桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

2021年五月の薬師詣で・つくば市(2)

2021年05月09日 13時25分56秒 | 薬師詣で

 2021年五月の薬師詣での〈つづき〉です。



 谷田部陣屋跡から七分ほど。緩い上り坂にさしかかろうというところ、「←ホテルニュー梅屋」という標識が見えました。それに従って道を折れると、奥まったところに御堂があるのが見えました。今日の目的の醫王寺薬師堂です。



 扁額には「琉璃寶殿」とありました。お賽銭をあげて鈴紐を揺らし、鰐口を鳴らします。中を覗いてみましたが、堂内にはもう一枚ガラス戸が立ててあって、よく見えませんでした。



 御堂前に建てられている「薬師堂再建記念碑」によると、この薬師堂は小渡山正明院と号し、平安時代初期の大同年間(806年-809年)の開基だそうです。本尊の薬師如来像は弘法大師の作と伝えられています。
 天正十八年(1590年)、由良国繁が上野国金山城から牛久城に移ってきました。その翌年、国繁の母・妙印尼が戦で討死した将士を供養したいと国繁に勧め、近在に七観音八薬師の堂宇を建立することになりました。その八薬師のうちの一つです。
 慶長年間(1596年-1614年)、戦火のため焼失しましたが、元和二年(1616年)、細川興元(幽斎の次男)が谷田部領主として封ぜられたとき、陣屋の鬼門除けの祈願寺として、ここに醫王寺を造営しました。



 薬師堂手前には池があり、赤い太鼓橋の先に弁天様が祀られていました。背景にあるのがホテルニュー梅屋です。

 


 薬師堂から次の善通寺までは五分。薬師堂前の緩い坂を上り詰めると、茨城県道460号谷田部牛久線との交差点です。そこを右に曲がって、すぐまた左折。
 スマートフォンの地図では、目的地に到着しているはずなのに、寺院らしき堂宇が視界に入ってこない。と思えば、この御堂(地蔵堂)が善通寺なのでした。台町公会堂という地域の集会所にありました。
 持っていた史料には真言宗善通寺とあるだけですが、かつてはここにお寺があったのでしょうか。



 踵を返して県道谷田部牛久線に戻ると、すぐ先に長徳寺の参道入口が見えました。
 建治二年(1276年)の創建。時宗のお寺ですが、時宗のお寺でよく見られる宗祖・一遍上人像はここにはありませんでした。

 谷田部地区の寺院巡りはこれにて終了ですが、最後に羽成(はなれ)観音を巡って帰ることにします。



 わりと長い距離を歩かなければなりません。この日の天気予想は夕方まで晴でしたが、幸いなことに昼を過ぎるころには曇ってしまいました。蒸し暑さはありません。途中、常磐自動車道を越えて行きます。

 谷田部陣屋があったあたりは谷田部集落の中心街近くでしたが、コンビニが見当たりませんでした。常磐自動車道を越えたところにセブンイレブンがあったので、冷えたペットボトルの緑茶を求め、歩きながら喉の乾きを癒します。



 長徳寺から二十分近く歩いて、帰りのバスを待つつもりの上宿(かみしゅく)バス停を過ぎると、「→羽成観音入口」という標識があるのが目に入りました。その標識に従って小径に折れると、この大きな堂宇の背面が見えたので、意外にあっさりと着いてしまった-そう思いながら、裏から入って伽藍に掲げられた扁額を見上げてみれば、羽成観音に着いたのではなく、真言宗豊山派の普賢院でした。

 大同二年(807年)、弘法大師が羽成村にきたとき、仏像を彫って祀ったのが起源であると伝えられています。 先に参拝してきた醫王寺薬師堂の開基は大同年間(806年-809年)とアバウトでしたが、本尊の薬師如来像は弘法大師の作とされているので、この普賢院と同じ大同二年ということになるのでしょう。

 境内に建てられている本堂再建記念碑によると、 開基は茨城県新治郡(現・土浦市大岩田町)法泉寺第十九世祐傳阿闍梨で 創立は寛永二年(1625年)とのことでした。
 この法泉寺には寺宝とされている薬師三尊が祀られているので、そのうち参拝に行きたいと考えているのですが、なかなか機会に恵まれません。


 扁額を見上げ、羽成観音に着いたのではない、と気づいたのは、バスがくる十三分前でした。どうしようかと考える前に歩き出していました。シミュレーションをした行程表には羽成観音までの所要時間が記してありましたが、立ち止まってそんなものを見ているよりは前に進もう、六分ぐらいで羽成観音に着けなければ引き返そうと思ったのです。



 普賢院から野原と畑の中の径を歩いて六分弱。杉木立を通して御堂が見えました。

 


 羽成観音堂と扁額です。ここも由良氏にまつわる七観音八薬師の一つで、本尊は馬頭観音です。



 羽成観音への参拝を終えて、無事上宿のバス停に着きました。事前のシミュレーションに遅れることわずか三分。牛久駅からやってきたバスは二分遅れだったので、悠々間に合いました。



 日中は一時間に一便しかない路線なので、逃したら大変なことになるところでした。
 薬師詣での日には、私が極力プラス思考で考えるせいもあって、何かしら佳きことがあります。ちゃんと帰りのバスに間に合った、というのも、お薬師さんの功徳だったと考えることにします。



 上宿から終点のみどりの駅まで所要約十五分。乗客はずっと私ただ独り。図らずも貸切になりました。スイカで支払ったのはわずか¥294だけだったとは
申し訳ないような気がします。



 私が乗った関鉄(関東鉄道)バスです。終点のみどりの駅へ到着後に撮影しました。

この日歩いたところ(みどりの駅から羽成観音まで。上宿バス停からみどりの駅まではバスを利用)。


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