秋季展覧会『藤田傳三郎の想い』 藤田美術館 サイト
※12月9日(日)まで
藤田傳三郎さんの生誕170年と没後100年を記念誌、昨秋から続いた三部作の展覧会も今回がラスト。
最終回は後を継いだ人たちにスポットが当てられた。
藤田傳三郎さんは1841年~1912年。(ちなみに、同郷の伊藤博文も同じ年の生まれだそうだ)
長男の平太郎さんは1869年~1940年、次男の徳次郎さんは1880年~1935年。
三男の彦三郎さんは1882年~?(没年の記載なし)
そして、平太郎夫人で昭和29年(1954年)に美術館を設立した冨子さんゆかりの品も。
で、今回は傳三郎さんの没後に平太郎さんが買った道具と傳三郎から伝えられたものが中心。
面白かったのは解説文でいくらで落札されたのかの記載があること。。
例えば、国宝の曜変天目は大正7年(1918年)に水戸徳川家の売立において、5万3,800円で落札。
同じ売立では古井戸茶碗「老僧」も落札しているんだけど、井戸の方がお高くついたらしい。
なぜ、国宝の方が安いのか。
学芸員さんによると「既に曜変天目は鑑賞用だったから」。
つまり、実際に茶席で使える“実用的な”道具の方が値段が高かったそうだ。
だから、大正14年(1925年)に井上家の売立で落札した御所丸黒刷毛茶碗「夕陽」も10万9,500円だし、
同じ売立の砧青磁茶碗「満月」も16万8,000円だったりする。
ちなみに、大正12年(1923年)に若州酒井家の売立で野村得庵と競り合って、くじ引きで落札したという
国司茄子茶入は20万円
現在の金額換算が出来ないので、どれくらいに高いのが全くわからないから、ピンとこないけれど
さて、いつもは展示品を見て、解説文を読んで、メモをまとめて終わりなんだけど、
展示解説を聴けるということで、しばし待ち時間。
ただ、待ってるのも時間がもったいないので、茶会記を見て過ごした。
藤田美術館に限らないけれど、近代数寄者たちは高い名物を落札しては、
それを披露する茶会を開いていたようだ。
とくに藤田家の場合、明治42年(1909年)に土地を購入して、広大な屋敷(=綱島御殿)を建てていたし、
東京にも屋敷を持っていたし。(それが椿山荘)
ただ、倉に収蔵していたために道具は戦火から免れていたけれど、茶会記は空襲で燃えてしまった。
ただ、東都茶会記(明治44年~大正8年)、大正茶道記(大正9年~15年)、昭和茶道記(昭和元年~2年)に
掲載されたものから、当時の道具組を偲ぶことはできる。
たしか11件くらいの会記を印刷したものが閲覧できるようになっていて、
パラパラと捲っていくと、藤田所蔵の道具からチラホラと出てくる。
(前回~つまり春に訪れた時は傳三郎追善の茶会記を基に構成されていて、興味深く鑑賞できた)
その会記から印象に残ったものをメモした。
まず、大正5年の11月21日の綱島大茶の湯。(東都茶会記から)
長次郎の赤楽茶碗「早船」が出ている。←現在は畠山記念館所蔵。
懐石だか点心が出されたようで、メニューの中に「法蓮草」。
「あぁ、ホウレンソウって、漢字で書くとそうなんだぁ」と妙なところに感心した。
道具では水指が木地曲で蓋置がポンペイ出土の青銅。
え? この時代ってポンペイ遺跡の発掘ってしてれたの?
学芸員さんに尋ねると「してます」。
後から調べると、確かに18世紀から発掘調査は行われているようだ。
それにしても、出土品を見立てで道具に使う感覚って、斬新
残念ながら、5,000点ある収蔵品の中にこの蓋置はないとのこと。
次は大正10年10月25日の綱島晩秋茶会。
炭斗は滝本坊。つまり松花堂昭乗ゆかりの品。
四方盆は「五郎」。つまり、塗師の羽田五郎作。
掛け物は利休の消息「松茸の文」。
松茸が入手できたので、近く参上します~という内容。
これは所蔵しているし、時々、展示してますヨとのこと。
そういわれてみれば、見たことあるかも~。(※2010年秋に見ていた! ↓バックナンバーリストから参照してね)
利休の消息は「○○もらってありがとう」という内容がけっこう多くて(サンリツの雁取とかね)、
現代のEメール感覚に相当する?お手紙、いいなぁと思う。
そして、大正15年5月18日の綱島東邸夜会。
寄付に宗旦の消息。内容が「烏帽子が出来た」と報せるもの。
そして、本席に入れば床に宗旦作の竹一重切花入「烏帽子」。
カッコイイ
でも、いずれも現在は藤田の所蔵品にないそうだ。
道具って、大正時代はまだ流れていくものだったのねぇ。
そして、会記で見た内容について質問したら、即答してくださる学芸員さんってスゴイ
で、展示解説。
国宝の展示品について解説していただい。
国宝「深窓秘抄」。
平安時代(11世紀)に藤原公任が編纂した歌集1巻。
一人で見ていたら、「へぇ~」でスルーするところ。
何がすごいって、断簡されずに一巻まるまる残っているのが貴重なのだそうな。
それに紙も珍しい紙。(←確かに、これは素人目にもわかる)
次に筆跡が高野切の一部を書いた人と同一人物らしい。
展示してあるのは、冒頭の部分なんだけど、そここそ素人目にもわかる美しい仮名書体。
(これが最後の方になると、かなり乱れているらしい)
へぇ~と思いつつ、もう一つの国宝へ。
こちらは「紫式部日記絵詞」。
五島美術館でも秋に展示されているのをチョクチョク見ているから、そんなに目新しいものではないけれど、
保管の手段からして違うというのはビックリ
要するに巻物を巻いて保管するのは紙にストレスがかかり痛むということで、
五島美術館は一枚づつ断簡して保管する手段を選択したのそうな。
しかし、藤田美術館は切断せずに巻物として保管しているのだそうな。
何がすごいって、教科書に出てくる藤原道長の肖像(描かれた鎌倉時代だけど)があるところ。
1階の展示品の中で、あと一つ解説してもらいたいものをリクエストできたので、
茶箱セットをお願いした、
2つあって、いずれも冨子夫人が愛用したもの。
布袋茶箱。
一人で見た時は「茶入が唐物ですごいなぁ」と思った。
奥さん(冨子夫人)にねだられて、平太郎氏が落札したそうで、
箱も中身もセットされ状態であって、後から宋胡録の香合だけを足したのだそうな。
対して黒漆地の三番叟茶箱は購入後に中身の取り合わせを入れ替えてるものだそうな。
箱がいわゆる私たちが稽古で使う茶箱の大きさとは違う。
中央に茶碗などを仕組んだ状態で入れて、四隅に長いもの埋めていく収納のようだ。
2階に上がって、曜変天目。
LEDのペンライトを当てると、曜変の輝きが一層きれい
最初見た時はあまり光ってないように思ったのだけど、そんなことない。
静嘉堂にも負けないくらいに光っている。
驚いたことに、外側もお星さまのようにキラキラ光っている。
さらには銀輪の覆輪(ふくりん)もすごく綺麗。
大阪市東洋陶磁所蔵の油滴天目の金の覆輪とは違った渋い光でステキ。
「これは後の時代になってつけられたものですか?」と質問したら、
「それはわからない」とのこと。
韓国の新安沖の沈没船から出てきた天目茶碗にも覆輪がついているものが出てきたそうだ。
ということは、中国でつけれらた可能性もあるとのこと。
ふうん。謎は多いんだなぁと思った。
(そういえば天目茶碗の番組録画見るの、忘れてたぁ)
結局、2人しか見学者がいないのに、私が質問を多くしちゃったので、
20分のところを30分以上説明していただいた。
感謝。
とても有意義だった。
萩の展覧会も行きたかったなぁ
でも、行っても並んでいるのは同じものは見たことあるものばかりだとうしねー。
とかって、自分を慰める
☆今後の藤田美術館の予定
平成25年春季展『茶道具いろは』 2013年3月9日(土)~6月16日(日)
平成25年秋季展『美(うるわ)しき日本』 2013年9月14日(土)
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★藤田美術館バックナンバーリスト
2012年春季展『藤田傳三郎の軌跡』→こちら
2011年秋季展『コレクター藤田傳三郎の審美眼』→こちら
2011年春季展『季節を愉しむⅡ 春~初秋の美術』→こちら
2010年秋季展『季節を愉しむⅠ 秋~新春の美術』→こちら
2010年春季展『歴史を彩る 教科書に載る名品』→こちら
2009年秋季展『日本のやきもの・アジアのやきもの』→こちら
2009年春季展『日本のやきもの ~桃山・江戸の茶陶~』→こちら
2008年秋季展『渡来した陶磁器~茶人が愛した器たち~』→こちら
2008年春季展『茶 茶人と道具』→こちら
2007年秋季展『東洋の美に出逢う』→こちら
※12月9日(日)まで
藤田傳三郎さんの生誕170年と没後100年を記念誌、昨秋から続いた三部作の展覧会も今回がラスト。
最終回は後を継いだ人たちにスポットが当てられた。
藤田傳三郎さんは1841年~1912年。(ちなみに、同郷の伊藤博文も同じ年の生まれだそうだ)
長男の平太郎さんは1869年~1940年、次男の徳次郎さんは1880年~1935年。
三男の彦三郎さんは1882年~?(没年の記載なし)
そして、平太郎夫人で昭和29年(1954年)に美術館を設立した冨子さんゆかりの品も。
で、今回は傳三郎さんの没後に平太郎さんが買った道具と傳三郎から伝えられたものが中心。
面白かったのは解説文でいくらで落札されたのかの記載があること。。
例えば、国宝の曜変天目は大正7年(1918年)に水戸徳川家の売立において、5万3,800円で落札。
同じ売立では古井戸茶碗「老僧」も落札しているんだけど、井戸の方がお高くついたらしい。
なぜ、国宝の方が安いのか。
学芸員さんによると「既に曜変天目は鑑賞用だったから」。
つまり、実際に茶席で使える“実用的な”道具の方が値段が高かったそうだ。
だから、大正14年(1925年)に井上家の売立で落札した御所丸黒刷毛茶碗「夕陽」も10万9,500円だし、
同じ売立の砧青磁茶碗「満月」も16万8,000円だったりする。
ちなみに、大正12年(1923年)に若州酒井家の売立で野村得庵と競り合って、くじ引きで落札したという
国司茄子茶入は20万円
現在の金額換算が出来ないので、どれくらいに高いのが全くわからないから、ピンとこないけれど
さて、いつもは展示品を見て、解説文を読んで、メモをまとめて終わりなんだけど、
展示解説を聴けるということで、しばし待ち時間。
ただ、待ってるのも時間がもったいないので、茶会記を見て過ごした。
藤田美術館に限らないけれど、近代数寄者たちは高い名物を落札しては、
それを披露する茶会を開いていたようだ。
とくに藤田家の場合、明治42年(1909年)に土地を購入して、広大な屋敷(=綱島御殿)を建てていたし、
東京にも屋敷を持っていたし。(それが椿山荘)
ただ、倉に収蔵していたために道具は戦火から免れていたけれど、茶会記は空襲で燃えてしまった。
ただ、東都茶会記(明治44年~大正8年)、大正茶道記(大正9年~15年)、昭和茶道記(昭和元年~2年)に
掲載されたものから、当時の道具組を偲ぶことはできる。
たしか11件くらいの会記を印刷したものが閲覧できるようになっていて、
パラパラと捲っていくと、藤田所蔵の道具からチラホラと出てくる。
(前回~つまり春に訪れた時は傳三郎追善の茶会記を基に構成されていて、興味深く鑑賞できた)
その会記から印象に残ったものをメモした。
まず、大正5年の11月21日の綱島大茶の湯。(東都茶会記から)
長次郎の赤楽茶碗「早船」が出ている。←現在は畠山記念館所蔵。
懐石だか点心が出されたようで、メニューの中に「法蓮草」。
「あぁ、ホウレンソウって、漢字で書くとそうなんだぁ」と妙なところに感心した。
道具では水指が木地曲で蓋置がポンペイ出土の青銅。
え? この時代ってポンペイ遺跡の発掘ってしてれたの?
学芸員さんに尋ねると「してます」。
後から調べると、確かに18世紀から発掘調査は行われているようだ。
それにしても、出土品を見立てで道具に使う感覚って、斬新
残念ながら、5,000点ある収蔵品の中にこの蓋置はないとのこと。
次は大正10年10月25日の綱島晩秋茶会。
炭斗は滝本坊。つまり松花堂昭乗ゆかりの品。
四方盆は「五郎」。つまり、塗師の羽田五郎作。
掛け物は利休の消息「松茸の文」。
松茸が入手できたので、近く参上します~という内容。
これは所蔵しているし、時々、展示してますヨとのこと。
そういわれてみれば、見たことあるかも~。(※2010年秋に見ていた! ↓バックナンバーリストから参照してね)
利休の消息は「○○もらってありがとう」という内容がけっこう多くて(サンリツの雁取とかね)、
現代のEメール感覚に相当する?お手紙、いいなぁと思う。
そして、大正15年5月18日の綱島東邸夜会。
寄付に宗旦の消息。内容が「烏帽子が出来た」と報せるもの。
そして、本席に入れば床に宗旦作の竹一重切花入「烏帽子」。
カッコイイ
でも、いずれも現在は藤田の所蔵品にないそうだ。
道具って、大正時代はまだ流れていくものだったのねぇ。
そして、会記で見た内容について質問したら、即答してくださる学芸員さんってスゴイ
で、展示解説。
国宝の展示品について解説していただい。
国宝「深窓秘抄」。
平安時代(11世紀)に藤原公任が編纂した歌集1巻。
一人で見ていたら、「へぇ~」でスルーするところ。
何がすごいって、断簡されずに一巻まるまる残っているのが貴重なのだそうな。
それに紙も珍しい紙。(←確かに、これは素人目にもわかる)
次に筆跡が高野切の一部を書いた人と同一人物らしい。
展示してあるのは、冒頭の部分なんだけど、そここそ素人目にもわかる美しい仮名書体。
(これが最後の方になると、かなり乱れているらしい)
へぇ~と思いつつ、もう一つの国宝へ。
こちらは「紫式部日記絵詞」。
五島美術館でも秋に展示されているのをチョクチョク見ているから、そんなに目新しいものではないけれど、
保管の手段からして違うというのはビックリ
要するに巻物を巻いて保管するのは紙にストレスがかかり痛むということで、
五島美術館は一枚づつ断簡して保管する手段を選択したのそうな。
しかし、藤田美術館は切断せずに巻物として保管しているのだそうな。
何がすごいって、教科書に出てくる藤原道長の肖像(描かれた鎌倉時代だけど)があるところ。
1階の展示品の中で、あと一つ解説してもらいたいものをリクエストできたので、
茶箱セットをお願いした、
2つあって、いずれも冨子夫人が愛用したもの。
布袋茶箱。
一人で見た時は「茶入が唐物ですごいなぁ」と思った。
奥さん(冨子夫人)にねだられて、平太郎氏が落札したそうで、
箱も中身もセットされ状態であって、後から宋胡録の香合だけを足したのだそうな。
対して黒漆地の三番叟茶箱は購入後に中身の取り合わせを入れ替えてるものだそうな。
箱がいわゆる私たちが稽古で使う茶箱の大きさとは違う。
中央に茶碗などを仕組んだ状態で入れて、四隅に長いもの埋めていく収納のようだ。
2階に上がって、曜変天目。
LEDのペンライトを当てると、曜変の輝きが一層きれい
最初見た時はあまり光ってないように思ったのだけど、そんなことない。
静嘉堂にも負けないくらいに光っている。
驚いたことに、外側もお星さまのようにキラキラ光っている。
さらには銀輪の覆輪(ふくりん)もすごく綺麗。
大阪市東洋陶磁所蔵の油滴天目の金の覆輪とは違った渋い光でステキ。
「これは後の時代になってつけられたものですか?」と質問したら、
「それはわからない」とのこと。
韓国の新安沖の沈没船から出てきた天目茶碗にも覆輪がついているものが出てきたそうだ。
ということは、中国でつけれらた可能性もあるとのこと。
ふうん。謎は多いんだなぁと思った。
(そういえば天目茶碗の番組録画見るの、忘れてたぁ)
結局、2人しか見学者がいないのに、私が質問を多くしちゃったので、
20分のところを30分以上説明していただいた。
感謝。
とても有意義だった。
萩の展覧会も行きたかったなぁ
でも、行っても並んでいるのは同じものは見たことあるものばかりだとうしねー。
とかって、自分を慰める
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平成25年秋季展『美(うるわ)しき日本』 2013年9月14日(土)
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