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子供手当てに所得制限をかけてはいけない

2009-12-17 15:51:34 | 政治

これは言葉尻を捉える話ではなく、「民主党政策に対する考え方」についてのお話です。
あくまでも本エントリは、ここで取上げる記事についての批判ではなく、このような形で世論が形成されることへの危惧感よりのものです。


子育て支援に所得制限は当然!(前田拓生)
http://agora-web.jp/archives/849693.html


「子育て支援」を支給すること自体には賛成ではありませんが、「支給する」のであれば、所得制限をするのは当然だと思います。


「当然」という言葉を使うからには、それ相応の判断基準があるはずだ。
「なぜ当たり前なのか」という説明なしに「当然」という言葉を使うことはできない。
ということで理由について見ていこう。


子育て支援のためにおカネを支給した場合、この世帯は子供におカネがかかるので、そこに現金を支給すれば、その多くが消費に回ることになり、政策効果が高いということから、この政策が出てきたのだと思います。確かに子供がいない世帯や子供が成長しきった世帯よりも「子供のために」という支出が増えるのは理解できますが、一方で、この世帯は子供の将来を考える世帯でもあり、余分なおカネがあれば、できるだけ貯蓄に回そうとする世帯でもあります。

ということは、ある程度所得に余裕がある世帯であればあるほど、学資保険などに支給された資金を回すと考えるべきであり、この学資保険も貯蓄なので、当該保険を扱っている生命保険会社等が企業への貸出に回さない限り、政策効果は減退することになります。したがって、余裕があるであろう高所得世帯へ支給することは、経済政策という観点では意味があまりないといえます。また、福祉目的であれば、なおさら、所得の再分配機能が基本ですから、高所得世帯への支給はナンセンスといえるのではないでしょうか。

以上から、政府として「子育て支援」に所得制限をするのは、至極、当然なことであり、むしろ、政府の方から党へ「マニフェストとは異なるが、所得制限をかけさせてほしい」と申し出るのが普通のような気がします。


民主党の政策に詳しい方は、即座にこの主張が事実誤認に基づくものだということに気づくだろう。

まず、根本的に認識が不足しているのは、民主党の「子供手当て」政策は、「経済政策」でも「福祉政策」でもない
何度も民主党政策担当者がメディアで説明しているように、これは「社会政策」である
イギリスや北欧でなされている積極的社会政策の一環で、経済や福祉への効果は社会政策の結果として求めるのであって、原因として求めるのではない
社会政策としての子供手当ては十分に国家戦略的である


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「子供手当て」は「社会で子供を育てる」という考えに基づく政策である。
それは、子供に投資すれば将来的に社会に利益をもたらすと考えられるからで、社会のために、社会が子供の生活に介入するのだ。
家族を助けるために「子供手当て」を出すわけでも、経済を復興させるために出すわけでもない。
幾分かの社会主義的色合いを帯びる政策で、一般に「社会民主主義」と呼ばれる思想に基づく国家にて採用されている。
ゆえに、「所得制限」などという発想そのものが馴染まない。
所得を制限する理由がないのだから。
むしろ「社会政策」にも関わらず「所得制限」をかけるのは、社会による「子供差別」である。
社会が手間をかける子供とそうでない子供がいるのだから。
(この差別が社会的に問題を引き起こすかどうかは民意次第で別問題だ)
また、この政策は「子供の所有権」が、家族に属するのか社会に属するのか、それとも「子供の所有権」などそもそも存在しないという議論を生成する。
子供の責任を親や家族に求める日本社会において、子供に対する責任を国家が持つという概念は理解し難いのかもしれない。
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確かに、社会政策としての「子供手当て」に後付的に経済政策と福祉政策の意味合いを持たせてしまっている民主党の説明能力の不足が混乱を招いている事実は否定できない。
民主党の政策立案能力も説明能力が低いのは事実だ。
政策間の整合性も一貫性も、その前に各政策の合理性も欠けている。

しかし、「社会政策」として主張しているものを「経済」や「福祉」の軸で否定するのは「論理のすり替え」である。
この「論理のすり替え」はディベート技法としては常套手段(有効で強力)であるが、ここで彼がディベートとして民主党を批判する必然性がない。
これは単に「社会政策」としての視点が抜け落ちている主張である

「所得制限」に関して民主党の「子供手当て」を批判するのだとすれば、こうなるだろう。


これまで「子供手当て」は「社会政策」なので「所得制限」かける必要がないと説明してきたのにも関わらず、ここにいたって財源や国民感情の理由で「所得制限」をかけるということは、どういうことだ!
(党から要望したというだけで政府としては決めていないが)
国は子供を差別する気か?!
今更になって「経済政策」や「福祉政策」に目的を変えましたってことなら、こんなコストのかかる効率の悪い政策止めちまえ!


所得制限をかける時点で社会政策としての子供手当ては終わるのだ。


※注意
本エントリでは「子供手当て政策」の是非について評価はしておりません。
「子供手当て」に対する批判についての考え方を述べているだけです。
個人的に、民主党の「子供手当て」は旧帝国海軍の「大鑑巨砲主義」に似たような発想のような印象を持っています。
(要は、問題解決に至る想定が単純すぎる)
さらにいえば、戦略目的が曖昧なため、戦略実現のために迷走することが目に見えています。
戦略目的の策定と同時に統合作戦の重要性に気づくことがまず初めでしょう。


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