阿南神召キリスト教会 礼拝メッセージ

徳島県の阿南神召キリスト教会の礼拝メッセージです

監獄の中でも栄させて下さる神

2017-01-19 22:02:52 | Weblog

2017.1.15.監獄の中でも栄えさせてくださる神

聖書 創世記 39:1~12、20~23

題  監獄の中でも栄えさせてくださる神

 

暗唱聖句

(詩篇1:2~3)

「まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。

  その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」

 

はじめに

ヨセフは17歳の時、兄さんたちによって、売り飛ばされ、エジプトに連れて行かれました。ヨセフはパロに仕える大臣の一人であるポティファルというエジプト人に買われました。ヨセフはポティファルに大変気に入られ、ことのほか愛されました。そして、家のことを全部、ヨセフに任せるようになりました。主人が家のことを全部ヨセフに任せた時から、主は、ヨセフのゆえに、このエジプト人を祝福し、繁栄させられました。家の中のものも、野にいる家畜も、穀物などの収穫物の上にも、神の祝福が豊かにあり、増えていったのです。しかも、ヨセフは体格がよく、ハンサムでした。若くて、賢くて、大変魅力的な青年だったのです。これは神がヨセフとともにおられたからです。

 

1.罪を犯さなかったヨセフ

ヨセフは奴隷であるにもかかわらず、ポティファルに愛され、信頼され、大変魅力的な青年に成長して行きました。ご主人の奥さんはヨセフに目をつけて、ヨセフと特別な関係をもとうと毎日のようにヨセフを誘惑しました。「私と寝ておくれ」とささやき始めたのです。しかし、ヨセフはきっぱりと断りました。彼はご主人の妻に言いました。「ごらんください。私の主人は、家の中の事は何でも私に任せて、気を使わず、全財産を、私の手にゆだねられました。あなた以外には何をしても何も言われません。あなたはご主人の奥様だから、特別です。どうして、そのような大きな罪を犯して、神に罪を犯すことができましょうか。」と言いました。そして、彼は誘惑する主人の妻の近くで昼寝することも、彼女と一緒にいることもしませんでした。

 

2.監獄に入れられたヨセフ

そんなある日の出来事です。彼女は家の中に誰もいないのを確かめると、ヨセフを自分の部屋に呼び寄せ、ヨセフの上着をつかんで、「私と寝ておくれ」とせがみました。しかし、ヨセフは彼女の手を振り払って、逃げ、外へ出て行きました。その時、彼の上着が彼女の手に握られていました。彼女はヨセフの上着を見ると、大きな声で家の者を呼び寄せました。そして、「ヨセフが自分をいたずらするために襲ってきた。大きな声をあげたので、彼は、自分の上着を残して逃げた。」と嘘の作り話をしました。

そして、自分の主人が帰ってくるまで、その上着をそばに置いて、また、うその報告をしました。

主人は怒って、ヨセフを捕らえ、王の囚人たちが入っている特別な監獄に入れてしまいました。

 

ヨセフは兄たちに売られ、エジプトでポティファルに買われ、エジプトの言葉を覚えました。

ポティファルの家で信頼され、幸せをつかんだかのように見えました。しかし、また、窮地に追いやられたのです。

ヨセフは無実だったのにもかかわらず、監獄に入れられてしまいました。

ヨセフの言い分は書いてありません。身分がもともと奴隷なので、何にも言えない立場に置かれたのだと思います。主人は奥さんの言い分を信用してしまいました。

ヨセフは神に対して正しい判断と行動をしました。誘惑をはねのけて、逃げたのです。ヨセフは神の恵みによって生かされていることを知っていました。ですから、人の考えよりも神に喜ばれることを第一に行動することができました。ヨセフは毎日祈っていたからできたのだと思います。毎日「誘惑から守ってください。罪を犯すことが無いように。」と祈っていたことでしょう。

私たちは誘惑が来た時、どのように対処したら良いのでしょうか。

①  誘惑されるような状況に、自分の身を置かない。

②  悪い友人の仲間に入らない。

③  誘惑されるような時には、そこから逃げる。一時的に、友人を失っても、神様が後で新しい良い友人を与えてくださると信じる。

ヨセフは、誘惑に耳を貸すことをせず、彼女と距離を保ち、罪を犯さないように気をつけました。

しかし、彼女はヨセフが自分を捨てて、逃げたので、腹を立てて、彼を陥(おとしい)れました。そうしなければ、自分が、悪い立場に立つことになると思ったのです。自分の罪を隠したのでした。

 

3.監獄のすべての管理を任されたヨセフ

ヨセフは、神にも、ポティファルにも奥様にも何も悪いことはしていませんでした。奴隷の身分でしたから、主人の妻の誘惑を避けることはとても大変でした。奴隷には普通、「自由意思」というものはありません。主人の言う通りに動かなければなりませんでした。しかし、ヨセフが誘惑に負けない高貴な心を持てたのは神の守りと祝福の中にいたからでした。

ヨセフは監獄に入れられて、がっかりしたことでしょう。しかし、神がヨセフとともにおられました。21節「しかし、【主】はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。

 39:22 それで監獄の長は、その監獄にいるすべての囚人をヨセフの手にゆだねた。ヨセフはそこでなされるすべてのことを管理するようになった。

 39:23 監獄の長は、ヨセフの手に任せたことについては何も干渉しなかった。それは【主】が彼とともにおられ、彼が何をしても、【主】がそれを成功させてくださったからである。」

囚人が囚人を管理することなど、考えられないことですが、監獄の長はヨセフにすべての囚人をまかせたのです。そして、ゆだねました。なぜなら、神がヨセフとともにおられ、彼が何をしても成功させてくださったからです。

ヨセフは濡れ衣を着せられても、黙ってその裁きを受け入れました。しかし、神がその裏にいて彼を守り、助けてくださいました。彼の神はいつもヨセフと共にいてくださったのです。まさにインマヌエルの神でした。「主が共におられる」という言葉が39章の中に4回使ってあります。39:2-3,21,23です。聖書を開いて読んでみましょう。ヨセフの神は私たちの神と同じ神です。私たちの神イエス・キリストも、インマヌエルの神です。マタイ1:23を開いてください。この約束の男の子はイエス様ですね。名前はインマヌエル、十字架の上で死んで、よみがえられた主です。よみがえられたので、今も生きておられ、いつもいっしょにいて守ってくださいます。そして、もう一度王の王として来られるお方です。いつ来られるかはわかりませんが、もう再臨の条件は整っているそうです。

 

4.神はヨセフを祝福された。私たちも同じように祝福される。

結論は、神はいつもヨセフを祝福されたということです。なぜなら、彼は誘惑されても罪を犯さなかったからです。神はそんなヨセフを特別に祝福されました。辛い監獄の中でも祝福され、輝いていたのです。今日のヨセフの行動から学ぶところは「誘惑を寄せ付けない、罪から遠ざかること」です。それにはみ言葉を思いめぐらしながら、祈ることです。み言葉は私たちの魂を救う力があります。

(詩篇1:2~3)「まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」

 

5.証(前橋大火)

明治16年、群馬県前橋市で、約千軒の家が燃える大火事、「前橋大火」が起こりました。
その時、四人の男たちが「住吉屋が火元である」と警察に証言しました。

警察から、火の不始末の責任を問いただされると、住吉屋の主人は確信を持って、「自分の家の中からは出火していない」と答えました。

なぜなら、その時、主人は家の中にいたからです。

しかし四人の証言があったので不利でした。

彼がいよいよ有罪になって刑務所に入らなければならない時に、一人の女の子が「実は、火は住吉屋と隣の家の間の路地から出ていた」と証言したので、住吉屋の主人は助かりました。
しかし、町の人々は「住吉屋が火元だ。そのおかげで千軒以上の家が焼かれ、多くの人々が犠牲となったのだ!」という最初のうわさを鵜呑みにしていました。
それで、商売を続けることが出来ず、店をたたみ、夜逃げするように、住吉屋は町を追われたのです

住吉屋の主人である宮内文作さんの心は収まりません。「あの四人のお陰で、私の人生はめちゃくちゃになった」と思い、「日本刀であの四人を刺し殺し、自分も死のう」とまでも考えました。
心は憎しみと恨みで一杯でした。
そんな時、笛木角太郎さんという遠縁の方が尋ねてきました。この方は、大変苦労をされた方で、その苦労の中で教会に導かれクリスチャンになり、今は伝道者として働いておられました。

彼は文作さんを訪ね、「今度のことは、大変でしたね。私は何の援助も出来ませんが、この本を是非読んでいただきたい」と言って、一冊の聖書を渡しました。
その日から、宮内さんは聖書を読み始めました。
読んでいるうちに、イエス・キリストのことばと、イエス・キリストの生き方に感動しました。
「こんな世界があったんだ。こんなすばらしい生き方があるんだ。恨みを持ち続けながら生きるのも一生、それを赦して心軽やかに生きるのも一生」と、イエス・キリストの十字架のことを、まさに御霊が彼に教えてくれたのです。「ああ、イエス様はこんな私のためにも十字架で死んでくださった。それならば、他の人の罪を恨んではならない。赦さなければならない!」
そして聖霊の助けによって、宮内さんは徐々に、四人の人たちを赦せるようになってきたのです。
そして、いくら自分が火元ではないとしても、自分の隣の路地から火が出たなら、いくらかは責任があると思い、火事で親を失った子どもたちを集めて孤児院を始めたのです。

 

それから14年たったある日のことです。
「すぐに来てください。あなたに会いたがっている人がいます」と伝える人がいました。
その人のあとを着いて行くと、宿屋の一室でした。
そこには危篤状態の1人のおばあさんがいました。そのおばあさんは、宮内さんであることを確認すると、虫の息の中で話し始めました。
「実は、私はもうすぐ死のうとしていますが、どうしても、このことをあなたに伝えたいのです。今から14年前の火事は、私が火をつけたのです。あなたには何の恨みもなかったのですが、あなたの隣に住んでいた人に恨みがあって火をつけたのです。あなたには、えらい迷惑をかけました。赦してほしい。一言、あなたに謝らなくては、私は死にきれません」と話してくれたのです。
以前の宮内さんなら、憎しみが燃え上がって、「お前が犯人か」と、その場で殺していたかもしれません。

けれども、キリストによって変えられた宮内さんはこう答えました。

「おばあさん。そういうことなら、もういいよ。あの事件のおかげで、私はイエスさまの恵みの世界、赦しの世界、愛の世界を知ることができました。
今は本当に心が平安で、細々とだけれども子どもたちの世話をさせていただいています。こんな素晴らしい世界にあなたのおかげで導かれたと言っても、過言ではありません。
だから、今ではむしろ、あのことを感謝しています。だから、安心してください」と。

おばあさんはほっとした様子でした。

そして、そのあと、宮内さんはそのおばあさんに、イエス・キリストが自分たち罪人のために、十字架で身代わりに死んでくださったことを話しました。
その話を通しておばあさんは、臨終の床でイエス・キリストを信じ受け入れたのです。
そして、受け入れた途端、穏やかな顔になって、息を引き取られたのです。

 

イエス・キリストを信じて歩む人生は素晴らしい、たとい最後の瞬間であっても、永遠の世界で神の国に入ることができたら何と幸せなことでしょう。私たちが主にあって、この世で味わう平安は天国の前味です。