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悔しいが菅直人の術中に嵌らざるを得ない 浜岡原発議論停止

2011-05-12 18:50:54 | 政治
つぶやきを再構成してお送りします。

私は悔しい。
浜岡に関する議論をすればするほど菅直人の術中に嵌ることになるからだ。

浜岡原発の停止要請に見る、民主党の本質 - (常夏島日記)
http://j.mp/kArENx

[前略]

民主党は、目的が民意に沿うという決意をした場合には、民主的プロセスの中で法解釈を変え、あるいは情報を隠すことにためらいはない、そういう政党です。
「民意に沿う」ことを、全力で、手段を問わずやる政党、それが「民主」党です。

[中略]

いちいち関係者全員のコンセンサスを取っていては、抜本的な改革はできない。民主主義における最終目的は国民の幸せであり最終手段は国民の要請なのだから、為政者(経営者)がこれが正しいとおもうことを手段を問わずやって何が悪い。俺たちはそれで企業経営に成功してきた。とそういうわけです。

その意味において、民主党のやり方は必ずしも否定されるべきものではないわけです。むしろ、自民党的な、あらゆるところでコンセンサスをとりに行く方法が限界にぶち当たって、みんなの自由のわがまま放題を許したが故にみんなの幸せを見失って実現できなくなったからこそ民主党が政権に就いたとも言えます。


民主党が「民意」に根ざした民主主義政党だとしよう。この場合、民主党がどこを向いて「民意」を捉えようとしているかが民主党の在り様を知る上で重要だ。だが、もっと重要なのは基本的姿勢である。「民意」に対して「真摯」であろうとしているかという点である。「マネージャには根本的な素質が必要である。真摯さである。」と言ったのはドラッカーだ。

真摯さという素質を持つ者は、好かれている者よりも尊敬を集める。一流の仕事を要求し、自らにも要求する。基準を高く定め、それを守ることを期待する。何が正しいかだけを考え、誰が正しいかを考えない。真摯さよりも知的な能力を評価したりはしない。

真摯さは、とってつけるわけにはいかない。既に身につけていなければならない。ごまかしがきかない。ともに働けば、その者が真摯であるかどうかは数週間でわかる。部下たちは無知や無能、態度の悪さや頼りなさには、寛大たりうる。だが、真摯さの欠如は許さない。決して許さない。

真摯さという素質を欠く者は、いかに愛想がよく、助けになり、人付き合いがよかろうと、またいかに有能であって聡明であろうと危険である。

無能や無知が問題なのではない。なぜならそれらは何らかの形で補完できるものだからだ。しかし、真摯さの欠如は重大な問題だ。それは補うことができないものだからだ。ドラッカーが組織社会のマネージャの絶対条件として真摯さを挙げた理由は、その欠如を組織の力で無効化できないからである。

浜岡原発停止を「大英断」などと評価してる人は「英断」の意味を知らないのだから全く信用ならない。「英断」とは、大きな犠牲の上にそれでもある目的の為になされる決断を言う。それは「決断」という意味を考えればわかる。「決める」と「諦める」は同義語なのだ。諦める必要がないのであれば決める必要がない。何かを諦めなければならない状況に身を置くからこそ決める必要が出てくるのだ。よってあらゆる政治的決断には犠牲が付き物である。浜岡原発を停止することの犠牲についての説明はあったか。覚悟を持って決断をしたなら、何かを諦めたはずだろう。それは何か。

この諦めた部分の説明にこそリーダーの真摯さは如実に表れる。そこにその者の覚悟も読み取れるのだ。本気で浜岡原発を停止したいと考えたなら、どうして手続きを踏まなかったのか。手続きを踏もうとすれば潰されるからか。混乱を生むのがわかっていて緊急会見で要請しなければならなかったのは何故か。それが唯一停止を実現できる方法と思ったからか。何よりも真摯であろうとしたか。私が不感症だからなのか、菅総理にも枝野官房長官からも真摯さを読み取ることはできなかった。

小幡さんの分析があまりにも核心を突いている。
浜岡について議論しようとしている時点で、私は菅直人のスキームにはまってしまっている。
悔しいことだ。

浜岡原発 天才菅直人(小幡績)
http://agora-web.jp/archives/1324290.html

菅直人が久々に政治家として力を発揮した。

彼ほど徹底したポピュリズムを目指し、かつ人気が上がらない総理は歴史上存在しないが、政治家としての面目躍如だ。

浜岡原発の停止要請は完璧なスキームだ。これを直感で決めたのなら、やはり彼は天才であるし、日本にとって彼は天災だ。

中部電力が抵抗すればするほど、経済界の重鎮が反発すればするほど、自民党や民主党内の良識派が玄人的な批判をすればするほど、彼は英雄になる。既成勢力と戦う革命的運動家として。小泉の手法を野党的に反社会活動家として応用したらこうなる。

これが本来の彼の姿だ。国家に対する反発、アナーキズム。体制というものは破綻させるためにあるのであり、やや混乱した社会における人々の閉塞感の波に乗り、さらに混乱させて権力と戦う英雄になる。

そのスタイルは権力を持っても変わらない。

中部電力も経団連も自民党も、日本経済を真に憂い、日本政治、日本社会の公正な運営を願う人々も、実体のない不安で膨らんだ原発反対ポピュリズムの前では、彼のこのスキームにかなわない。

プロセスを踏まず、総理自身が突然会見するのは、このスキームの最重要ポイントだ。総理一人が孤独に、果敢に戦う姿を大衆に見せ付けなければならない。社説も編集員もそれは既得権益の強いものたち、大衆の敵だ。彼らの批判は彼にとっての快楽だ。

だから、浜岡だけでいい。他の原発を止めれば大衆の生活が眼に見えて苦しくなり、不満が高まる。だからこれだけで必要十分なのだ。原発の安全性などどうでもいい。スリーマイルのような人為的な単純ミスでの事故は気にしない。それは電力会社のせいだから、もう一度、自分がそれを糾弾し英雄になるチャンスが増えるだけのことだ。人々が不安なのは、地震と津波。それだけを利用するのだ。

したがって、私は彼の人気を高めるようなまともな議論は浜岡に関してはしないこととする。


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