ANANDA BHAVAN 人生の芯

ヨガを通じた哲学日記

老化のロス

2015年12月30日 | 日記
老化のロス

 今年を振り返って見ますと9月からの4か月間に色々な老化現象が現れ、驚かされました。9月の始めには奥歯がガラスが割れるように割れて痛かったのなんの。そして9月末には耳鼻科で軽度の難聴と診断されたのは良いのですが、なんと補聴器屋さんを紹介されたのはショックでした。そして10月末には帯状疱疹を発症し、生まれて初めての高熱を経験しました。これらの諸症状は老化に由来するもので、なんだかまとめて老化現象が表面化してしまったなと思っていましたら12月には湿疹が痒い事。

 冬季の乾燥に由来する湿疹は55才の時に初めて発症してから14年も付き合っているのですが今年は堪(こた)えました。それまで体のあちこちの点の湿疹だったのが或る日の夕食後に突然面の湿疹に変わり、あまりに痒いので皮膚科で診察して貰いました。先生は保湿のローションとひどい所への塗り薬を出してくれましたが、生活の指導もしてくれました。ヒートテック等の化繊の肌着は駄目で、綿の肌着にして下さい。そして、お風呂に入ったら石鹸で体を洗わないように。老化によって皮膚の表面に脂が浮かなくなっていますからお風呂には入るだけで十分に清潔ですし、あなたの歳でしたら子供の頃に毎日はお風呂に入らなかったでしょう。

 元ドリフターズの加藤茶がテレビで、お風呂に入っても石鹸で体を洗わないと言っていたのを思い出し、自分も加藤茶の域に入ったのかと、それもまたショックでした。

 さてしかし、老化によって失われる機能を数え上げ、それを理解して受け入れるのも大事な事ですが、それに加えて新たに獲得するものも有るのだと分かるのも大事な事でしょう。先ず、人生の経験がそうでしょう。また青年時代の若さの輝きを、あの生命の輝きを知る事も歳を取った今だからこそ出来る事です。

 そして私の場合は

 この9月以降の日々を振り返って見ますと、老化の諸症状に悩まされていたり、また実家を片づけに行ったり自宅の大掃除等の家事の手伝いをしたりの中で、1ヶ月に10回、つまり3日に1度はヨガの練習が出来ていました。

 ヨガの練習には1回に1時間30分程掛かります。ヨガのアサナ(坐法、ヨガのポーズ)に20分位、そしてあとはプラーナヤーマ等の呼吸法です。

 最近では右肺と左肺の働きが均等になって来たと感じますし、またヨガの練習が終わったあと、自分の意識を被(おお)っていた薄皮が1枚、音も無く剥がれたかのようなスッキリした爽快感に満たされます。

 ヨガは心と体の生理学でも有るのだと理解出来ますのも、若い頃の10年間のヨガの経歴と現在のリタイア生活が有っての事でしょう。

 そして来年からも老化によるロスを理解して受け入れる事に加えて、重ね育って行くヨガの経験を味わって行きたいと思っております。



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実家を片付け

2015年12月05日 | 日記
実家を片付け

 先月の下旬に熊本の実家へ1週間程帰省して来ました。今回は私と私の妻と私の姉との3人がかり、母が高齢者施設に入居している為に留守宅となっている家の片づけが主な目的でした。今年の5月の帰省時に母が留守宅の処分を決断してくれ、8月には姉が帰省して思い出の品を持ち帰りましたので、いよいよ家の片づけが迫っていました。

 1週間程の日程ですと、何をどうするかを事前に決めておかないと何も出来ずに帰って来る可能性も有りますので姉には提案をしておきました。留守宅が1ヶ月や2ヶ月で売れるのならば家財道具を産廃業者にいっぺんに処分して貰えば良いのですが半年や1年掛かるとすれば家の売却の直前までは帰省時に留守宅を寝泊まりに使いたいので、帰省時に使う部屋と日常生活に使う最低限の品物は残しておく必要が有ります。そこで私は1階のリビングと2階の和室を残しておく部屋として「アラモの砦」と名付けました。

 私と妻とでアラモの砦から不要品を別室に出し、姉には各部屋から残しておきたい品物を探してアラモの砦に入れて貰うようにしよう、これに姉も賛成してくれていました。

 しかし実際には作業を始めますと姉が私の妻を呼び2人で各部屋のチェックをしながら不用品の袋詰めを始め、私は1人でアラモの砦の片づけをやる破目に。話が違うけど仕方が無い。多数の本類は紙の紐で縛り、時計や花瓶やラジオやらの埋め立てゴミはそれ用の袋に、母の高齢者施設入居以前の介護書類や家電製品の説明書やらの燃えるゴミはそれ用の袋にと分別しながら作業を進めますが、不要品は山のように出ます。一方2階からは妻が姉の指示で不要な衣類を燃えるゴミの袋に入れてどんどん降ろして来ますので私はストップを掛けました。

 「産廃業者の手伝いをしている暇は無いよ、要る物を探して!」。

 午後には姉が呼んだ和服のリサイクル店のおじさんが来て、和服は無料で引き取って行きました。

 3日目には留守宅の売却をお願いしている町内の不動産会社の社長さんが来てくれ、このあたりの不動産売買の動きについて丁寧に説明してくれました。繁華街である下通り町から東へ白川の堤防に到る安政橋通りは昔は個人商店の町でしたがグランドキャバレーの「銀河」が廃業すると通りは一変して駐車場だらけの駐車場通りに変わってしまいました。ところがあるアメリカ帰りの青年が安政橋通りの家具屋の2階と言う不利な条件の場所で飲食店を開きますとお店には行列が。そして現在安政橋通りは飲食店通りに変貌し、特に「知る人ぞ知る」と言ったお店が繁盛していて、この場所もそう言った業態に適しているのだと言います。

 5日目には不動産会社の社長さんは産廃業者を連れて来まして、私はこの2人に家中を案内して回りました。先ずは螺旋階段を上って屋上から。産廃業者はタブレットを取り出して写真を撮りまくります。こう言う時代になっているのですね。社長さんは業者に「この金網は撤去した方が良いね」等とアドバイスします。私達は次に2階へ降り、奥の部屋から回りました。「この部屋は全部撤去して下さい、そしてこの部屋も・・・」。アラモの砦の和室は触らないようにとお願いし、和室の隣の板の間を見て貰います。「これは古いピアノですが鍵盤は象牙なんですよ、今はワシントン条約で不可能ですが」と説明しますと産廃業者が「欲しがる人は居ないのでしょうか」と聞きますので「色々当たって見ましたがピアノが古すぎて貰い手が有りません、もったいないけどこれも廃棄をお願いします」と答えました。

 1階も奥の部屋から案内しましたが、台所が難所のグレイゾーンでした。要らない物は沢山有るのですが、照明、ガス、水道、冷蔵庫、テーブル、テーブルの上の少しばかりの食器等は必要です。事前に私達は「残す」の紙と「捨てる」の紙を沢山作ってひとつずつに丁寧に張っておきました。「リビングの全部と台所の『残す』は残してくださいね」。勿論トイレと洗面所とお風呂場は触らないようお願いしました。

 最後には地下へ降りました。長い年月の中に白川の護岸工事が有って堤防が高くなり、その為に元は1階だった所が今では地下になっています。地下の各部屋は殆んどがらんどうでした。産廃業者が全ての写真を撮り終わり、私達はリビングに戻りました。「直近に撤去したお家はここの3分の1位でしたが撤去の費用は10万円でした。不要物の撤去には4、5日掛かりますが出来るだけ年内にやりたいですね」と社長さんは言ってくれましたが12月は遺品整理業者の繁忙期だとも言いますからどうなのでしょうか。社長さんは留守宅に「売り物件」の看板を取り付けてくれました。

 燃えるゴミと本類と埋め立てゴミは夫々の指定日に捨てましたが、山のようなゴミでは有りました。

 私達は日中は留守宅の片づけをして夕刻には高齢者施設に母を見舞いました。そしてこうして私達の熊本への帰省は終わりましたが、振り返って見て満足の出来るところまで進んだようでほっと一息です。

 そして留守宅の処分がどう進むかは見当もつきませんが、全ては確実に一歩ずつなんでしょうね。




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