雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

本と映像の森 特別編 一色まことさん著『ピアノの森』今週はパン・ウェイが変貌!

2012年08月31日 06時11分05秒 | 本と映像の森

本と映像の森 特別編 一色まことさん著『ピアノの森』今週はパン・ウェイが変貌!

 「ピアノの森」連載の最新情報。憬れのあじのさんとショパンコンクール最終日の自分の演奏の直前の前に話したパン・ウェイは、それまでの孤高のクールな演奏が変化して、自殺した母親にも感謝しながら、生きていること、ピアノを弾くことを楽しむ暖かな演奏に変化し、聴衆を最高の境地に誘います。

 ボクはストーリー的には、カイとパンが直接話をして、同じような境遇であることを確認してパンの演奏が変化する、という予測だったのですが、あじの先生とパンが直接話をして、あじの先生の適切なアドバイスでパンが変貌するというお話は「想定外」でした。でも、納得です。

 審査員の一人は「雨宮に続いて、パンもか:と驚きます。

 パンの演奏をを聞いて、雨宮もカイも感動します。カイはパン・ウェイのすぐ後の演奏ですが、どうカイの演奏が変化するか?みものです。

 ある意味では、完璧なテクニックではまさっているパン・ウェイの演奏が、カイの演奏に近くなったわけですから、さあ、カイはどうする?

 カイなら、たぶん「比較しちゃいけない。ぼくはぼくのピアノを弾く」と言って、演奏を始めるのではないかな?

 最近「幸福指数」というのがあるようだけど、「幸福」は指数で数字にして比較してはいけないと思います。つまり「コンクール的」「数字化」の否定、それが「ピアノの森」の主題の一つでしょうか。

 パンにとっても、カイにとっても、あるいは雨宮にとっても、もう優勝かどうか、順位などどうでもいい、そういう高みに3人は達しているというまとめで「ピアノの森」は終わるのかな?違うでしょうか。

 悲劇的な結末もありそうな展開でしたが、ぜひ幸せな結末で締めて欲しいです。

 本と映像の森33 一色まことさん著『ピアノの森1』講談社 2010年04月30日 04時56分05秒 

 本と映像の森100 一色まことさん連載「ピアノの森」で雨宮修平、よみがえる 2010年11月11日 05時58分32秒

 


雨宮日記 8月29日(水)の2、夜 自宅のクスノキでアオマツムシの声が

2012年08月30日 05時55分14秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 8月29日(水)の2、夜 自宅のクスノキでアオマツムシの声が

 今朝は、少し遅くまで起きていてパソコンを打っていたので、寝る時間が遅くなり、午後4時頃、則子さんが「まだ寝ているの」と起こしに来ました。夕方は別に用事はないので、寝ていてもいいのですが、則子さんにすると「飲んだくれて、いつまでも寝ていて」という気分のようです(推定)。

 夕食を食べて、則子さんと午後7時頃、車ででかけようとしたら、家で一番大きな、小さなクスノキから、アオマツムシの声が聞こえました。20数年住んでいる家ですが、初めてです。

 都会でどんどん分布を拡げている、元気なアオマツムシです。住み着くんでしょうか。数日前に、次女が則子さんに「この虫の声、なんていうの?」と聞いたそうです。

 ☆

 南海巨大地震M9.0での被害予測が公表されました。以前の予測より死者が数倍になり、新聞では「衝撃」と書いてありました。政府が発表しないと、みんな信じないのでしょうか?個々の科学者の予測の通りと思うのですが。

 


雨宮日記 8月29日(水)早朝 帰宅したら則子さんのバイクに買い物の「サンマ」が

2012年08月29日 06時26分23秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 8月29日(水)早朝 帰宅したら則子さんのバイクに買い物の「サンマ」が

 まだ昼間は暑くて不安定な天気です。とてつもない910ヘクトパスカルの台風が沖縄を直撃して韓国へ達しています。

 昨夜12時頃に、仕事に出かけようと玄関を開けたら、猫がいて驚いたのか、植木鉢に頭をぶつけたような「ガン!」という音がして猫は遁走しました。ドジな奴と思って出かけました。

 ところが朝6時頃、明るくなって帰宅したら、則子さんのバイクの買い物籠に「サンマ」の1匹分が乗っていて、下に1匹分のケースだけが中身はなくなって落ちていました。

 ははあ、昨夜の猫ちゃんは、このサンマ1匹分を食ってお腹いっぱいのところを急にボクが来たので、慌ててしまい。植木鉢に頭をぶつけながら逃走したのでしょうか。

 猫はサンマを骨まで食っちゃうんでしょうか?蔭も形もありませんでした。

 すべて、実話です。

 今、則子さんが残ったサンマを焼いている匂いが2階まで漂ってきます。

 「さんま、さんま、
  さんま苦いか 塩つぱいか。
  そが上に熱き涙をしたたらせて さんまを食ふは
  いづこの里のならひぞや」(佐藤春夫)

 サンマというと、やはり東北地方。東北地方のサンマの放射能は、どれくらいでしょうか?

 サンマを漢字で書くと「秋刀魚」、今頃は北海道釧路沖まで南下してきて、9月には三陸沖、10月には銚子沖までやってくるそうです(日本気象協会編『季節と暮らす365日』アリス館、2009年、p96)

 なお、則子さんが買って来た秋刀魚は今年の東北の秋刀魚ではなくて、たぶん、昨年採れた「冷凍魚」でしょうね。

  ☆

 家の中や、書物を片付けています。今日は、傑作コミックの『日本沈没』を第1巻から第15巻(第1部完結)までそろえて、階段にワンセットで置きました。

 


浜岡原発ニュース 8月27日 川勝平太静岡県知事が浜岡原発住民投票に「賛成」と

2012年08月28日 06時01分26秒 | 浜岡原発ニュース

浜岡原発ニュース 8月27日(月) 川勝平太静岡県知事が浜岡原発住民投票に「賛成」と

 実はぼくも則子さんも、浜岡原発住民投票条例を求める署名運動を「受任者」になってしてきましたが、ここには書いてきませんでした。それは、まず静岡県知事が反対意見を出し、静岡県議会で否決されるであろという、ほぼ誰もが認める見通しがあったからです。

 署名は、自分たち夫婦としては力を入れて、家族・親族や友人・知り合いから数十人を集めました。

 きのう、なんとニュースで川勝さんが住民投票に「賛成」という嬉しい話を聞きました。

 27日の定例記者会見で、川勝知事は「できる限り尊重したい。条例が制定されて住民投票がなされる選択肢を優先させて議論を進めたい」と述べました。

 直接請求に必要な法定数である有権者数の50分の1は6万1541人です。有効署名は16万5127人でした。

 もしかして「住民投票」が実現するかもしれませんね。そうなるといいですね。

 政府や県知事への署名運動や、官邸前行動や、各自治体での行動、裁判など、いろんな、多種多様な行動が必用だと思います。住民投票はその一つで、それだけで浜岡原発がなくなるわけではないですが、みんなに考えて発言する機会を与える意味で、住民投票の実現を、ぼくも心から希望します。

 


原発と放射能の本 12 黒田和夫さん著『17億年前の原子炉』ブルーバックス、講談社

2012年08月28日 05時43分14秒 | 原発を考える1

原発と放射能の本 12 黒田和夫さん著『17億年前の原子炉 ー核宇宙化学の最前線ー 』ブルーバックス、講談社、1988年(昭和63年)2月20日第1刷、新書版、204ページ、定家580円

 本を片付けていたら、やっと探していたこの本が出てきました。

 戦後、アメリカに渡って核宇宙化学を追究し続けた著者の「謎解き」本です。推理小説のように、いや推理小説以上におもしろいです。ただし、化学式や元素のデータを自分で考えてみる人には、です。

 「超新星カリフォルニウム254」仮説、「プルトニウム244」の謎、ゼノンの謎、「17億年前の天然原子炉」の謎…などなど。

 とくに黒田さんは、むかし地球に天然原子炉が存在した可能性を理論的に証明した論文を書き、その後に、アフリカのガボン共和国のオクロ鉱山のウランが、17億年前に天然原子炉だったことが実証されました。

 いまはウランの中の、核分裂しやすいウラン235は0.7%ですが、ウラン235は半減期が短いので、むかしはもっと多量にありました。20億年前にはいまの10倍近くの6%ですから、原子炉級の濃縮ウランです。

 それが、生命により酸素が発生したことで酸化ウランになり、水で堆積して、一定の量が地層に蓄積したことで「天然の原子炉」となる条件ができたのです。

 つまり、シカゴでフェルミさんが創った黒鉛原子炉は「地球最初の原子炉」ではなかったのです。

 

 


雨宮日記 8月26日(日) 則子さんと湖西市アメニティセンターでの「原爆と人間展」に

2012年08月27日 05時46分52秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 8月26日(日) 則子さんと湖西市アメニティセンターでの「原爆と人間展」に

 昨夜の夜、ボクの還暦お祝い会の終わった後の、則子さんとボクの会話。

 則子さん「明日ぐらいしか、行く時がないんだけど」ぼく「行こうか」則子さん「でもお酒が残ってたら嫌だから」ぼく「それって、今から朝までボクが飲むって言う前提でしょ。今夜のシンデレラタイム以後は飲まないって」則子さん「でもこの前の土曜日の夜は一端寝てから、日曜日の早朝にまた起きて、飲んだでしょ?」ぼく「先週はね…今週はもう12時で終わるから」則子さん「いいわ。じゃあ、行きましょう」

 まあ、則子さんには「アルコール依存症」に、かなり近いと思われていますので。

  ☆

 約束通り、しらふで起きて、午後2時ごろ車で家を出ました。ボクが起きたときに、則子さんが「暑いから、車の窓を開けておいてね」と言ったのを聞いたのに、お風呂でシャワーを浴びたらすっかり忘れてしまって、叱られました。ごめんなさい。

 出発した直後に、ガソリンが4分の1しかないのに気づいて「則子さん、ガソリンがあまりないよお」と弱気で言ったら「じゃあ、入れていきましょう」とあっさり言うので則子さんが指定した上島6丁目のガソリンスタンドに行って、自分で入れるのを覚えました。でも、ボクは器械と対話するのは好きではないです。マンツーマンの給油の方が好きです。

 則子さんが、冷凍庫で凍らせたペットボトルのお茶を持ってきてくれたので、凍ったお茶が溶けた冷たいお茶を少しづつ飲みながら車を走らせました。

 地図を見ながら、記憶をたどりながら、湖西市のへんぴな所にある「アメニティセンター」へたどりつきました。日曜だからか、いっぱいある駐車場が一杯で、空きを見付けるのが大変でした。

 車を降りると、周囲は森林で、「オーシンツクツク」「オーシンツクツク」とツクツクボウシの声だけがこだましていました。浜松の街中では聞けないセミです。

  ☆

 「原爆と人間展」会場へ行って、則子さんと二人で、折り鶴や閲覧書籍の整理をしたり、見てくれている人たちに説明をしたりしました。ここは水泳プールや体育館があるので、子どもと一緒の家族連れや、若い女子高校生たちとか、返りに見て行ってくれます。

 練習帰りの女子高校生2人が「どうだっけ」と言いながら鶴を折ってくれました。

  ☆

 湖西からの帰り道、舞阪の旧道に入って、海産物屋に入って、シラスと干し魚を買いました。父が「あったら買って来て」と言ってたアサリがありませんでした。

  ☆

 夕方、今月の給料をもらいに、事務所へ。帰って来て、則子さんに「はい、今月の分」と渡しました。わずかで、すみません。

 夜、最近はまっているテレビ番組「サマーレスキュー」を見ました。山の診療所の物語ですが、一人ひとりの人格と体験の描き分けがよくできていて「みんなが主人公」という感じがあって、ずっと見ています。あと、何回なんだろ。

  ☆

 今日から、ボクの通常の服装だった「カメラや携帯を入れるポケットの多いベスト」を止めて、長女夫妻がプレゼントしてくれた「ポシェット」にしました。

 


雨宮日記 8月25日(土) ぼくの「還暦祝い」を長女夫妻が祝ってくれて…

2012年08月25日 21時22分43秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 8月25日(土) ぼくの「還暦祝い」を長女夫妻が祝ってくれて…

 家の近くのおこのみやき屋「こなこな」で、ぼくの60才の「還暦祝い」を長女夫妻がやってくれるというので、嬉しくなって受けました。

 今夜のメンバーはぼく、則子さん、父、長女夫妻、次女でした。

 約2時間、飲んで食べて、いろいろお話をしました。楽しかったです。

 写真は、長女夫妻と、次女と父からもらったプレゼントです。ありがとうございます。

 


雨宮日記 8月24日(金)夜 たんぽぽ保育園へ佐治さんの紙芝居を聞きに行きました

2012年08月25日 05時41分07秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 8月24日(金)夜 たんぽぽ保育園へ佐治さんの紙芝居を聞きに行きました

 則子さんが「たんぽぽ保育園に、佐治さんが来るの。聞きに行く?」と言うので「もちろん!いきます」と答えて、夕食を早めに作って、父はまだ寝ていて起きてこないので、2人だけで食べて、午後5時半頃、車で家を出ました。

 佐治さんは、いま24才の若い女性で、西伊豆町のお寺の住職さん(家を継いだのです)です。小学生の時に、広島で白血病で亡くなった少女さだこさんの物語を読んで、12才でさだこさんと折り鶴の紙芝居を書いたのが、始まりだそうです。

 則子さんは、2010年にアメリカ・国連本部で開かれた「核不拡散条約再検討会議」に、日本原水協代表団の一員として浜松市原水協代表として参加、そのときに、佐治さんといっしょに旅をしました。

 今日は会場に、原水協のパネルや、則子さんが管理している千羽鶴を飾るために、早めに行ったので、佐治さんがたんぽぽに到着したときに迎えることが出来ました。

 佐治さんは、則子さんのことを覚えていてくれて「あ!雨宮さん」と。則子さんは感激してました。

  ☆

 たんぽぽ「平和のつどい」は、則子さんが園長だったころにもやっていたので、それからずっとやっているのでしょうか?やっぱりたんぽぽだなあと感激しました。子どもたちの声のうるささも、やはり昔からのたんぽぽの伝統ですね。でも、うるさいのは、うるさいよ。

 司会の、お母さんの声が聞こえませんでした。

  ☆

 則子さんや、被爆者の会の大和さんは今までに聞いたことがあるのですが、ぼくは初めての、佐治さんの紙芝居でした。とってもよかったです。

 そして、たんぽぽの子どもたちと母親と先生の歌もよかったです。デジカメの動画で、佐治さんの紙芝居の一部と、合唱のほぼ全体を撮影したので、たんぽぽに寄贈しようと思います。

 ☆

 則子さんと、いろいろ、話しました。則子さんの感激や、行動派の則子さんにしては珍しい冷徹な分析、則子さんの秘書・参謀としては「うん、ぼくの司令官、則子さん、前進してるな」ということで、嬉しいです。

 

 


原発と放射能の本 11 広河隆一著『チェルノブイリから広島へ』岩波ジュニア新書、1995年

2012年08月23日 06時10分41秒 | 原発を考える1

原発と放射能の本 11 広河隆一著『チェルノブイリから広島へ』岩波ジュニア新書、1995年

 いま福島原発事故の放射能について、心配しなくてもいい、という学者達と、人間の健康に危険だという科学者の意見の相違は、昨年から私たちがよく体験し、この2種類の学者の違いは何なんだろうと、考えてきたと思います。

 その違いが、すでにチェルノブイリ事故や、はるか以前の広島原爆の時から、ずっと続いていたことを、著者の広河さんの実体験と詳細なデータに基づいてわかりやすく解明した、とてもいい本です。

 この本が1995年に出版されていることに、とくに留意してください。ぼくがこの本を買ったのは何年なのか、わかりませんが、たぶん興味があって買ったのだと思いますが、入念に読んだ記憶や形跡がありません。残念ながら。

 広島、チェルノブイリ、福島と続く、事態を防げなかったのは、多くの人がそうだと思いますが、痛恨の極みです。ずっっと、何もしてこれなくて、ごめんなさい。

 


遠州の遺跡・寺社 90 中区萩丘2丁目の豊成神社

2012年08月23日 05時54分11秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社 90 中区萩丘2丁目の豊成神社

 浜松市中区萩丘2丁目36-1で、コープ小豆餅店の少し南にあります。行って見ると、かなり新しい社殿で何も説明がありませんでした。何組かの母子がいて、子どもたちがあそんでいました。公園代わりですね。

 社殿は南向きです。

 家に戻って『浜松市神社名鑑』を見たら掲載されていました(p76)。それによれば祭神は「イザナギ、イザナミ、桓武天皇」です。「イザナギ、イザナミ」と「桓武天皇」の組み合わせが、なぜなのかわかりません。

 例祭日は10月9日です。

 元々は「浜名郡曳馬村大字一本杉(現在の上島町)」にあったのを、ここにいつか分かりませんが、移築したと書いてあります。

 ネットで「豊成神社」を検索しましたが、この「豊成神社」以外には、同名の神社は発見できませんでした。

 


遠州の遺跡・寺社 89 中区泉2丁目の和泉神社

2012年08月22日 05時57分29秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社 89 中区泉2丁目の和泉神社

 泉地区を南北に通る幹線街道の「金指街道」の西にあります。「和泉会館」の敷地内です。南向きと思っていましたが、詳細地図で見ると、すこし偏っているかも知れません。調べます。

 神社にあった説明によると、祭神は「① 白山姫命、② 応神天皇、③ 神功皇后、④ 乃木希典」です。やはり、「白山姫尊」が、元々の神さまでしょうね。

 応神天皇、神功皇后は、白山姫命が神社で生き延びるための根拠であり、乃木希典さんは20世紀ですから補足ですね。

 白山姫は、北陸の山・白山に住む女神ですが、白山姫が何者か、ということは、一筋縄では解明できない謎だと思います。

 8世紀に確立した日本国=ヤマト国家や、その公認神話『古事記』『日本書紀』からは、無視された、偉大な女神であることは間違いないと思います。

 白山姫の「白」は「新羅」の可能性もあると思いますが、まだ、よくわかりません。

 


雨宮日記 8月21日(火) 夕方はキレイというより恐いくらい美しい夕陽で…

2012年08月22日 05時40分34秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 8月21日(火) 夕方はキレイというより恐いくらい美しい夕陽で…

 則子さんは、ずっと「折り鶴」の補正折りに没頭しています。則子さんのお母さんのふでさんが目があまり見えなくなっていた晩年に、平和運動をしていた娘(則子さんのことです)のために、折ってくれた折り鶴です。少し歪んでいたりして、則子さんが修正して折りなおして、糸に通して「千羽鶴」にしています。

 秋に、2人で広島へ旅をする予定なので、そのときに持って行こうねと言っています。

  ☆

 夏は暑くて「遠州の遺跡・寺社・古墳」の旅をしていなかったので、今日は、家の近くのまだ行っていない神社に行きました。同じ中区の萩丘と泉なので、1時間くらいで家に戻れました。

  ☆

 夕方、暑くて、涼みに玄関から出ると、西の空が夕焼けでキレイだったので、家の中に戻ってデジカメを持つと、則子さんに「夕陽がきれいだよ」と言って、外に出ました。家からでは見えにくいので、馬込川まで行って写真を撮ろうとしたら、家を出た則子さんは、付いて来なくて、あきれたように家に入ってしまいました。

 則子さん、好奇心と野次馬根性こそ、歴史の前身の原動力なんですよ!

 しばらく夕陽を見ていると、色彩が凄くて、何か、恐ろしいことが起こりそうな…予言・予告みたいにも感じました。

 


雨宮日記 8月20日(月) 則子さんは湖西へ「原爆と人間」展の準備に

2012年08月21日 06時13分22秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 8月20日(月) 則子さんは湖西へ「原爆と人間」展の準備に

 午後、ボクが目が覚めると、すでに則子さんはいませんでした。今日は湖西市アメニティセンターで、「原爆と人間」展の準備です。被爆者の会の大和さんの車で行きました。

 被爆者の会西遠支部と、西遠平和行進実行委員会主催、静岡県・湖西市後援です。湖西の平和行進関係者や、会場のアメニティセンターの方にも手伝って頂いて、準備は無事終わりました。

  ☆

 テレビでは、尖閣列島の魚釣島に、日本人の市議などが上陸と、言ってます。まだまだ、東アジアの人類は屋番で、北朝鮮にしても、竹島に固執する韓国大統領にしても、香港船の出航を黙認し、中国市民のデモを黙認する中国共産党政府にしても、感情が支配していて、理性は遠いですね。

 自分の結論だけを他人に、押しつけようとする傾向が、両側でひどくなっているのではないですか。、

 そんな感じがしますが、もっと考えていきます。


遠州古代史 三方原古墳群出土の「七鈴鏡」は関東「鈴文明」との関係?

2012年08月21日 05時47分28秒 | 遠州古代史

遠州古代史 三方原古墳群出土の「七鈴鏡」は関東「鈴文明」との関係?

 浜松楽器博物館で開かれている古代琴の展示を見に行ったら、音の出る楽器つながりでしょうか、三方原古墳群出土の「七鈴鏡」が展示されていました。

 この「鈴鏡」は周囲に鈴が7個ある「七鈴鏡」ですが、各地で出土する「鈴鏡」の鈴の数は3個から9個と、変化します。

 鈴鏡の7割は関東に、とくに北関東の「上野」国と「下野」国に集中しています。

 考古学的な分布観からいえば、こういう「鈴鏡」分布から、「鈴鏡」文明があり、その中心は「北関東」にあったというのが普通の結論だろうと思います。

 ところが学会では、鏡は 日本列島の一定の中心地で独占的に輸入あるいは作られ、① 輸入の舶載鏡、② 国産の鏡、③ 国産の鈴鏡の順序でつくられ、それが東日本に一番遅れて供給されたから、見かけの中心地が北関東になるのだということのようです。

 ネット「考古学データの“裏”を読む ~「ある・ない」論の墜とし穴~」公正徹箭。「古墳時代、関東に「鈴の文明」圏があった?」参照

 あるいは、鈴鏡が好きな関東人がヤマトから輸入したとか。

 そんなの、ありでしょうか?

 普通の考えでは、これらの鈴鏡は、北関東を中心にしたどこかで作られた、というのが理知的でしょう。

 そして鈴鏡の最盛期である5世紀の関東古墳史を分析することが大事だと思います。

 もうひとつだいじなのは、「鈴」は、鏡だけではなく、馬具についた鈴がたくさんあります。つまり鈴のついた馬との関連も、これから考えたいと思います。

  ☆

 浜松人にとってだいじなのは、古墳時代に、関東と浜松など東海地域が強く結びついていることです。

 なお、写真はピンぼけでした。ごめんなさい。


古代史考 マザーグースの葬送歌と『古事記』の葬送歌と萩尾望都さん『小鳥の巣』

2012年08月20日 06時34分21秒 | 古代史を考える

古代史考 マザーグースの葬送歌と『古事記』の葬送歌と萩尾望都さん『小鳥の巣』

 少し、自由に、日本の古代史について、書いていきます。

 イギリスの童謡「マザーグース(直訳すると「母さんガチョウ」)の中に「誰がクックロビンを殺したか」という有名な歌があります。

 「クックロビン」は「雄の駒鳥」のことです。

 以下、訳して見ました。

  誰が 殺した クックロビン、それは私、とスズメが言った、私の弓と矢で、私が殺した クックロビン

  誰が 死ぬのを 見た?、それは私、とハエが言った、私の目で、私が見た、彼が死ぬのを

  誰が 受けた 彼の血を?、それは私とサカナが言った、私の小さな皿で、私は受けた、彼の血を

  誰が つくるの 白い死に装束?、それは私、とカブトムシが言った、私の鍼と糸で、私は作る、死に装束

 まず、この歌をテーマに使った推理小説が、ヴァン・ダインさんが1929年に発表した『僧正殺人事件』です。そして、日本では、漫画家の萩尾望都さんが『小鳥の巣』のなかで使ったので、ボクは初めて、マザーグースの「誰が殺したクックロビン」を知りました。

 ドイツのギムナジウムで、14才の少年たちが織りな思春期の切ない物語です。「小鳥の巣」は、連作「パンパネラ」一族のシリーズなのですが、吸血鬼として永遠の生を生きる、主人公のエドガーやアランと、つかのまの青春を生きる少年達との対比が印象的です。

 「小鳥の巣」は、ロビン・カーが飛び降りてしまったあと、遅れて、学園にやってきたエドガー・アランと、在校生のキリアン、マチアス、テオとの興隆と確執が悲劇に終わります。なにが悲劇か、作品を読んでください。

 「日本古代史考」なのに、何が関係アルの?

 実は、『古事記』に、似たような物語があるのです。

 高天原の神々が、ニニギさんを派遣する前に、実は何人も派遣して失敗していました。その一人が「天の若日子」さんでした。ところが派遣された天の若日子さんは、大國主の娘の下照る姫さんと結婚してしまい、住み着いてしまいました。

 若日子さんが、高天原から「どうなってんの」と派遣された女性を射殺した矢が天井に届いて、そ れを最高責任者の高木神が投げ返したら、若日子の心臓を貫いて死んでしまいました。

 そこで「若日子が死んだ場所に、もがり屋を建てて、鴈を食べ物を備える役に、サギをほうきで掃き清める役に、カワセミを料理を作る人に、スズメを碓をつく女に、雉を泣く女の役に定めて・・・

 ユーラシア大陸の東の端と・・・西の端と・・・何か関係あるんでしょうね。

 ところで、アランは途中で、不慮の事故で消滅しちゃったけど、エドガーは物語の中では・・・2012年の今も。生きているはずです。いまも、10代の若い姿のままで……。

 初めて「ポーの一族」シリーズを読んだ時は、たぶん20代でしょうか。今は、ぼくも、もうじき60才です。

  ☆

 萩尾さんが「クック・ロビン」と書いて「コック・ロビン」と書かなかったのは、たぶん「コック=男性器」というイメージがあって、ドイツのギムナジウムの14才の少年達のイメージと、かなり違うと云う判断でしょうか。