今改めて名前を出すのも・・・とは想うが2000年に起きたこの事件が、ストーカー規正法を作る原動力となった
今の人達(概ね20歳前後)は、この悲惨すぎる事件を知らないかもしれない。
日本の警察官の割合が今で7%しかない、男社会であることから「男女の関係のトラブルは」十八番のように
「民事不介入」と切り捨てていた時代だ。
逗子ストーカー事件とくらべるのはおかしな話ではあるが、警察の怠慢などがありまた関係法令が無くて
助けを求めた警察にもないがしろにされたあげくに路上でストーカーに殺害されたのである。
「痴情のもつれ」などと警察は会見したようだがそんなものではなかったことを週刊誌が暴露し、また警察が
事件後に書類を改ざんしていた事なども明るみになった。
悲惨の度合いなんて決められないが、「つきまとい」を禁じるなどアメリカではとっくに整備されていた法律に
煮たようなものが法案として通貨し、これがいわゆる「ストーカ規制法」となったのだ。
それから14年も経っているのに悲劇の連鎖はとどまるところをみせないが、未だに「ストーカー規正法」という
法律の名前は知っていても内容を知らない、知ろうとしない人々が行政警察には多い事がわかる。
ちなみに、詩織さんの事件の時も相当なバッシングがあった。
落とさなくて良かったはずの命を恐怖の中で奪われたのであり、日本中がその凄惨な殺害方法等に驚き
憤りを感じたのである。
これが、社会に認知されたつきまとい の原点である訳だが、逗子ストーカー事件も然りだが、
その後も相次ぐ事件に、このざる法では対処できないのかもしれないし、さらに「被害者保護」の仕方ばかりが
論じられてきたが、今は「加害者をどうにかしなければ」負の連鎖は続くのではないかと私は思っている。
なので、別れ話の時は「第三者」を入れて話し合うー例えば家族などーというのはどうだろうか?
或いは「海外に3年くらい行くから」などという?
思いやりがある優しい人だときっぱりと別れられないのだが、「もう二人だけでは合いません」
「あなたは~なので」私はそれが嫌なのでなどと、含みを残さない言い方をしないと駄目なようだ。
でも、そうした時に危害が及ぶ可能性もあり、やはり二人きりでの解決ではないほうがよいだろう。