先に書いておこう。
ここを時々、見て頂く方から頂いたご意見。
「マスター、時々宗教家みたいですよ。」
。。。。。(笑)
そうだろうな。いっつも書いていることは精神的なことばかり。
でも、無宗教。もちろん信仰心は持っている。
ただ、普段の僕を知っている方なら、
至って普通の飲み屋の親父であることがわかり、
その上で、ここに書いてあるギャップをお楽しみ頂いて事だろう。
なので、僕の実像を知らない方は、
話半分くらいで、お読み頂けるといくらか荷が軽い(苦笑)。
。
。
。
。
閉話休題。
先週の休みに、深夜TVを見ていたら、
山で暮らす老夫婦のドキュメントを放映していた。
「ふたりの桃源郷」という題名と。
戦後の貧しい時代に、
故郷の山を夫婦で切り開いて3人の娘を育て上げた老夫婦。
一度は都会へ出るのだが、子どもが独立すると
夫婦は電気も水道も電話もない山に戻った。
子どもたちは、二人の生活を心配し、
「山を下りて同居しよう」と説得を何度もするのだが、聞き入れない。
「自分らしく老いたい」「ここが二人の原点だから」と言い切った。
そのうち夫はガンに肺炎、肺気腫を患い入院。
山の麓の老人ホームに一時は身を寄せるも、
余命わずかと言われても、医者を説得し山に向かい続けた。
そんな夫婦の人生を賭けた山への思いに、
三女夫婦がついに突き動かされ、大阪から山口へ転居。
最後まで、山の暮らしを続けさせてあげようとサポートを始める。
しかし、その甲斐空しく、この夏、夫は93歳で他界。
しかし、最期の最期まで山にこだわった人生だった。
その後、痴呆が進む妻は夫の死を受け入れられない。
時折、三女夫婦と、その山の家のそばに立てられた墓と、
夫が残した畑や家を守りにいくと、
「おじいさんはまだ帰ってこんのう」と、娘に問う。
優しく見守る娘に「山に声だしておじいちゃん呼んでみたら?」
と勧められた。
「おじいちゃーん。おじいちゃーん。」
夫を呼ぶ妻の声が、何度も山にこだました。
夫婦とは、老いとは、幸せとは何かを問う17年の記録だった。
。
。
。
昨日も書いた、自分の人生について。
人生を賭けて、生き続ける老夫婦の人生を見て、
昨日のお話と、実はオーバーラップしていた。
「幸せ」の形は、それぞれ。
今回は生きようと思えば、現代社会でも生きられた夫婦が、
あえて、自分の人生の原点にもどり、
戦後の何もない時代の暮らしにこだわり続けた事や
それが、ふたりにとって最高の幸せなんだと言い切れた事に、
やがて家族も突き動かされていく。
「同じ人生なら、眉間にしわ寄せてがんばるよりも、
のびのび人生を楽しんで、
その一瞬その一瞬を謳歌する。
楽しんだもの勝ちなんです。」
昨日書いた、若き友人の言葉とも重なって、
ひどく胸に突き刺さったなぁ。
傍目には、苦労の伴う暮らし。
でも、二人にとってはそこがほんとに桃源郷に見えた。
人生を楽しんで、
その一瞬その一瞬を謳歌することの意味を
こんなところでも、また教えられた気がした。
ここを時々、見て頂く方から頂いたご意見。
「マスター、時々宗教家みたいですよ。」
。。。。。(笑)
そうだろうな。いっつも書いていることは精神的なことばかり。
でも、無宗教。もちろん信仰心は持っている。
ただ、普段の僕を知っている方なら、
至って普通の飲み屋の親父であることがわかり、
その上で、ここに書いてあるギャップをお楽しみ頂いて事だろう。
なので、僕の実像を知らない方は、
話半分くらいで、お読み頂けるといくらか荷が軽い(苦笑)。
。
。
。
。
閉話休題。
先週の休みに、深夜TVを見ていたら、
山で暮らす老夫婦のドキュメントを放映していた。
「ふたりの桃源郷」という題名と。
戦後の貧しい時代に、
故郷の山を夫婦で切り開いて3人の娘を育て上げた老夫婦。
一度は都会へ出るのだが、子どもが独立すると
夫婦は電気も水道も電話もない山に戻った。
子どもたちは、二人の生活を心配し、
「山を下りて同居しよう」と説得を何度もするのだが、聞き入れない。
「自分らしく老いたい」「ここが二人の原点だから」と言い切った。
そのうち夫はガンに肺炎、肺気腫を患い入院。
山の麓の老人ホームに一時は身を寄せるも、
余命わずかと言われても、医者を説得し山に向かい続けた。
そんな夫婦の人生を賭けた山への思いに、
三女夫婦がついに突き動かされ、大阪から山口へ転居。
最後まで、山の暮らしを続けさせてあげようとサポートを始める。
しかし、その甲斐空しく、この夏、夫は93歳で他界。
しかし、最期の最期まで山にこだわった人生だった。
その後、痴呆が進む妻は夫の死を受け入れられない。
時折、三女夫婦と、その山の家のそばに立てられた墓と、
夫が残した畑や家を守りにいくと、
「おじいさんはまだ帰ってこんのう」と、娘に問う。
優しく見守る娘に「山に声だしておじいちゃん呼んでみたら?」
と勧められた。
「おじいちゃーん。おじいちゃーん。」
夫を呼ぶ妻の声が、何度も山にこだました。
夫婦とは、老いとは、幸せとは何かを問う17年の記録だった。
。
。
。
昨日も書いた、自分の人生について。
人生を賭けて、生き続ける老夫婦の人生を見て、
昨日のお話と、実はオーバーラップしていた。
「幸せ」の形は、それぞれ。
今回は生きようと思えば、現代社会でも生きられた夫婦が、
あえて、自分の人生の原点にもどり、
戦後の何もない時代の暮らしにこだわり続けた事や
それが、ふたりにとって最高の幸せなんだと言い切れた事に、
やがて家族も突き動かされていく。
「同じ人生なら、眉間にしわ寄せてがんばるよりも、
のびのび人生を楽しんで、
その一瞬その一瞬を謳歌する。
楽しんだもの勝ちなんです。」
昨日書いた、若き友人の言葉とも重なって、
ひどく胸に突き刺さったなぁ。
傍目には、苦労の伴う暮らし。
でも、二人にとってはそこがほんとに桃源郷に見えた。
人生を楽しんで、
その一瞬その一瞬を謳歌することの意味を
こんなところでも、また教えられた気がした。