ANANDA BHAVAN 人生の芯

ヨガを通じた哲学日記

全斗煥(ぜんとかん)大統領

2014年09月12日 | 日記
全斗煥(ぜんとかん)大統領

 1984年の9月某日、私は休日出勤をしました。その日は韓国の全斗煥大統領の車列が赤坂見附の交差点を通る事は私も分かっていました。私の会社のビルは赤坂見附の交差点に面しており、私の部署はビルの8階に有りました。

 休日出勤をして見ますとその日は私の他に誰も出勤して居ません。あの頃は携帯電話もパソコンも無く最新の通信手段がテレホンカードだと言う時代でしたが、仕事を始めますと同じフロアのあちこちの部署で電話が鳴ります。電話を取ればそれが私とは関係の無い部署のお得意先からの苦情だとはなんとなく分かりますし、私に苦情を言われても私には何も出来ない事は分かっていますから電話は取らないと心に決めてはいるのですが何だか気にもなります。私の自宅で何かが起こり妻が会社に電話を掛けているのかも知れないと思いますとどうにも落ち着きません。それでも私は意を決してあちこちで鳴っている電話を無視して仕事を続けました。

 しばらく仕事をしていますと今度は会社の外の様子が気になります。そろそろ全斗煥大統領の車列が来るのだろうかと私は8階の窓から赤坂見附の交差点を覗いて見ました。車列はまだのようで、再び私は机に戻りました。そうしましたら間もなく8階のフロアに警察官が入って来ました。警察官が「ここで何をしていますか」と聞きますので「ご覧の通り、休日出勤です」と私は答えました。警察官は「窓には近づかないで下さいね」と言ってフロアを出て行きました。監視されていたのか。

 何しろ韓国の大統領が初めて来日するのですから厳しい警備をしていたのでしょう。あの頃は金大中拉致事件やらラングーン爆破事件やらキナ臭い事件が頻発していましたから韓国の大統領を迎える日本政府も相当神経質になっていたようです。全斗煥大統領の車列はそのあとすぐに赤坂見附の交差点を通過しましたが、私は窓に近づいて大統領の車列を見る事も無く休日出勤を終えて帰宅したものです。

 インターネットで調べて見ますと韓国の全斗煥大統領の在任期間は1980年から1988年までと有ります。1988年と言いますと今から26年前です。わずか26年前の韓国はまだまだ軍事政権だったんですね。そう言えばあの少し前に私はワイン課で、金大中事件の起こった九段下のホテルグランドパレスを担当していました。
コメント (2)
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