阿南神召キリスト教会 礼拝メッセージ

徳島県の阿南神召キリスト教会の礼拝メッセージです

金の子牛

2017-07-13 22:38:57 | Weblog

2017.7.9.金の子牛

聖書 出エジプト24:15~18、32:1~20

題  金の子牛

暗唱聖句 申命記6:4~5

「 聞きなさい。イスラエル。【主】は私たちの神。【主】はただひとりである。

 6:5 心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、【主】を愛しなさい。」

 

はじめに

先週、十戒について学びました。イスラエルの民はエジプトを出て、シナイ山の荒野に入りました。その時、神は、モーセを通してイスラエルの民に律法を授けました。イスラエルの民は神にとって宝の民であり、神の直属の民でした。ですから、神はこの民を聖なる国民にしようと、十戒を中心とした律法を与えられました。その中の第一の戒めは「わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」第2番目には「偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。」でした。十戒を中心に、生活に関する規則を細かに教えてもらい、イスラエルの民は「主の仰せられたことはみな行い、聞き従います。」と契約を結びました。(出エジプト24:1~8)

モーセと共にいた70人長老たちはシナイ山のふもとで神と契約し、飲み食いをしてお祝いをしたのです。その時、神は彼らに自分の姿さえもお見せになりました。「彼らはイスラエルの神を仰ぎ見た。御足の下にはサファイヤを敷いたようなものがあり、透き通っていて、青空のようであった。(出エジプト24:10)

今日の事件はこういうことがあった後に起こった事件です。イスラエルの民は神に従うと契約を交わしたにもかかわらず、金の子牛を造って、主を裏切りました。

 

1.イスラエルの民は偶像を造って礼拝した。

イスラエルの民の指導者たちである70人の長老たちはシナイ山で、神と契約をし、神を仰ぎ見、飲み食いしました。そんなある日の事、神はモーセに山を上ってくるように命じられました。「山に登り、わたしのところに来なさい。イスラエルの民を教えるために、私が書き記した教えと命令の石の板をあなたに授けよう。」そこで、モーセとヨシュアは山に登って行き、40日40夜の間、神様からのおきての石の板をいただくためにそこにいました。この40日の間に、神様は、聖所(契約の箱、贖いのふた、燭台、幕屋など)と祭司(装束や任務)に関する教えなどを与えてくださいました。(25~31章)そして、モーセは神の指で書かれた「あかしの板」を授かりました。すなわち、石の板に書かれた十戒を与えられました。

その間、モーセたちがなかなか帰ってこないので、待っている民は不安になりました。「モーセは山で死んだのではないか?」とか、「私たちを見捨てて、どこかに行ってしまったのではないか・・・」などと考え、不安になったのです。待ちきれなくなった民は、アロンにお願いしました。アロンはモーセ―がいない間、モーセの代わりをして働いていました。「私たちを指導してくれたモーセはどうなったのか、わかりません。どうか、私たちを導いてくれる神様を造ってください。」

皆さん、このお願いは聞いて良いことですか。悪いことですか。

これは大変大きな間違いです。過ちです。神はただ一人、天と地を造り、私たちを造ってくださった方だけです。それなのに、自分たちで、ほかの神を造るなんて、許せないことです。

ところがアロンは、この願いを聞き入れてしまいました。「あなた方が、エジプトから持ってきた金の耳輪はずして、わたしのところに持って来なさい。」それで民は皆の金のイヤリングをはずして、アロンの所に持ってきました。大量の金が集まりました。アロンはそれを溶かして、子牛の形を作りました。ピカピカ輝く子牛を見て、人々は喜びました。「これがエジプトから連れ出してくださった神様だ」と喜び、次の日、この子牛を礼拝し、お祭りをしました。アロンは祭壇を作り、全焼のいけにえを捧げました。彼らは、偉大なる全知全能の神様の代わりに、動くこともできない作り物の子牛を、礼拝したのです。人々は、祭壇の周りで、食べたり飲んだり、歌ったり、踊ったりして、大騒ぎをしました。乱れた光景でした。当時、牛は力と多産の象徴でした。そして、神のイメージとして古代エジプトやその他の国で偶像として礼拝されていたので、その影響を受けていたのでした。

 

2.神もモーセも怒った

神様はモーセに「すぐ、山から降りなさい。イスラエルの民は、堕落してしまったから。彼らは早くも、十戒を破って、ほかの神を造り、それを礼拝している。こんなに言うことを聞かない民は滅ぼしてしまい、モーセの子孫だけを、契約の民として祝福しよう」と言われました。

しかし、モーセは、すぐに神様に嘆願しました。「主よ。あなたの燃える怒りを静め、災いを思い直してください。」すると、神様はあわれんで、モーセの願いを聞き入れてくださいました。そして、災いを下さないようにしてくださいました。

モーセは感謝して、山を降りました。その時、2枚のあかしの板を持っていました。その表と裏に、神様が教えと命令を刻んでくださったものです。しかし、宿営に近づいて、子牛と踊りを見ると、モーセの怒りは燃え上がりました。手に持っていた板に書かれた教えを、全く破る大きな罪を目の前にしたからです。モーセはあかしの板を投げ捨て、砕いてしまいました。民は神様との契約を破ってしまったのです。モーセはアロンたちが作った金の子牛を火で燃やし、さら粉々に砕きました。それを水の上にまきちらし、イスラエル人に飲ませました。モーセはアロンに「あなたはいったいどうして、こんな大きな罪を犯させたのですか。」と言いました。アロンは答えにならない言い訳をしました。

 

3.神は罪を犯した人たちに、罰を与えられた。

 モーセは「あなた方の中で、主に従って行く人は誰ですか。その人はわたしのところに集まりなさい。」と言いました。すると、レビ族が集まりました。モーセは彼らに、罪を犯した人たちを殺すように命じました。とても厳しい罰です。3000人が殺されました。イスラエル人が、神様との特別な約束を破って、偶像を拝んだことは、それほど大きな罪だったのです。

 翌日、モーセは自分が罰を受けて死ぬ代わりに、民の罪を赦してもらう覚悟で、神様の所に行きました。そして、「彼らの罪をお赦しください。あなたの書物からわたしの名を消し去ってもかまいません、ですから、代わりに彼らを生かしてください」と言いました。すると、神様は「私に罪を犯したものは誰であれ、わたしの書物から消し去ろう」と言われました。罪を犯して、悔い改めない人には、当然の報いがある、という意味です。彼らの罪は、神との関係を根底からこわすひどいものでした。ですから、大目に見ていただくことはできなかったのです。しかし、モーセのとりなしのゆえに、皆が滅ぼされてしまうことはありませんでした。約束の地への旅も続けられることになりました。

 

モーセは「自分の名前が神の書物から消し去っても良いので、民を助けてください」ととりなしの祈りをしています。この神の書物は「命の書」です。(黙示3:5、17:8、20:12)

「いのちの書に名前の書かれていない人は火の池になげこまれる(黙示20:15)」と書いてあります。ですから、永遠の裁きの時に救われる人の名前が書いてある書物です。

 

 4.イエス様の贖い

イスラエルの人々は、金の子牛を造って偶像礼拝をしてしまったために、罰を受けて殺されてしまいました。彼らの指導者たちは十戒の戒めをいただき、神を見たのに、ものも言わない偶像を造って礼拝したのです。神との関係を全く否定してしまうことでした。それで、罰を受けたのです。十字架は神の怒りと神の愛がぶっつかったところです。

しかし、イエス・キリストを信じる人たちは永遠の刑罰を受けることはありません。

ローマ6:23「 罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」

罪の支払う報酬は死です。しかし、その罰は、すべてイエス様が私たちの身代わりになって、受けてくださいました。ですから、もはや罰を受けることはありません。モーセはただの人間ですから、皆の罪を赦すことはできませんでした。しかし、神の御子キリストが、ご自身の命を贖いの代価として、ささげてくださったことにより、全人類の罪が赦されたのです。これは大きな恵みです。十字架の血はすべての罪を清め、人生の再出発の力を与えます。

 

5.結論:ただ、主だけを礼拝しましょう。

 (申命記6:4~5)

「 聞きなさい。イスラエル。【主】は私たちの神。【主】はただひとりである。

 6:5 心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、【主】を愛しなさい。」

質問:グループで話し合う

①神様はどのような方ですか。

  ②偶像とはどんなものですか。(形のあるもの、ないもの、いろいろな意見が出ました。)

  ③モーセは神とイスラエルの民の間には行って、何をしましたか。(とりなし)

  ④今日のみことばから、自分の生活に適応できるものは何でしょうか。

 

Ⅱテモテ2:8

「 私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。」いつも復活の主を見上げて、生活しましょう。

証:今日、主に身を捧げよ。

今日のメッセージを語りながら、思いだしたことがあります。まだ、私が仕事に夢中になっていた時です。私は仕事が大好きで、朝早くから夜まで仕事をしていました。(仕事は正看の看護専門学校の専任教員でした。)誰かが「仕事も偶像だね。」と言いました。確かに神様より大事なものはみな、偶像です。神様よりもっと執着しているものがあれば、それは偶像ですね。

ある時、献身に興味のある人のために特別集会が持たれました。どこかのキャンプ場に集まって、1泊2日ぐらいの研修会があったのです。その時、私は母教会の70歳近くの牧師と一緒に参加しました。研修会の2日目に牧師は私を呼んで、出エジプト32:29をひろげ、諭すように言われました。「今朝、神さまが、このみ言葉をあなたにあげるように示されたから。」と言って、聖書を開き、読んでくださり、祈ってくださいました。「そこで、モーセは言った。『あなたがたは、おのおのその子、その兄弟に逆らっても、きょう、【主】に身をささげよ。主が、きょう、あなたがたに祝福をお与えになるために。(出エジプト32:29)』」

私には意味はわかりませんでしたが、牧師が神妙な顔をして、この言葉をくださったので、このみ言葉が心の中に植え付けられました。これが私にとって「牧師」への道の第一歩でした。「今日、主に身を捧げよ。」そのように迫られる人がいるかもしれません。

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