進化する魂

フリートーク
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AKB48『Everyday、カチューシャ』の聴き方

2011-06-03 15:32:45 | AKB48
AKB48『Everyday、カチューシャ』を耳にタコができるほど聴いて思ったこと』の続き

一昨日『Everyday、カチューシャ』の雑感を書いたのだが、基本的に楽曲に関する他人評は全く当てにならない。
趣味趣向を完全に共有している人もいないし、同じ人でも感じるものが状況によって変わるからだ。
眠い時、空腹の時、悲しい時、イライラしている時、うれしい時などなど1日の間にも変わってしまうものだ。
偏見やイメージでも変わる。

楽曲に関する感じ方を科学的に分析しようという試みは、これまで腐るほどされてきたが、信頼するに値する成果は得られていない。

「名曲の法則」なんてものは存在しない。
人が未来を完全に予測できるようになるまで不可能だ。
つまり、不可能である。

『Everyday、カチューシャ』についても、聴き方一つで大きく評価が変わる。

例えば、『Everyday、カチューシャ』が『ポニーテールとシュシュ』の続編なのであれば、単独で聴くのではなく、2曲を続けて聴いてみると何かがわかるかもしれない。
実際、私は2曲を続けてリピート再生し続けてみたが、この2曲がシリーズになっているのは感覚的によくわかる。
『ポニーテールとシュシュ』よりも1年分の進化を遂げていることを感じることができるだろう。

他にも、『Everyday、カチューシャ』が夏の曲なのであれば、部屋の中で閉じこもって聴くのではなく、外に出て、例えば砂浜や、シーサイドをドライブしている時に聴いてみると感じるものが変わってくるはずだ。
よく晴れた夏の日に、湾岸線を走りながら聴いてみれば、きっと感じるものが異なるはずだ。

これはクリエイターにとっては悩みの種であろう。
何かを創り上げるためには、何かを想定する必要がある。

「反証可能性のないものは科学ではない」とよく言うように、想定のないものは科学でもなければ何者でもない。
同様に、想定のない創作物なんてものも、何者でもない。
いや、もちろん芸術作品として何者でもないものを意図することはあるだろう。
しかし、そういったものは誰からも共感を得られない。

より深いインパクトを与えるためには、想定範囲は狭い方がいい。
だが、狭くしすぎるとより多くの人から共感を得ることが難しくなる。
このトレードオフを如何に止揚できるか。
ここにクリエイターの腕の見せ所がある。

『Everyday、カチューシャ』について言えば、その点がしっかりと計算されていると感じることができる。

まず、夏を想定した軽快でアップテンポなサウンドに仕上がっている。
AKB48のレパートリーを充実させる意味でも、これまでの楽曲には無いタイプであることも重要だ。
その上で、し過ぎなくらいノーマライズしていて、何者でもない楽曲になっている。
とにかく癖をなくして"消費しやすい"楽曲を同時に目指している。

要は、夏の曲として想定をぐっと絞りつつ、ノーマライズして幅広くターゲットを掴もうという、二兎を追う意欲的な作品と受け取ることも可能だ。
第3回総選挙の楽曲として恥ずかしくない作品にしなければならないという、製作者側の意気込みを感じる作品といえるだろう。

夏の歌を想像してみてほしい。
出会いや失恋とか、ついつい高揚感やノスタルジー、黄昏を楽曲に込めてしまう傾向があるものだ。
夏の恋の歌をサラッと流すというところに、強いて言えば、この歌の良さというものがあるのだと、まぁ全て私の妄想なのだけれども、そう思うのだ。

いや、それが個々人に受け入れられるかどうかというのは、個々人の感性や趣味の問題だから、この曲が良いとか悪いとかという話をしているわけではない。
私は一回も、AKB48が良いとか悪いとか、AKB48の楽曲が良いとか悪いとかという話をしたことがない。
私の興味というのは、誰が何を狙い、何を達成しようとしているか、という点にあるのである。


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