人生のピーク
遥か昔、私がまだ幼かった頃、「シェーン」という題名のアメリカ映画が大変にヒットしました。西部劇でした。
アラン・ラッドが演じるシェーンという名の流れ者が開拓者の家へやって来て居候します。シェーンはガンマンです。真面目な開拓者達にとってガンマンは軽蔑の対象なのですが、開拓者の子や妻はシェーンに大変な好意を抱きます。開拓者の一家は月に1度程近くの町へ出掛けて必要な買い物をします。町にはジャック・パランスが扮する悪党のガンマンが居て、やがて開拓者はこの悪党のガンマンとの対決に追い込まれます。決闘の為に開拓者が家を出ようとするところをシェーンが殴り倒し、シェーンは開拓者の代わりに町へ乗り込み、壮絶なガンファイトの末に悪党を倒します。シェーンはそのまま馬に跨り、遥かなる草原や山々の向こうへと去って行きます。「シェーン、カムバーック」と開拓者の子が叫びますが、シェーンは戻りませんでした。そこに流れる「遥かなる山の呼び声」の切ないメロディーが当時は大変流行りました。
シェーンにとって悪党のガンマンとの決闘は彼の人生で1度限りの事件だったのでしょうし、だからこそ「遥かなる山の呼び声」は切なく観客の胸に迫る事が出来たのでしょう。
時は経ち、私が中学生から高校生の頃、テレビでは1時間物のアメリカ映画のシリーズが人気でした。西部劇では「ローハイド」、戦争物では「コンバット」です。「ローハイド」では主人公のフェイバーさんが毎週、人生に1度有るか無いかの事件に遭遇し、毎週、生きるか死ぬかのガンファイトを演じます。このパターンは「コンバット」のサンダース軍曹も同じでした。毎週毎週人生のピークを迎えるフェイバーさんやサンダース軍曹は、よくぞ死ななかったものです。
実際の人生では毎週毎週人生に1度の事件に出会うことは有りませんね。テレビの視聴者が欲張りで毎週毎週人生に1度のワクワクを欲しがったのです。でも実際にはこんな事は起こりません。もし起こっていたらフェイバーさんもサンダース軍曹も、命が幾つ有っても足りません。
人は毎週、人生に1度の楽しみを求めます。そしてそれが過ぎると、次には毎日と言う事になります。
芋洗い坂係長という芸人を私は面白いと思いました。私は大爆笑したのですが、これを2度、3度と見ますと飽きてしまって、つまらないなと評価が下がってしまいました。芸人はひとつのネタを仕込むのに1ヶ月位は掛けるでしょう。ところがテレビの視聴者は1度同じネタを見てしまうと、今度は次のネタを期待します。これでは芸人も堪りませんね。テレビが芸人達のおしゃべりの場になってしまったのは、当然と言えば当然の事なのです。これがテレビでは無く演芸場でしたら客の方が入れ替わりますから、芸人も同じネタでしばらくは通用する筈です。いやいや、お話がそれてしまったようです。
最近私は、自分にとって人生のピークは何時(いつ)だったのだろうか、どの1件だったのだろうかと考えます。日本ゴーシュ・ヨガ道場に入門した時かな、もっと前だったかな。先の妻を見送って3人の子供達を必死で育てていた頃かも知れない。こうやって人生を振り返って見るのは楽しいものです。だがしかし。
「私の人生のピークはこれからやって来るのかな、いやいやもっと先、死んだあとかもね」と思うのもワクワクであります。
遥か昔、私がまだ幼かった頃、「シェーン」という題名のアメリカ映画が大変にヒットしました。西部劇でした。
アラン・ラッドが演じるシェーンという名の流れ者が開拓者の家へやって来て居候します。シェーンはガンマンです。真面目な開拓者達にとってガンマンは軽蔑の対象なのですが、開拓者の子や妻はシェーンに大変な好意を抱きます。開拓者の一家は月に1度程近くの町へ出掛けて必要な買い物をします。町にはジャック・パランスが扮する悪党のガンマンが居て、やがて開拓者はこの悪党のガンマンとの対決に追い込まれます。決闘の為に開拓者が家を出ようとするところをシェーンが殴り倒し、シェーンは開拓者の代わりに町へ乗り込み、壮絶なガンファイトの末に悪党を倒します。シェーンはそのまま馬に跨り、遥かなる草原や山々の向こうへと去って行きます。「シェーン、カムバーック」と開拓者の子が叫びますが、シェーンは戻りませんでした。そこに流れる「遥かなる山の呼び声」の切ないメロディーが当時は大変流行りました。
シェーンにとって悪党のガンマンとの決闘は彼の人生で1度限りの事件だったのでしょうし、だからこそ「遥かなる山の呼び声」は切なく観客の胸に迫る事が出来たのでしょう。
時は経ち、私が中学生から高校生の頃、テレビでは1時間物のアメリカ映画のシリーズが人気でした。西部劇では「ローハイド」、戦争物では「コンバット」です。「ローハイド」では主人公のフェイバーさんが毎週、人生に1度有るか無いかの事件に遭遇し、毎週、生きるか死ぬかのガンファイトを演じます。このパターンは「コンバット」のサンダース軍曹も同じでした。毎週毎週人生のピークを迎えるフェイバーさんやサンダース軍曹は、よくぞ死ななかったものです。
実際の人生では毎週毎週人生に1度の事件に出会うことは有りませんね。テレビの視聴者が欲張りで毎週毎週人生に1度のワクワクを欲しがったのです。でも実際にはこんな事は起こりません。もし起こっていたらフェイバーさんもサンダース軍曹も、命が幾つ有っても足りません。
人は毎週、人生に1度の楽しみを求めます。そしてそれが過ぎると、次には毎日と言う事になります。
芋洗い坂係長という芸人を私は面白いと思いました。私は大爆笑したのですが、これを2度、3度と見ますと飽きてしまって、つまらないなと評価が下がってしまいました。芸人はひとつのネタを仕込むのに1ヶ月位は掛けるでしょう。ところがテレビの視聴者は1度同じネタを見てしまうと、今度は次のネタを期待します。これでは芸人も堪りませんね。テレビが芸人達のおしゃべりの場になってしまったのは、当然と言えば当然の事なのです。これがテレビでは無く演芸場でしたら客の方が入れ替わりますから、芸人も同じネタでしばらくは通用する筈です。いやいや、お話がそれてしまったようです。
最近私は、自分にとって人生のピークは何時(いつ)だったのだろうか、どの1件だったのだろうかと考えます。日本ゴーシュ・ヨガ道場に入門した時かな、もっと前だったかな。先の妻を見送って3人の子供達を必死で育てていた頃かも知れない。こうやって人生を振り返って見るのは楽しいものです。だがしかし。
「私の人生のピークはこれからやって来るのかな、いやいやもっと先、死んだあとかもね」と思うのもワクワクであります。