ヨガとの出会い
私がサラリーマン生活を送りながらどうしてヨガの道に入ったのか、そのあたりのいきさつをお話しします。私は神経質な性格で人前に出るとひどく緊張するタイプです。学生時代には他の人達も自分と同じようなものだろうと思って気にもしていなかったのですが、会社に就職して自分は他人とは随分違うのだとショックを受けました。アメリカ式の「俺が俺が」という風潮に乗って行けず、私は自信を失っていました。外から見れば左程の事でも無かったのでしょうが私自身には大変重大な問題だったのです。ましては仕事が酒類メーカーの営業だったので、仕事では自分なりに成果を挙げながらも内心では不安が一杯でした。
30才になった年のある日、私は日経新聞の広告に目をとめました。「リラクセーションの技術」と言う文字が有ったのです。それはペール・ウインター(プレム・ヨーギ)と言う先生によるヨガの通信教育でした。その頃の私はヨガと言うものを知りませんでしたが、藁をもつかむ思いでこの通信教育をを受けて見る事にしました。ペール・ウインター先生(プレム・ヨーギ)は1937年生まれのノルウェーの人で、北インドのリシケシュのシヴァナンダ・アーシュラムで総合的なヨガの修行をした人です。
通信教育では6ヶ月間、毎月1冊「ヨーガ教室①~⑥」と言う本が送られて来ました。私はその実践的なヨガの教科書を理解しながらヨガのアサナ(坐法、ポーズ)やプラーナヤーマ(呼吸法)の練習をします。指導が懇切丁寧なので私はすぐにコツを覚え、翌月に新しい教科書の来るのが待ち遠しい程になりました。そして6冊の実践的な教科書と一緒に「別冊」が2冊、適切な時期に送られて来ました。「別冊」ではペール・ウインター先生(プレム・ヨーギ)の詳しいヨガの経歴やヨガの思想が親切丁寧に書かれていて私を魅了しました。「別冊」の2冊目はヨガの8段階について、それは詳しく分かり易く書いて有ります。ヨガがリラクセーションの技術だけに留まらず、雄大な思想哲学である事がすぐに理解出来た私はヨガの実践哲学(インド思想)をもっと知りたくなりました。ペール・ウインター先生(プレム・ヨーギ)は1度新宿のお寺を借りて生徒達を集め、スクーリングをやってくれました。ヨガの独習による間違いを無くす為です。それでも通信教育は通信教育です。私はヨガの教室に通うべきだとはっきり自覚しました。その頃私は仕事で新宿区を担当していましたので、新宿御苑前に日本ゴーシュ・ヨガ道場が有るのは知っていました。でも、いきなり本格的なインドヨガの道場に入会するのはちょっと怖いとその頃はまだ感じていました。
私がペール・ウインター先生(プレム・ヨーギ)についてヨガの通信教育を受け始めたのは日本で第1次のヨガブームが起こる少し前でしたので、私は会社ではヨガについて話題にはしませんでした。奇人変人と思われるのが嫌だったからです。ところが間もなく日本では美容と健康の為のヨガブームが起こりました。時代は一変します。本屋にも美容と健康の為のヨガの本が並ぶようになります。31才になっていた私は、日本人で美容と健康の為のヨガの本を書いている人が展開しているヨガ教室に入る事にしました。週に1度教室に通ってヨガの指導を受けるのですが、少し小柄で髪はショートヘア、黒目のはっきりした綺麗な女性の先生はレオタード姿だったので目の保養はさせてくれました。しかし私は不満でした。先生の教えるヨガのポーズは行き当たりばったりで系統だっておらず、またインド思想の雰囲気もそこには有りませんでした。「これは本物のヨガじゃない」と私はすぐに分かったのですが、少なくとも半年はここで続けてみる事にしました。会社でも私はヨガの教室に通っている事をオープンにしました。そして私が最初に出会ったのがペール・ウインター先生(プレム・ヨーギ)だったのは本当に幸いでした。インドヨガに魅了されていた私はその頃にはどうしても本物のヨガを目指したくなっていました。ペール・ウインター先生(プレム・ヨーギ)は本当に立派な先生でしたが、振り返って見ますと私のグル(先生)では無かったようです。
1979年、私は32才になっていましたが、ついに意を決して日本ゴーシュ・ヨガ道場に入門しました。先ずは夕方のクラスから始めましたが、道場には毎日予約を入れて通うのが練習の基本です。ジバナンダ・ゴーシュ先生は生徒さん1人ひとりに面接をしてその人に合ったヨガのチャートを作ってくれます。私も自分のチャートをいただきました。ヨガのアサナ(坐法、ポーズ)は横になってのポーズ(臥位)、坐ってのポーズ(坐位)、立ってのポーズ(立位)と順番が有り、またポーズとポーズの間には必ずサバアーサナ(死体のポーズ)が入っていてリラックスを強調しています。ポーズの際には反動はつけませんし、呼吸も息は止めずに普通呼吸です。こうして私は最初にヨガに出会ってから2年を掛けてやっと本格的なヨガの練習をスタートしたのでした。
今でも私は人前に立つと緊張しますが、これが有ったからこそインドヨガと言う壮大な思想世界の扉を開く事が出来たのだと不思議に思いますし、また感謝の念も起こります。
ペール・ウインター先生(プレム・ヨーギ)の「ヨーガ教室⑥」の末尾に現代に生きるグルが紹介されています。その中から私の知っている名前を列挙しておきます。37年も前のリストですから既に他界された人も多いと思いますが、優秀なお弟子さんが残っていて今もヨガの指導をされているかも知れませんので、皆さんがご自分のグル(先生)を探されるヒントになるかも知れません。
スワミ・チダナンダ(スワミ・シヴァナンダの後継者)、ヴィシュヌ・チャラン・ゴーシュ(故人)、コルナ・ゴーシュ、ジバナンダ・ゴーシュ(私のグル)、シュリ・ヨゲンドラ、ジドゥ・クリシュナムルティ、スワミ・クリヤナンダ(パラマハンサ・ヨガナンダの後継者)、マハリシ・マヘシュ・ヨーギ、スワミ・サッチダーナンダ、沖正弘、バグワン・ラジネーシ、佐保田鶴治、桜沢如一、スワミ・シヴァナンダ(故人)、中村天風。
追記
ペール・ウインター先生の「ヨーガ教室 別冊」に、ウインター先生のグル(先生)であるスワミ・ラマと言う人が「中村天風と共にナレンドラナガールと言う所でババジと一緒に居た事が有ります」と、1968年に東京へ来た際にウインター先生に答えたと言う記事を見つけました。これは驚きです。
私がサラリーマン生活を送りながらどうしてヨガの道に入ったのか、そのあたりのいきさつをお話しします。私は神経質な性格で人前に出るとひどく緊張するタイプです。学生時代には他の人達も自分と同じようなものだろうと思って気にもしていなかったのですが、会社に就職して自分は他人とは随分違うのだとショックを受けました。アメリカ式の「俺が俺が」という風潮に乗って行けず、私は自信を失っていました。外から見れば左程の事でも無かったのでしょうが私自身には大変重大な問題だったのです。ましては仕事が酒類メーカーの営業だったので、仕事では自分なりに成果を挙げながらも内心では不安が一杯でした。
30才になった年のある日、私は日経新聞の広告に目をとめました。「リラクセーションの技術」と言う文字が有ったのです。それはペール・ウインター(プレム・ヨーギ)と言う先生によるヨガの通信教育でした。その頃の私はヨガと言うものを知りませんでしたが、藁をもつかむ思いでこの通信教育をを受けて見る事にしました。ペール・ウインター先生(プレム・ヨーギ)は1937年生まれのノルウェーの人で、北インドのリシケシュのシヴァナンダ・アーシュラムで総合的なヨガの修行をした人です。
通信教育では6ヶ月間、毎月1冊「ヨーガ教室①~⑥」と言う本が送られて来ました。私はその実践的なヨガの教科書を理解しながらヨガのアサナ(坐法、ポーズ)やプラーナヤーマ(呼吸法)の練習をします。指導が懇切丁寧なので私はすぐにコツを覚え、翌月に新しい教科書の来るのが待ち遠しい程になりました。そして6冊の実践的な教科書と一緒に「別冊」が2冊、適切な時期に送られて来ました。「別冊」ではペール・ウインター先生(プレム・ヨーギ)の詳しいヨガの経歴やヨガの思想が親切丁寧に書かれていて私を魅了しました。「別冊」の2冊目はヨガの8段階について、それは詳しく分かり易く書いて有ります。ヨガがリラクセーションの技術だけに留まらず、雄大な思想哲学である事がすぐに理解出来た私はヨガの実践哲学(インド思想)をもっと知りたくなりました。ペール・ウインター先生(プレム・ヨーギ)は1度新宿のお寺を借りて生徒達を集め、スクーリングをやってくれました。ヨガの独習による間違いを無くす為です。それでも通信教育は通信教育です。私はヨガの教室に通うべきだとはっきり自覚しました。その頃私は仕事で新宿区を担当していましたので、新宿御苑前に日本ゴーシュ・ヨガ道場が有るのは知っていました。でも、いきなり本格的なインドヨガの道場に入会するのはちょっと怖いとその頃はまだ感じていました。
私がペール・ウインター先生(プレム・ヨーギ)についてヨガの通信教育を受け始めたのは日本で第1次のヨガブームが起こる少し前でしたので、私は会社ではヨガについて話題にはしませんでした。奇人変人と思われるのが嫌だったからです。ところが間もなく日本では美容と健康の為のヨガブームが起こりました。時代は一変します。本屋にも美容と健康の為のヨガの本が並ぶようになります。31才になっていた私は、日本人で美容と健康の為のヨガの本を書いている人が展開しているヨガ教室に入る事にしました。週に1度教室に通ってヨガの指導を受けるのですが、少し小柄で髪はショートヘア、黒目のはっきりした綺麗な女性の先生はレオタード姿だったので目の保養はさせてくれました。しかし私は不満でした。先生の教えるヨガのポーズは行き当たりばったりで系統だっておらず、またインド思想の雰囲気もそこには有りませんでした。「これは本物のヨガじゃない」と私はすぐに分かったのですが、少なくとも半年はここで続けてみる事にしました。会社でも私はヨガの教室に通っている事をオープンにしました。そして私が最初に出会ったのがペール・ウインター先生(プレム・ヨーギ)だったのは本当に幸いでした。インドヨガに魅了されていた私はその頃にはどうしても本物のヨガを目指したくなっていました。ペール・ウインター先生(プレム・ヨーギ)は本当に立派な先生でしたが、振り返って見ますと私のグル(先生)では無かったようです。
1979年、私は32才になっていましたが、ついに意を決して日本ゴーシュ・ヨガ道場に入門しました。先ずは夕方のクラスから始めましたが、道場には毎日予約を入れて通うのが練習の基本です。ジバナンダ・ゴーシュ先生は生徒さん1人ひとりに面接をしてその人に合ったヨガのチャートを作ってくれます。私も自分のチャートをいただきました。ヨガのアサナ(坐法、ポーズ)は横になってのポーズ(臥位)、坐ってのポーズ(坐位)、立ってのポーズ(立位)と順番が有り、またポーズとポーズの間には必ずサバアーサナ(死体のポーズ)が入っていてリラックスを強調しています。ポーズの際には反動はつけませんし、呼吸も息は止めずに普通呼吸です。こうして私は最初にヨガに出会ってから2年を掛けてやっと本格的なヨガの練習をスタートしたのでした。
今でも私は人前に立つと緊張しますが、これが有ったからこそインドヨガと言う壮大な思想世界の扉を開く事が出来たのだと不思議に思いますし、また感謝の念も起こります。
ペール・ウインター先生(プレム・ヨーギ)の「ヨーガ教室⑥」の末尾に現代に生きるグルが紹介されています。その中から私の知っている名前を列挙しておきます。37年も前のリストですから既に他界された人も多いと思いますが、優秀なお弟子さんが残っていて今もヨガの指導をされているかも知れませんので、皆さんがご自分のグル(先生)を探されるヒントになるかも知れません。
スワミ・チダナンダ(スワミ・シヴァナンダの後継者)、ヴィシュヌ・チャラン・ゴーシュ(故人)、コルナ・ゴーシュ、ジバナンダ・ゴーシュ(私のグル)、シュリ・ヨゲンドラ、ジドゥ・クリシュナムルティ、スワミ・クリヤナンダ(パラマハンサ・ヨガナンダの後継者)、マハリシ・マヘシュ・ヨーギ、スワミ・サッチダーナンダ、沖正弘、バグワン・ラジネーシ、佐保田鶴治、桜沢如一、スワミ・シヴァナンダ(故人)、中村天風。
追記
ペール・ウインター先生の「ヨーガ教室 別冊」に、ウインター先生のグル(先生)であるスワミ・ラマと言う人が「中村天風と共にナレンドラナガールと言う所でババジと一緒に居た事が有ります」と、1968年に東京へ来た際にウインター先生に答えたと言う記事を見つけました。これは驚きです。