粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

山下教授の動画

2011-09-03 14:31:25 | 原発事故関連

山下俊一長崎大学教授の福島での講演を納めた動画を見た。題して「山下教授のトンデモ発言」 グーグルで「山下教授(動画)」で検索すれば最初にでてくるほどヒットしている。タイトルが示す通り投稿者は、教授を批判する意図がありありだ。当然、閲覧者のコメントも悪口雑言極まりない、御用学者は当然として、詐欺、犯罪者、果ては殺人犯。ネット社会のいびつさを改めて思い知る。

確かに彼にはリップサービスが過ぎてフライイングの嫌いはある。よく政治家が支持者の集会で受けを狙い失言するのと似ている、よくいえば教授の人の良さか。しかし彼のいう「安全はひとつだが、安心はみんなで違う」いうのは、事の本質、核心をついていると思う。今日の放射能汚染恐怖騒動はすべてここから始まっていると言って間違いない。安心の捉え方次第で、人は騒いだり、落ち着いたりする。「クヨクヨする人に効く(放射線の影響をうけやすい)」というのも事実である。。

山下教授同様、チェルノブイリ事故後放射線の影響をつぶさに調べてきた同じく長崎大学長瀧教授、広島大学星教授も過剰な放射能恐怖を戒め、必要以上のストレスが人々の心身を病ましていると警告している。

私自身、今度の原発事故では今後もさしたる健康被害はないと信じている。しかし今後一部マスコミはグレーゾーンの病人を指して原発事故の影響と声高に騒ぐかもしれない。それはともかく、今後の課題はいかに「安心」を担保させるかにかかっている。福島の人々に毎年定期健康検診を制度化するなども安心の確保に重要だと考える。

それと山下教授がいう毎時10マイクロシーベルト(講演時100マイクロを後10マイクロに訂正)の基準値に関して思い出されるのは、1989年ブラジル、ゴイアニア市で起こったセシウム137被曝事故。廃院になった病院からセシウム137の線源を盗んだ者が興味本位に開封した事によっておこった放射線被曝事故

そのときの出入り基準(表1)が毎時10マイクロシーベルトだった。事故は6ヶ月で収束して除染もしっかり行なわれたようだ。資料も少なく単純に福島の事故と比較できないが、以前から気になっている事故だ。



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