進行性核上性麻痺と闘った父とその家族の記録

進行性核上性麻痺と診断され6年2か月。89歳まで闘い抜いた父、それを支えた家族の記録。

HAPPY BIRTHDAY!87歳

2011-02-19 10:39:14 | Weblog
今日で父は満87歳になりました

このブログのタイトルのところ、4回目の書き換えです


長かったような・・・
あっという間のような・・・


「おめでとう」の乾杯がしたいけど…無理だね



今日は病院へ行くからね~
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ごめんね・・・

2011-02-17 08:15:19 | Weblog
母に「天気もいいし午後病院に行ければ、夕方には迎えに寄れるよ」と朝のうちに電話してみました。


こんなことでもないと母は自力では父のところへ行くことはまずないのです。


腰が痛く、ついつい動かなくなってきた母
家からバス停まで歩いて、バス停から病院まで。

天気が昨日みたいによければ、片道はなんとか・・・
そんな最近の母のことも心配です。


そうは言ったけどどうしただろうかと思いながら仕事をしていると、
午後電話がきました。
「病院に来てるから寄ってね」と。

普段は、誰かに連れて行ってもらうので、気を使って長時間は病院にいません。

昨日は、ゆっくり父のそばにいることができたようです。



母だって、本当は家で父を看たいと思ってます。
父に何かしてあげたいと思っています。


でも、年齢&体力的に無理なのです。

3年前までは母が看ていました。病状が進むにつれ、限界でした。。。


今の病院は、とっても良くしてくださいます。
何一つ不満はありません。


でも、同じ病気の患者さんを在宅介護しておられる方の様子をお聞きすると、
ちょっとうらやましい気がする。ちょっと後ろめたい気がする。




それが正直な気持ちです。


「おとうさんごめんね・・・」
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米寿

2011-02-01 23:37:05 | Weblog
口から食べることも飲むこともできない
病院着の毎日
寝たきりの父にしてあげられること


それは、家族揃って行ってあげることくらい…



先日、家族全員揃うことができました!!!

母・兄・主人・娘・娘夫婦・私
総勢7名で、テカテカツルツルの雪道を父のところへ行きました。
こんな天気じゃなかったらもっとゆっくり病院におれたのに。
みんなが仕事のやりくりをしてこの日に集まることができました。



還暦って、赤いちゃんちゃんこですよね
米寿って、黄色のちゃんちゃんこなの。


娘が準備してくれました。


この日は体調の加減でベッドに座ることはできなかったけど、
かけてあげることはできました。


そして、父が大好きだった焼酎も…
先生のお許しをもらって、少しだけ口に含ませました。

まず、匂いをかいでもらい、口に含ませると、久々に大声が出ました。
まだあんなに大きな声が出るんだ!!!

私の自己満足かもしれない。。。

でも、私には、父が大好きな焼酎をちびりちびりと飲むときの顔が浮かびます。
そして、「あ~美味い!」って言う声が聞こえます。

きっと父は、そんな私の気持ちわかってくれてると思います。
私たちが喜ぶのをみるのが一番うれしそうだった父だから。。。

父が焼酎好きなだけじゃなく、父に焼酎を上げることで母や私の気が楽になること・・・
それもきっと父はわかってくれると思います。
母が何度も何度も言います。もう何年も口から食べてないよねって。
何かを上げたいんです。



春になって暖かくなったら、また少しだけでも家に帰ろうね!!!
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