだ友達も出来ていない。テレビの野球中継を見ていても面白くないので、姉の真似をして英語の小説を読んでみたりしていました。

 そんな時に、東京生まれ東京育ちの従兄弟のKTさんにダンスパーティーのパーティー券を買わされました。あの当時、バンドを雇ってダンスパーティーを開き、大学のクラブ活動の資金を稼ぐのはごく一般的な事でした。「僕はダンスが踊れないけど」と私が言いますとKTさんは「問題無いよ、全然問題無い」と言います。現在で言えば「ノー プロブレム」でしょうか。でもそれはやはり「プロブレム」です。山手線の目黒駅の近くにダンスパーティーの会場は有りました。そして私はパーティーの最初から最後まで会場の壁に貼りついていました。これを女性なら壁の花と言います。

 私は一念発起しました。「これからは社交ダンスくらい踊れないとだめだ。そうだ、夏休みに田舎の熊本で社交ダンスの教室へ通おう」。大学の夏休みは2ヶ月くらい有るので、その間には踊れるようになるだろうと言う訳です。夏休みに熊本へ帰省した私は早速市内の繁華街へ行って見ました。熊本市内の1番の繁華街は上通りと下通りと言い、それを電車通りが2つに分断しています。私は電車通りから右へ上通りに入り、右手の商店の2階に「リーベル」という名のダンス教室を見付けました。

 ダンス教室の先生は、大変に若い、小柄で綺麗な女性でした。ベージュがかった白色の社交ダンス用のドレスが良く似合います。先生はおそらくこの教室の経営者のお嬢さんなのでしょう。先生は最初にルンバを教えてくれました。4拍子でボックスを作ったり、また横へ動きながら先生をくるりと回したりします。ルンバが上手くなると先生はジルバを教えてくれました。今度は縦に動きながら先生を回したり体の位置を入れ替えたりします。先生のドレスの胸が私の胸にコツンと当たった時、私はすっかり蒸気してしまいました(これって熊本弁?)。18才の田舎の青年の事、ここはご勘弁をお願いします。その時先生がニコニコ笑いながら「ダンスは度胸たい」と言ったのを覚えています。

 ダンス教室では最初に入場料を払い、そして先生のレッスンを受ける時にはその都度レッスン料を払う仕組みだったと思います。ですから夜になりますと多くの青年男女達が入場料だけを払って「リーベル」に入り、「リーベル」はダンスホールになっていました。あの頃は倍賞千恵子の「さよならはダンスの後に」が流行っていましたが、丁度そんな雰囲気でしたよ。私もダンスホールの時間に「リーベル」で踊りました。ある夜「リーベル」で踊っていますと、1曲毎に相手の女性が変わるのですが、私の前に現れたのは従姉弟(いとこ)のSちゃんでした。気まずい事。だから田舎は嫌なんだよ。

 私は大学生生活の中で、3年生まではアルバイトをしませんでした。大学には勉強をする為に在籍するのだから、学生時代に労働するのはもったいないと考えたからです。勉強は大学の講義だけでは有りません。兎に角自分の勉強したい事を勉強すれば良いのだと思っていました。

 大学4年生になって就職も決まった私はアルバイトを解禁しました。当時発売されたばかりのトヨタカローラと日産サニーのどちらを消費者が好むかを調べる訪問アンケートのバイトでしたが、これはお金になりました。1週間働きますと1万円程手に入ります。当時の新卒の初任給が4万円足らずでしたのでかなり良いアルバイトでした。そしてお金が入りますとその分遊ぶ事が出来ます。

 私が住んでいたアパートは渋谷区の羽沢町に有りました。現在では広尾3丁目と呼ばれています。羽沢町は恵比寿駅にも近く、当時は恵比寿駅よりもステータスが高かったようです。羽沢町には多くの外国人ビジネスマンが住んでいて、大変垢抜けた町でした。羽沢町には何軒かの深夜スナックが有りましたのでアルバイトのお金を持った私は深夜スナックを探検しました。深夜スナックでジンライム等を飲んでいますと突然3、4人の青年のグループがお店に入って来てジュークボックスにお金を入れ、掛かった音楽に合わせて踊ります。当時のゴーゴーダンスは同じ場所で上下に揺れるダンスでは無く、前後に軽くステップを踏んで踊る「横須賀マンボ」と言われるものでした。3人の若者が一緒に同じステップを踏む様は絵になっていました。私は彼等のステップを観察し、彼等がお店を出て行った後でそのステップを練習してマスターしたものです。

 ある時には友達数人と深夜スナックで踊り続けた事も有ります。明け方にお店を出てアパートから歩いて30分程の有栖川宮記念公園へ行き、夜が明けるまで時間を潰しました。夜が明けると公園の木々には長い影が出来ていました。

 さて、熊本へ帰省した私は「リーベル」を覗いて見ました。先生は相変わらず社交ダンスを踊っていましたが、私は覚えたばかりのステップダンスを踊りたい。そして私が軽やかにステップダンスを踊りますと周りの若者達も見よう見真似で、あるいは独自のスタイルでゴーゴーダンスを踊り始めます。たちまち社交ダンスは劣勢になり、ゴーゴーダンスがあたりを蹴散らしてしまいます。こうなると先生もゴーゴーダンスに付き合わざるを得なくなります。

 振り返って見ますと、私は「リーベル」に悪い事をしました。ゴーゴーダンスによって「リーベル」の経営スタイルを引っ掻き回してしまったのです。

 さて、「リーベル」を引っ掻き回したのは私だったのでしょうか。いえいえ、私自身にはそんな力は有りません。私がやらなくても他の誰かが「リーベル」にゴーゴーダンスを持ち込んでいたでしょう。「リーベル」を引っ掻き回していたのは、それは「時代」でした。







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2 コメント

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ダンスが似合う、似合わない (カモネギ)
2011-10-16 17:52:12
貴君の若い頃は(今でもナイスミドルだろうけど)本当にカッコ良かった。ダンスをしても本当にサマになっていたと思う。
自分はと言うと入社時、「営業マンはダンスでも出来ないと」と渋谷のダンス教室に行こうと思い、何となく女子社員に相談したら、「Kさんはダンスは似合わないから止めたら」と言われた。自分でも何となくそんな気がしてたので、あっさり諦めた。人には矢張り似合う、似合わないが歴然としてある。その時に女子社員の一言がそれを確信させた。欧米の社会ではそんな事は言ってられないし考えもしないだろうけど。別に後悔はしてないけれど、少しショックな出来事でした。
ワルツ (Ananda Bhavan)
2011-10-17 10:06:29
カモネギ様、ご謙遜が過ぎますよ。確かにゴーゴーダンスをなさる姿は想像できませんが社交ダンス、特にワルツを踊られる姿はありありと想像出来ます。優雅です。

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