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【歴史ミステリー】坂本竜馬暗殺は、本能寺の変の復讐劇??

2014年07月09日 21時39分34秒 | Weblog

 「本能寺の変」の発生原因やその後については、本ブログでも触れたが、実はこの事件の数百年後、この復讐劇と思える事件が発生しているのである。それは、幕末の志士であり、明治の時代を打ち立てるのに貢献した坂本龍馬の暗殺劇がそれである。一見すると、「本能寺の変」と「坂本龍馬暗殺」という2つの事件は、全く相関関係が無いように思えるのであるが、実は違うのである。
 幕末の志士で、薩長同盟を成立させ、近代に日本の礎を築いた坂本龍馬は、実は「本能寺の変」に大きく絡む明智光秀の子孫だったのである。坂本龍馬は、滋賀・坂本出身であり、自身が名乗った姓の坂本は、明智光秀の居城である「坂本城」の坂本から命名された姓であるというのである。坂本龍馬の直系は坂本太郎五郎であり、この人物が初代である。明智光秀の親戚であった明智光利は、本能寺の変で真っ先に本能寺に討ち入った直系士族で、この人物と坂本太郎五郎は親戚関係にある。要するに、明智光秀の子孫が坂本龍馬なのである。その証拠に、明智家と坂本家の家紋は非常に似ている。明智家の紋は、「桔梗紋」であり、坂本家の紋は「二重枡の桔梗紋」なのである。実に似通っているのは、強い血縁関係にあったことが分かる。
 そして、この坂本龍馬を暗殺した京都見廻組の所属志士である今井信郎は、坂本龍馬の暗殺に直接加わった7人の京都見廻組のひとりであったようだ。このことは、明治政府の取り調べで、本人から調書が取られているので明白である。この京都見廻組は、ある人物が勘定奉行になった時に100人体制に大増員されていた。その当時は幕府の財政が逼迫していたにもかかわらずである。その人物は、あの「本能寺の変」で殺害された織田信長の直系の子孫である織田泉之であった。何故、この人物が勘定奉行になった時に、京都の治安を守る京都見廻組が大増員されたのか?が不思議である。しかも、この大増員の時に今井信郎が志士に加盟しているのである。
 結局は、織田信長の子孫である織田泉之が勘定奉行(現在の財務大臣)の時に京都見廻組を増強し、あの「本能寺の変」の首謀者である明智光秀の子孫である坂本龍馬を暗殺したのである。しかも、明治政府にたてついた江戸幕府の組織に所属していた志士は極刑となっているのに、今井信郎は、静岡藩に預けられ、後には村長にまでなっている。なぜ、このように処遇が違っていたのか?それには、西郷隆盛がかかわっていたという。今井信郎への厳罰を回避するように西郷が画策したという。全く今井信郎と面識の無かった西郷隆盛が、何故これほど今井を守ろうとしたのか?今井の動きの背後には、西郷の薩摩藩が動いていたということもささやかれているのである。坂本龍馬暗殺の実質的黒幕は、西郷隆盛だったかもしれない。


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1 コメント

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Unknown (歴史大好き女子)
2020-01-02 17:09:24
坂本龍馬って土佐の出身じゃないですか?

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