癌・
14年前、妻を「子宮肉腫」で亡くした。双子の息子と男だけの家族が残った。
生前、母に料理を習った息子たちは40種類ものレシピを頭の中に持っていた。あまりにも背負うもの
が重いが、家族の結束は固く、毎日精神的打撃を緩和する和漢薬膳を食した。
でも、子供たちと違い、私は生きる気力が失せていくのもはっきりと分かった。 「
「死んだほうが楽かな」と思うほど精神的に自分を自分で追い込んで行った14年前・・・・・
時代は日進月歩で進む。癌の薬や治療方法も14年前と違い、格段に進歩している。でも・・・・・・・・・・・・
14年前と変わらないものがある 、いや、もっと強烈な 形で癌になった人を恐怖に陥れる。
「多分助からないだろう」の強迫観念が蔓延している。
今や日本人2人に1人が「癌を発症」する時代だ。でもどれだけの人が苦しい治療を乗り越え、助かっ
て普通の生活をしているかに目を向けず「自分は癌だ、多分死ぬ」と思う人ばかりなんだろう?
これは、愛する妻を癌で亡くした男の本音である。・・・・・・・・・・・・・・・「キャンサーギフト」
家族を亡くしたからこそ、見えてくるものだってある。
そう思い始めていた矢先、生存率の低い乳がんを発症した女性の生きざまを知った。
彼女はポジティブな考え方から、ポジティブな生き方を見つけ始めた。抜け落ちる自分の髪の毛を
見つめながら。
「癌になったからこそ輝いて生きる」 「癌になったことを生かしていく」・・・・・・「キャンサーギフト」
癌で「死のストーリ」は多いいが、それ以上に「キャンサーサバイバー」が多い事実を知る必要があります。
外国の施設では、その施設を訪ねると癌になって「コンガッチユレーション」の言葉で迎えられる。
日本にはそんなソーシャルサポートは皆無。でも、彼女はそんな施設を立ち上げるために、
ビジネスモデルを立ちあげ、都心にキャンサーサポートの施設を建設する。
彼女は言います。「人はいつか死ぬが、生きている限りなんでもできる。できないことは何もない。
彼女は言います。生きていれば、希望に満ちて、あきらめることは何もない」
自分の日常、人生を透かしてみよう。「あれもできない。これもできない。できないずくめ。」
彼女の生き方を学びとり、ベクトルを変える。
みんながんばる。生きているんだから!普通に日常生活の中でがんばる。
生活とは「生きるを活かす」と書く。亡くなった妻のためにも、生きるを活かすステージでがんばる。
東京赤坂から、被災地の岩手で支援活動を始めて3年7か月が過ぎた。治療師として、やることは無限
今後も継続して被災地での体験学習を積み重ね、東京直下型に対応できる「仕組み」を作り上げ
ることに集中したい。
2日前、アパートの近くに沼に白鳥が飛来した。
雨は夜更け過ぎに雪へと変わった。岩手。寒い。でも心は温かい。妻の霊的熱量を感じるからだろうか?