タミ画廊

個展、グループ展、二科展等の出品作品を展示。

旭山動物園

2010-01-22 13:20:00 | Weblog
富良野スキーの最終日は旭山動物園に行くことに決定。
ただ、がむしゃらに滑る年でもないし、スキーも3日間の間十分堪能したので、最終日の16日はかの有名な旭山動物園の見学に急遽切り替えた。
この日は天気は良くだったが、旭川はとにかく寒い。
日中の最高気温が-7℃で夜になると-15℃にもなるそうである。
富良野のスキー場は-10℃くらいだったけれど、滑っているときはそんなに寒さなどは感じなかったが、動物園の中をただ歩いているとやたら寒く感じる。
こんなに寒いので、さぞ来園客は少ないだろうと思っていたが、とんでもない・・・!
この寒さにもめげずなんと来園客の多いことか・・・!
ここで飼育されている動物たちは、どこの動物園にでも見かける動物たちで、なんら珍しい動物がいるわけではないが、噂通り見せ方がうまいのに感心・・・。
それとここの動物園の職員さんたち一人一人が誠に親切丁寧で、来園者に対する対応が実に素晴らしい・・・・!
上野動物園の職員も旭山動物園で再教育されたらいいと思うけれど・・・・・。
ほぼ一週間ぶりで羽田に着いたら、東京のなんと暖かいことか・・・・!


富良野スキー

2010-01-21 15:06:39 | Weblog
今年の初スキーは富良野がスタート。
4名の熟年組である。
熟年組と言ってもS氏は74歳で最長年、一番若手のU氏は53歳でその年の差は20歳。
1月12日に私とS氏は羽田から、Y氏とU氏は大阪から出発し現地で合流。
昨年7月以来の再会である。
一年に一度か二度しか会わない仲間だが、久々の再会には感激もひとしおである。
1月13日は全国的に寒波襲来で、各地とも猛吹雪の天気予報だったにもかかわらず、ここ富良野は全くの別世界で、天気は良くて、景色は良くて、雪質は良くて・・・・。
この素晴らしいゲレンデで、気の会った仲間達と風を切って滑る快感は何物にも代えがたい。
最高の気分・・・・!
特にここ富良野の雪質は素晴らしく、ツェルマットやウィスラーのゲレンデと比べても、雄大さでは一歩譲るものの、雪質ではなんら引けを取るものではない。
自分はいつの間にこんなにスキーが上手くなったのだろう・・・・!と錯覚させてくれるところがなんとも嬉しい。
この歳にしてこのような爽快感を味わうことが出来る事を主に感謝!

気の会った仲間達とのスキーも楽しいが、アフタースキーで上手いものを食って、飲んで、スキー談義に花を咲かせるのも実に楽しいものである。
今回の宿はホテルナトゥーヴェルト富良野で、ここでのディナーは洋食、和食ともいまいちの感・・・・!
富良野の町では和食の“くまげら”とジンギスカン料理の“谷成吉思汗”がお勧め、中でも“くまげら”の山賊鍋は最高・・・!
「北の国から」にも登場した由で、「北の国から」スタッフご用達の店とのこと。納得である・・・・。
富良野は正味3日間のスキーだったが、天気にも恵まれて十分堪能できた。
後何年このような爽快感を味わうことが出来るのか・・・・?
せめてあと4~5年は続けられることを願って・・・・!アーメン・・・・!






タヨさんの遺言状

2010-01-21 10:39:52 | Weblog
2009年12月23日義母のタヨさんが神に召された。
享年92歳の大往生であった。
タヨさんは元々はあまり丈夫な方ではなかったようであるが、気持ちが穏やかな人でやたら面倒見が良かったせいか、周りの人達から「タヨさん、タヨさん・・・・。」と随分慕われていたようである。
12月29日に通夜、30日に告別式と年末の一番忙しい時期にもかかわらず、弔問客の多いのにビックリ・・・!
タヨさんが亡くなってから、もう直ぐ一ヶ月になろうというのに「タヨさんにお線香を・・・!」と言って尋ねてくる人が多いのには今更ながら驚かされる。
自分が死んだ時はおそらくこの半分も弔問客は来ないだろう。
日ごろの我が行いからすれば当然かも・・・・。
タヨさんは2年前の正月に我が家で転んでから同居するようになったが、それまでは車で10分程の距離のところに一人で住んでいたので、しょっちゅうタヨさんの家に行ってはタヨさん自慢のとろろ飯をごちそうになったものである。
タヨさんは料理も得意だが、習字もまた大得意で米寿のお祝いの頃は実に見事な作品を習志野公民館に展示していた。
そのタヨさんも昨年夏に入院してから急に元気がなくなってしまった。
8月に脳内出血でT洲会病院に2ヶ月間の入院、やっと退院したと思ったら、大腿部頸部骨折でF整形外科病院に入院、そこを退院したとたん脱水症状でまたまたT洲会病院に再入院、そして倒れる度に不死鳥のごとく甦ったタヨさんも、12月に入って動脈瘤でS病院に入院し、ついにそこで力尽きてしまった。
90過ぎたタヨ婆ちゃんにとって、入退院の繰り返しの4ヶ月間はさぞや辛かった事と思う。
ただ、この度のことで、患者への対応が病院によって、こんなにも違うものかと改めて思い知らされた。
F整形外科病院は噂どおり患者に対する対応は素晴らしい。関東一円から時間をかけて通ってくるのも分かる気がする。
それに引き換えT洲会病院は酷いものである。中でもタヨさんが脱水症状で入院したときの内科は最悪。
タヨさんの担当医のF女医などは患者に対する思いやりなどかけらもなく「貴方それでも医者ですか・・・?」と思わず問いただしたくなるような人だった。
このような種類の医者は、人間を相手にしないで、どこかの研究室に篭もって細菌の研究にでも取り組んでいればそれなりの成果を上げることが出来るのかも・・・・。
病院が病院なら、それと直結している介護施設・T洲苑も外観だけは立派だが内容はいまいち。
当初は施設の職員から「タヨさん!タヨさん!」と結構大切に扱われていたと思っていたし、ここでのタヨさんに対する対応はそんなに悪くはなく、ごく一般的なものと思っていた。
しかし、きわめて短い期間であったが、たまたまお世話になった介護施設のFマータの至れり尽くせりの介護に接したとき、T洲苑が急に色あせて見えてしまった。
(T洲苑が劣悪と言うのではないけれど・・・・。)
FマータはF整形外科病院のポリシーが介護の職員一人ひとりに浸透しており、「こんなにまでしてもらって良いのだろうか・・・・!」と此方が恐縮するほどであった。
真の介護とはここの介護のことを言うのだろうと痛感した次第である。
同じ介護施設でも介護する職員の意識の差がこうも違うものかと思い知らされた。

自分も年を取って、病院や介護が必要になったときのために、タヨさんが自分自身の体験で私達に貴重な遺言状を残してくれたのだと思う。
「T洲会病院にはどんなことがあっても入院なんかするんじゃないよ・・・・・。」「介護施設に入るのならFマータにお世話になりなさいよ・・・・!」と・・・・。



二回目の個展

2010-01-10 16:42:08 | Weblog
2009年12月21日(月)~27日(日)に第二回目の個展を京橋ギャラリーくぼたにて開催した。
丁度4年振りである。
前回は現役最後の年だっただけに会社関係者の応援もかなりあって、浮世の義理と言うか、作品のご祝儀購入なども結構頂き、ほぼ完売に近い状態であったと思う。
しかし、今回はそんなものは一切期待できないと思っていたが、世の中捨てたものではない。
会社関係者に替わって、出身校の関西学院大学東京支部の絶大な応援を頂いたお陰で、関学OBの方々が大勢見に来てくれて連日大盛況であった。
母校のあり難さがしみじみと心に染みた7日間であった。
この7日間の個展は又別な意味でも忘れられない個展となった。
個展の真っ最中の23日に義母が神に召された。
享年92歳の大往生であった。
それにしても、個展の初日に病院からいきなり危篤の報が入り、23日にあっけなく死んでしまった。義母とは2年間同居していたが、最後の最後に見取ってやれなかったことに悔いが残るが、義母としては自分の娘や孫たちに囲まれて神の元に召されたわけだから大往生と言えるだろう。
個展の開催期間中に同居中の義母の死が重なってしまったため、まさにてんやわんやの7日間で、生涯忘れられぬ一週間となった。
今回このようなアクシデントがあったため、妻の協力もほとんど期待できなかっただけに、自分の絵が売れる等とは思ってもいなかったが、39点の出品作品のうちなんと半分の20点も売れてしまった。
義母が天国から後押ししてくれたのかも・・・・。
自分の作品が売れたことは嬉しいことだが、それ以上に古い仲間や新しい仲間が我が個展会場に集い、友達の輪が広がっていったことが何より嬉しい。

関学同窓会東京支部の皆さん、TWCの皆さん、40年会の皆さん、弦月会の皆さん、遊々会の皆さん、パソコン教室の同級生達、日立町会の皆さん、カミサンのお友達、そして通り掛りにお立ち寄り頂いた方々、会場が6Fで不便な足場にもかかわらず、400名近い方々のご来館を頂きました。
年末の一番忙しい時期に本当に有難うございました。