粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

桂枝雀師匠バンザイ

2011-09-04 12:03:30 | 落語

桂枝雀、軽妙な語りとオーバーアクションで会場を大爆笑にまき込む稀有の落語家。古典落語が中心だが、師匠の米朝など正調派と違う異端児と言ってよい。枝雀の前に枝雀なし、枝雀の後に枝雀なし。

彼の落語で特に好きなのは、「千両みかん」「崇徳院」「高津の富」など。市井のどちらかというと気の弱い庶民をコミカルに演じている。高津の富での、素寒貧の主人公が1等の当選を信じられず何度も番号を見比べるシーンはいつ聞いても笑ってしまう。これらは古典落語の名作だが、彼の語りは登場人物への深い共感を感じる。滑稽さと哀しみを伴って。

そんな彼の突然の死は衝撃的だった。笑いを業とする人間らしからぬ死。落語の究極を追求するあまりの完璧主義。にぎやかすぎる表舞台と違い、私生活では鬱病に苦しんでいたようだ。

彼が自身では取り上げる事がなかった演目に「たちぎれ線香」がある。上方落語の名作で米朝一門のもちネタだが、枝雀にはシリアスすぎたのだろうか。遊郭の芸妓小糸と熱を上げた商家の若旦那の悲恋、座敷牢に閉じ込められた若旦那に小糸から毎日書き送られる手紙が届く事はなかった。禁が解かれたときには小糸は既に心労がたたりこの世の人ではなかった。話の前半は結構笑えるが後半は重い。枝雀の芸に対するまじめすぎる姿勢は、この小糸とも通じているのではないかと思うと皮肉な感じもする。

芸人というのは、思えば羨ましい稼業である。たとえ本人は他界しても作品は残る。特に落語などは演者の息づかいが生々しく残り、まるで今そこで語っているようなライブ感を味わえる。枝雀師匠が死して12年、今も狭い我が家の演技場で笑いをふりまいてくれる。


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