葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

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青山軍用停車場のレール

2011年02月11日 | 歴史探訪<赤坂・青山・原宿・四谷>

日清戦争開始前に甲武鉄道の信濃町駅から千駄ヶ谷駅間に青山軍用停車場がつくられた。そして東日本の軍隊を青山練兵場で訓練させるための大砲などの兵器、砲弾、弾薬を扱う輜重大隊が線路を挟んだ北側の四谷区大京町に駐屯した。

甲武鉄道四ッ谷駅付近(後ろに市ヶ谷台の陸軍士官学校の建物が見える)

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青山軍用停車場

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現在も残る、慶応病院から神宮外苑へ渡る歩行者専用の大番町跨線橋(古地図には三本の跨線橋が見えるがこの跨線橋だけが残ったようである)。国鉄民営化の時に、国鉄から新宿区に移管したいと打診があったが、将来の維持管理に莫大な経費が掛かると考えて断ったそうである。(当時の土木係長の証言)よってJR東日本の所有物である。

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慶応病院駐車場と創価学会民音会館(財団法人民主音楽協会)との間にある「陸軍省所轄地」の境界石(管理人が発見し、新宿区は平和マップに掲載)

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明治天皇が崩御したときの葬場は青山練兵場で執り行われ、遺体は京都市伏見桃山御陵に納められた。以後政府は代々木に明治神宮を建立し、青山練兵場跡に神宮外苑と聖徳記念絵画館を建設した。練兵場は新たに代々木につくられた。現在の日本放送協会や代々木体育館付近である。輜重大隊は世田谷に移転し、跡地には慶応義塾大学が医学部と付属病院をつくった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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