桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

ガマ(蒲)の若穂

2021年07月04日 23時50分38秒 | 

 先月十四日の梅雨入り宣言から半月もして、ようやく本格的に梅雨、と思ったら、まるで満を持していたかのような雨、雨、雨……。先月二十九日(降雨量46ミリ)から三十日(5・5ミリ)、今月一日(44ミリ)、二日(71ミリ)、三日(66・5ミリ)、そして今日四日(16ミリ=夜九時現在)と、例年になく多い雨です。おまけに先月三十日から五日連続でまったく陽射しがありません。



 雨の様子を窺っていたので、普段は朝のうちに済ませる慶林寺参拝は午後になってしまいました。



 観音像前のプランターに植えられているガマ(蒲)。昨日(三日)撮影した画像です。
 蒲の穂といえば、茶色くてフランクフルトソーセージのような形だと思いこんでいるので、出たばかりの穂が白いのを初めて目にして、少なからぬ感動を覚えました。
 人生の残りが尠なくなってきているのに、なお初めて見たり、初めて知ったりすることがあると、ほんのちょっとだけ心が揺さぶられるのです。
 これまで「穂」と呼んで、♬「大黒様」の中の因幡の白兎がくるまって元に戻ることができたもの、と漫然と思い、漫然と眺めていたものが、じつは花であり、上部が雄花で、下部が雌花という、奇妙な形態をしている、ということも、今回初めて植物図鑑に当たってみることで識りました。



 ところが、一日経った今日、再び眺めてみると、色はまだ淡いのですが、茶色く変わってしまっていました。

 我が庵近くには野生の蒲のある小湿地帯が三か所あります。前はいまごろの季節になると、わざわざ見に行ったこともありましたが、慶林寺参拝や日々の散歩は欠かすことがなくても、いつの間にか行動範囲が狭まって、尠なくとも一昨年、昨年は見に行っていません。
 近く、とはいっても、もっとも近いところこそ歩いて十六分ぐらいですが、残り二か所は三十分と三十五分と結構遠いのです。
 お隣の流山市ほどではありませんが、私が棲んでいる松戸市北部も新しい住宅を建てようとする人が多く、ちょっと足を運ばないでいると、畑や林が潰されて、真新しい家ができていたりします。しばらく観察に出向いていないので、もしかすると、湿地帯はなくなっているかもしれません。



 観音様のお召し物は雨でまだら模様です。

 

 ハスの葉に溜まった雨。息を詰めて五分ぐらい眺めていると、雨が溢れて、ポロポロと流れ落ちるのを見ることができます。

 このあと参道に戻って帰路につこうとしたとき、またちょっぴり心が揺さぶられるようなことがありました。参道に出ると、ちょうど小さな赤い傘が翻るところでした。小学校三~四年生とみられる女の子が山門の数メートル手前でお寺に向かって拝礼し、歩き去ろうとするところだったのです。
 初めて見かける女の子でしたが、きっとお母さんと連れ立って通りかかったとき、お母さんに教えられて拝礼したことがあり、以来独りで歩くときも拝礼するようになったのだろうと思うと、何かが胸に詰まるような気がしました。

 

 紫陽花(アジサイ)の見頃は過ぎたとみえて、見物客の姿は消えて、日曜日だというのに本土寺の参道は閑散としていました。

コメント
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