阿南神召キリスト教会 礼拝メッセージ

徳島県の阿南神召キリスト教会の礼拝メッセージです

12人の斥候

2017-07-21 17:15:08 | Weblog

2017.7.16.12人の斥候

聖書 民数記13:17~33,14:1(13章、14章)

題  12人の斥候

 

暗唱聖句 イザヤ41:10

「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」

 

はじめに

モーセに導かれたイスラエルの民は、荒野の旅を続けていました。そして、もう少しで約束の地、カナンにはいることができるというところまで来ました。みんなの心は期待に燃えていたと思います。ここまで来るのには神の助けがたくさんありました。イスラエルの神は多くの奇跡を起こして、イスラエルの民を守ってくださいました。イスラエルの民は大変つぶやきの多い民でした。その都度、神を怒らせ、指導者のモーセはただ神にひれ伏し、赦しを請いました。モーセのとりなしによって、いつくしみ深い神は、怒りを治め、彼らの悪を赦し、必要を満たして、荒野の旅をここまで導いてくださいました。これから後、どうなるのでしょうか。

 

1.12人の斥候がカナンの地を調べ、報告をした

神はモーセに言われました。「わたしがイスラエル人に与えようとしているカナンの土地を調べさせなさい。12部族の中から一人ずつ、代表を出して、探りに行かせなさい。」モーセは神に言われた通りに12人を選んで、命令しました。これを12人の斥候(せっこう)と呼びます。偵察隊(ていさつたい)、すなわち、スパイの事です。「カナンの地に上って行って、ネゲブ地方に入り、それから山地の方へ行って、その地がどんな地であるか調べなさい。まず、その地に住んでいる民が強いか、弱いか、または少ないか、多いのか、調べなさい。」これは何を目的として話していますか。(戦争で勝つことができるかどうか。)

「また彼らが住んでいる土地はどうか、良いか、悪いか。彼らが住んでいる町々はどうか、それらは宿営か、それとも城壁の町か。土地はどうか(作物が育つ土壌かどうか)、肥えているのか、やせているのか。そこに木があるのかないのか(水の存在の有無)、調べなさい。

あなた方は勇気を出して、その地の果物を取ってきなさい。」後半はイスラエルの民が居住するのに適した所かどうかを調べています。神が約束されたのは「乳と蜜の流れる国」でした。本当にそのように豊かな国であるのかどうかを確かめたのです。彼らが今旅をしているところは荒野です。岩山が多く、みどりの木はないところです。そういうところから、どういう地に導かれるのか、大きな関心がありました。

 12人の斥候は、40日間かけて、カナンの地を調べ、戻ってきました。ぶどうが一房付いた枝を2人が棒にかついで、持ってきました。昔、イスラエルの青空市場でぶどうを一房買いました。するとその房が1メートルぐらいあり、重さも相当な重さでした。ざくろやイチジクも取りました。季節は夏ですね。そして、調べたことを、モーセとみんなに報告しました。まず、果物を見せて、言いました。「カナンは作物が豊かに育つ良い土地です。神様が乳と蜜の流れる土地と言われたのは本当です。」大きな果物を見て、イスラエルの人々は喜んだことでしょう。斥候は続けて報告しました。「しかし、その地に住む民は力強く、町々は城壁を持ち、身体もとても大きく、特にアナク人(巨人)がいました。アマレク人、ヘテ人、エブス人、エモリ人、カナン人が各地に住んでいます。それを聞いて、今度は逆に、人々は不安になりました。カナンの地に入って行っても、強い民族にやっつけられてしまうと思ったからです。

 その時、斥候の一人で、ユダ族の代表のカレブが言いました。「皆さん、落ち着いてください。確かに相手は強そうですが、必ず勝てます。勇気を出して攻めていきましょう。」しかし、ほとんどの斥候は反対の意見を言いました。(民13:33)「そこで、私たちはネフィリム人、ネフィリム人のアナク人を見た。私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。」彼らの心の中には不安が募って来ているので、だんだん、巨人のイメージも大きくなってきました。確かにカナンにはイスラエル人より、大きい巨人のような人もいましたが、ネフィリム人はいなかったのです。ネフィリム人(創6:1~4)は母親が人間、父親が良くない天使(新改訳は「神の子」と訳してある)との間に生れた子で、勇士だったようです。しかし、これはノアの洪水で全滅しました。だから、見ていないのですが、不安や恐れが大きくなると、考える想像もだんだんいろんなことがくっついて、実際とはかけ離れた状況を想像してしまうのです。みなさんもそんなことはありませんか。

 

2.イスラエルの民の不信仰

そうして、イスラエルの人々は、がっかりしてしまいました。(民14:1)「全会衆は大声をあげて叫び、民はその夜、泣き明かした。」そしてモーセとアロンに対して、文句を言い始めました。「なんでこんなところに連れて来たんだ。闘いで殺されるくらいなら、エジプトにいた方がましだったのに。」「そうだ。新しいリーダーをたてて、エジプトに帰ろう。」

 しかし、斥候の内、ヨシュアとカレブだけは、神を信じ続けました。彼らは人々に向かって言いました。「もし、私たちが御心にかなうなら、神様が私たちをあの地に導き入れてくださるはずです。だから、ただ、神様を信じましょう。神様が私たちと共におられるのですから、彼らを恐れる必要はありません。」ヨシュアとカレブは、今まで神がしてくださった恵み、奇跡を、しっかり覚えていました。今度も必ず、神様が守ってくださると信頼していたのです。しかし、人々は全くそのような信仰を持つことはできませんでした。それどころか、「家族が皆殺しになっても良いのか!」と言って、ヨシュアとカレブを、石で打ち殺そうとしました。

 

 その時、主の栄光がすべてのイスラエル人の前に現われ、主がモーセに語られました。「民はいつまで、私を信頼しないのか。バカにするのか。私は、民のために、たくさんの奇跡をみせたではないか。それなのに、まだ、私を信じないのか。」

カナンの人たちを見て、恐れ、文句ばかり言っているということは神様の力ではイスラエルの民を守ることはできないと言っているのと同じです。それで、神は怒り、イスラエルの民を滅ぼすと言われました。不信仰な民にとうとう罰が宣告されたのです。疫病で滅ぼすと言われました。疫病は伝染病の事です。

 モーセは、民のためにとりなして、神にお願いしました。(民14:19)

「あなたがこの民をエジプトから今に至るまで赦してくださったように、どうかこの民の咎をあなたの大きな恵みによって赦してください。」一生懸命、お願するモーセに答えて、神はイスラエルの民を滅ぼすことは思いとどまってくださいました。

 

3.神の取り扱い:40年間荒野をさまよう民

 しかし、神の愛と力をあなどった(軽蔑した)民の罪を見過ごしにはされませんでした。神を信じず、モーセに文句を言った人たちは、約束の地にはいることが許されなくなりました。エジプトから何度も神に守られ、奇跡を見ていながら、神を信頼せず、従わない罪は大きかったのです。主は憐れみ深く、恵み豊かな方であると、同時に、正しく、罪を裁かれるお方です。イスラエルの人々の内、20歳以上の人たちはみなカナンの地に入る前に荒野で死ぬのです。民がこう言いました。「わたしたちはエジプトの地で死んでいたら良かったのに。できれば、この荒野で死んだ方がましだ。」それを神が聞いておられたのです。そして、そのことば通りに荒野で死んでしまう結果になったのです。彼らが「さらわれてしまう」といった子供たちが約束の地に入るのです。しかし、神様を信じ通した、カレブとヨシュアは、生きてカナンの地に入ることが許されました。そして、イスラエル人は、神に反抗し、背いた報いとして、40年間、荒野をさまよい歩くことになりました。そして、約束の地に入ったのは当時20歳以下の新しい世代でした。40年の間に、彼らは荒野でしっかり教育され、神の選びの民として成長しました。このような民は周りにはいませんでした。

 

4.結論:神が共におられるので、恐れることはない。

神を信じ通したヨシュアとカレブの神はインマヌエル(神は私たちと共におられる)の神でした。(ヨシュア1:9)「わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、【主】が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」

神が共におられるので、恐れることはありません。どんな状況にあっても、神を信じましょう。

現在、あなたの前に困難なことが立ちはだかっていますか。または不安がありますか。

(イザヤ41:10)

「恐れるな。わたしはあなたともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」

 

話し合ってほしいこと

1)困難なことはどんなことでしょうか。

2)どんな不安、恐れがありますか。

3)神様はどんなお方ですか。また、個人的にあなたにとってどんな方ですか。・・・

ここで、話し合ったことを分かち合う。

4)一緒にお互いのために祈る


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