まさか日本でカルチャーショックを!

日本で技術者→中国広東省にて日本語教師→日本で技術者復帰→技術者+?
旧題名:まさか私が日本語教師に!(NO.3)

それって俺が作り上げたフォームじゃん

2024-09-23 21:59:12 | 行動計画 & 積極的思考

ただでさえ忙しいのに、別の仕事の書類を頼まれた。

まあ、私の得意分野でもあるし、この会社に出向社員でやって来たのは後方支援業務を担当するためであった。

それが転籍した途端、後方だけでなく、前方に上がることも多くなった。

それでも私の持つ能力が活かせのは後方支援業務だと思っている。

 

さて、頼まれた別の仕事の書類作成。

どのように作るかのひな型を送ってもらって噴き出した。

以前私が作り上げたフォームに数値や条件等を置き換えたものがほとんどであったので。

なるほど。

職場に出回っている数種類のフォームのひとつは私の作品。

さまざまな業界の組織でフォームの統一が見られる中、今私が所属する企業では私がフォームのひとつを作り上げてしまったことになる。

 

付け足し。

最近になって気がついた。

いくつかの情報を分析してみると、私の評価って、自分が思っているより高いのかもしれない。

 

とある届出書類を作りかけていたが、暫時提出保留かな。

 

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すべてが終わり・・・

2024-09-15 21:08:50 | 日本での生活

この1年奮闘してきたことがすべて終わった。

終わらせたと表記しなかったのは、すべてが自分の力ではないので。

どんなことも周りの協力が無ければ成り立たないはず。

 

さて、終わらせたのに、相変わらず忙しいという矛盾。

それでも(申し訳ないのだが)ある程度は家庭や自分のことのほうに力を入れていきたいと考えている。

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捨ててしまいたい完璧主義

2024-09-08 18:03:33 | 日本での生活

8月は最後の追い込みであった。

今年はカレンダー上、長い夏期休暇となった会社も多かったのではなかろうか。

私が所属している企業もそうであった。

だが、私は飛び石連休状態にして、半分は出勤していた。

理由は私が責任者となっている仕事の種類書類提出が迫っていたので。

 

休みが明けてからなど、リアルに追われていた。

当然であるが、仕事は他にも数本あるので仕方がない。

 

書類の納品直前になってから、あれこれ修正箇所を発見した。

1日でそれらを修正し、なんとか期日前に書類を納品した。

書類に直しが発生しないわけなどまずない世界。

だが、客先担当者の顔もあるし、自社のブランドもある。

さらにはそこに技術屋としての自分にもプライドが加わり、必死に間に合わせた。

 

おかげで9月に入っての数日は夜も早く帰宅していた。

そして迎えた最終監査の日。

周りは「優秀だ」とほめてくださったが、自分の中では満足していない。

 

しかし、おととい(9月第一週の金曜夜)にはほぼ書類の修正も終わらせている。

後は(終わっても付随の仕事が多少残る業界ではあるものの)電子で納品するだけ。

 

という次第であり、この土日は思いっきり羽を伸ばした。

リラックスできたからだと思う。

あれこれ考えた。

 

中国で仕事をしてから、私は完璧主義を捨てた。

だが、まだかなり残っているようである。

もう少しいいかげんにならないと、倒れてしまうかもしれない。

 

さて、リラックスが優先のこの土日も、お勉強はしていたりする。

何のお勉強かはまたの機会に記したい。

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残業続きであったが、教師業よりは緩いかも

2024-08-31 18:32:51 | いろいろ

1年半前にとある仕事のサポートを任された。

サポートといっても、手を抜く性分ではない。

そのプロジェクトは今まで行ってきた中でも、難しいことは最初からわかっていた。

(頼まれてもいないのに)知らない間になぜだか番頭的な立ち位置となった。

 

ところが、当初のプロジェクトの困難さの解消のために、そこにもうひとつのプロジェクトが発生することになった。

その1年前に発生した私名義のプロジェクトも相当な試練であった。

ただ、(大袈裟かもしれないが)「不惜身命」の想いで奮闘したそれもそろそろ終焉を迎える。

 

とはいえ、複数のプロジェクトを1本と数えると、現時点で当初よりも4倍以上と巨大化している。

そして残りは2倍半以上ある。

というわけであり、私がそこに常駐できる時期までは「堅忍不抜」のアシストしていくつもりでいる。

 

「不惜身命」と記した。

私にも私の人生の計画があるし、老いた親も支えていかなければならない。

さらには元々体が強いほうではない。

それがためにこの1年で何度かダウンして休んでいる。

普段は簡単に病院にも行く時間などない(土曜日もかなり働いていた)わけであり、そのダウンがなければ、とっくに命がなくなっていたかもしれない。

それが決してオーバーな表現でもないことは、この業界の平均寿命をみれば一目瞭然であろう。

 

だがしかし、海外で日本語教師をしていたときに比べれば、休んでも罪悪感が無い。

 

教師の仕事で突然(?)休んだのは、

・ひどい腰痛でほぼ6階勘定になる5階に住んでいるときに降りられず、(上司の配慮で)中国人教師と変わってもらった数日

・体調が悪く、授業と授業の合間に崩れ落ちた日の数コマ

・血圧が危険な状態になったときに病院に行くために休んだ1日

・(自分の身を守るために当時勤めていた学校を去るに当たって〉学校を異動するための健康診断を受けるために、相方の中国人教師と授業を入れ替えてもらった1日

・補習授業スケジュール変更の連絡が無かったため、遅刻して教えられなかった1/3コマ

・同じく数年後の補習授業でも同じことがあり、遅刻して教えられなかった1コマ

 

他に忘れている日があることを含めても、9年間で10日にも満たない。

(普通で考えれば、「当然では?」と思われた内容もあるかも・・・。)

それ以外は、腰が痛かろうが、高熱であろうが、脚が痛かろうが、(当時の)大切な方に何かあろうが、(一時帰国のときに数か月後の)妹の結婚式がわかっていようが、授業中にぎっくり腰になろうが、授業を優先にしていた。

 

↓みなさまは親族の結婚式ぐらい帰国してください。↓

[妹の結婚式のとき、私はたった一人の母語話者教師であり、さらに中国人教師もぎりぎりで動いていたし、ちょうど国同士の関係が悪く母語話者教師がいないと学生の間にも動揺が走ることになる。それ以前に、そんな状況下で国を行き来するのは大変でもある。

妹もその旦那も最初から理解してくれていたが、新郎側の親族からしてみれば「薄情な兄」に映ったに違いない・・・・・・。]

 

ところが、この1年半で、親の入院などへの対応を含め、数日前から前日予告で休んだ2,3日、崩れ落ちたり、倒れたり、「(出勤後に」これは休まないとあぶない」と判断して休んだ3日の計5、6日である。

 

つまり、現在のほうが気楽に休めることになる。

もっとも、5、6日のうちの半分は老いた親のためであり当然の権利である。

 

途中でどうでもよい話を入れたのだが、

この土日は(台風による緊急呼び出しにびくびくしながらも)ゆっくりしているし、来週の土日こそゆっくりするつもりでいる。

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過去バレ・・・?

2024-08-25 18:31:21 | いろいろ

お盆が過ぎてもなお忙し過ぎる生活。

 

ただ、最近感じる。

私の過去(元日本語教師)の噂が幾つかの方向に広がっている・・・と。

別に悪くはない。

自分からべらべら言いふらしているわけではないし。

 

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