1年半前にとある仕事のサポートを任された。
サポートといっても、手を抜く性分ではない。
そのプロジェクトは今まで行ってきた中でも、難しいことは最初からわかっていた。
(頼まれてもいないのに)知らない間になぜだか番頭的な立ち位置となった。
ところが、当初のプロジェクトの困難さの解消のために、そこにもうひとつのプロジェクトが発生することになった。
その1年前に発生した私名義のプロジェクトも相当な試練であった。
ただ、(大袈裟かもしれないが)「不惜身命」の想いで奮闘したそれもそろそろ終焉を迎える。
とはいえ、複数のプロジェクトを1本と数えると、現時点で当初よりも4倍以上と巨大化している。
そして残りは2倍半以上ある。
というわけであり、私がそこに常駐できる時期までは「堅忍不抜」のアシストしていくつもりでいる。
「不惜身命」と記した。
私にも私の人生の計画があるし、老いた親も支えていかなければならない。
さらには元々体が強いほうではない。
それがためにこの1年で何度かダウンして休んでいる。
普段は簡単に病院にも行く時間などない(土曜日もかなり働いていた)わけであり、そのダウンがなければ、とっくに命がなくなっていたかもしれない。
それが決してオーバーな表現でもないことは、この業界の平均寿命をみれば一目瞭然であろう。
だがしかし、海外で日本語教師をしていたときに比べれば、休んでも罪悪感が無い。
教師の仕事で突然(?)休んだのは、
・ひどい腰痛でほぼ6階勘定になる5階に住んでいるときに降りられず、(上司の配慮で)中国人教師と変わってもらった数日
・体調が悪く、授業と授業の合間に崩れ落ちた日の数コマ
・血圧が危険な状態になったときに病院に行くために休んだ1日
・(自分の身を守るために当時勤めていた学校を去るに当たって〉学校を異動するための健康診断を受けるために、相方の中国人教師と授業を入れ替えてもらった1日
・補習授業スケジュール変更の連絡が無かったため、遅刻して教えられなかった1/3コマ
・同じく数年後の補習授業でも同じことがあり、遅刻して教えられなかった1コマ
他に忘れている日があることを含めても、9年間で10日にも満たない。
(普通で考えれば、「当然では?」と思われた内容もあるかも・・・。)
それ以外は、腰が痛かろうが、高熱であろうが、脚が痛かろうが、(当時の)大切な方に何かあろうが、(一時帰国のときに数か月後の)妹の結婚式がわかっていようが、授業中にぎっくり腰になろうが、授業を優先にしていた。
↓みなさまは親族の結婚式ぐらい帰国してください。↓
[妹の結婚式のとき、私はたった一人の母語話者教師であり、さらに中国人教師もぎりぎりで動いていたし、ちょうど国同士の関係が悪く母語話者教師がいないと学生の間にも動揺が走ることになる。それ以前に、そんな状況下で国を行き来するのは大変でもある。
妹もその旦那も最初から理解してくれていたが、新郎側の親族からしてみれば「薄情な兄」に映ったに違いない・・・・・・。]
ところが、この1年半で、親の入院などへの対応を含め、数日前から前日予告で休んだ2,3日、崩れ落ちたり、倒れたり、「(出勤後に」これは休まないとあぶない」と判断して休んだ3日の計5、6日である。
つまり、現在のほうが気楽に休めることになる。
もっとも、5、6日のうちの半分は老いた親のためであり当然の権利である。
途中でどうでもよい話を入れたのだが、
この土日は(台風による緊急呼び出しにびくびくしながらも)ゆっくりしているし、来週の土日こそゆっくりするつもりでいる。