MIDNIGHT TALKING MAN

新米社長の涙と笑いのドタバタ奮闘日記

幸せの形。

2007年11月29日 | Weblog
先に書いておこう。

ここを時々、見て頂く方から頂いたご意見。
「マスター、時々宗教家みたいですよ。」

。。。。。(笑)

そうだろうな。いっつも書いていることは精神的なことばかり。
でも、無宗教。もちろん信仰心は持っている。
ただ、普段の僕を知っている方なら、
至って普通の飲み屋の親父であることがわかり、
その上で、ここに書いてあるギャップをお楽しみ頂いて事だろう。

なので、僕の実像を知らない方は、
話半分くらいで、お読み頂けるといくらか荷が軽い(苦笑)。




閉話休題。

先週の休みに、深夜TVを見ていたら、
山で暮らす老夫婦のドキュメントを放映していた。

「ふたりの桃源郷」という題名と。

戦後の貧しい時代に、
故郷の山を夫婦で切り開いて3人の娘を育て上げた老夫婦。
一度は都会へ出るのだが、子どもが独立すると
夫婦は電気も水道も電話もない山に戻った。

子どもたちは、二人の生活を心配し、
「山を下りて同居しよう」と説得を何度もするのだが、聞き入れない。
「自分らしく老いたい」「ここが二人の原点だから」と言い切った。

そのうち夫はガンに肺炎、肺気腫を患い入院。
山の麓の老人ホームに一時は身を寄せるも、
余命わずかと言われても、医者を説得し山に向かい続けた。

そんな夫婦の人生を賭けた山への思いに、
三女夫婦がついに突き動かされ、大阪から山口へ転居。
最後まで、山の暮らしを続けさせてあげようとサポートを始める。

しかし、その甲斐空しく、この夏、夫は93歳で他界。
しかし、最期の最期まで山にこだわった人生だった。

その後、痴呆が進む妻は夫の死を受け入れられない。
時折、三女夫婦と、その山の家のそばに立てられた墓と、
夫が残した畑や家を守りにいくと、
「おじいさんはまだ帰ってこんのう」と、娘に問う。

優しく見守る娘に「山に声だしておじいちゃん呼んでみたら?」
と勧められた。

「おじいちゃーん。おじいちゃーん。」

夫を呼ぶ妻の声が、何度も山にこだました。

夫婦とは、老いとは、幸せとは何かを問う17年の記録だった。



昨日も書いた、自分の人生について。
人生を賭けて、生き続ける老夫婦の人生を見て、
昨日のお話と、実はオーバーラップしていた。

「幸せ」の形は、それぞれ。

今回は生きようと思えば、現代社会でも生きられた夫婦が、
あえて、自分の人生の原点にもどり、
戦後の何もない時代の暮らしにこだわり続けた事や
それが、ふたりにとって最高の幸せなんだと言い切れた事に、
やがて家族も突き動かされていく。

「同じ人生なら、眉間にしわ寄せてがんばるよりも、
 のびのび人生を楽しんで、
 その一瞬その一瞬を謳歌する。
 楽しんだもの勝ちなんです。」

昨日書いた、若き友人の言葉とも重なって、
ひどく胸に突き刺さったなぁ。

傍目には、苦労の伴う暮らし。
でも、二人にとってはそこがほんとに桃源郷に見えた。

人生を楽しんで、
その一瞬その一瞬を謳歌することの意味を
こんなところでも、また教えられた気がした。



Do your Best

2007年11月28日 | Weblog
「同じ人生なら、眉間にしわ寄せてがんばるよりも、
 のびのび人生を楽しんで、
 その一瞬その一瞬を謳歌する。
 楽しんだもの勝ちなんです。」

昨日、懇意にしている友人であり、師とも呼べる方から頂いた言葉。
彼は、僕よりも少し若いものの、
ある方面では、第一線で注目をいつも浴びている人だ。
自分の仕事や生き方に、確固たる自信を持っている。

それだけに含蓄の深い言葉。

また彼は、自分の人生を賭けるに値する「伝えたい事」があり、
それを自らが創り、ただ伝えるだけで、
有名になろうとか、金儲けしようとか、
そんなことに全く気合を入れてないと言う。

人生を賭けたことを、自らが一番楽しむ。

無理をするだけの「がんばり」はやめて、
苦しいときでも、自分が一番楽しんでいないと
誰も理解してくれない。

彼は僕にも、そんな生き方でいてほしいと伝えてくれた。

そう。
僕は「楽しさ」を伝えることを生業としている。
決して忘れてはいなかったけれども、
どこか、「難しい」顔になり、
彼にはそれが伝わっていたんだろうな。

優しい。そして、楽しい彼の言葉。
普段は、飄々とした感じの彼から、
僕の中にある
いろいろなことを乗り越えてきた「自信」と、
そして本当はゆるぎない「確信」を取り戻せと言われた気がした。

ありがとう。

僕もあなたに学んで、精一杯人生を謳歌するよ。