一票の格差というけれど、これまで都会の住民でそれに不満を表明して抗議活動をしたという話を聞いたことがない。実態は「一票格差オタク」の特定の弁護士が自分たちの趣味で裁判所に告訴する「違憲ゴッコ」にしかみえない。裁判所がこうしたオタクの趣味にまともに応える必要があるのかと疑問に思う。
その結果が今回の参議院の選挙改正だ。特に「合区」と呼ばれる隣接する2県を一つの選挙区にする区分けが問題だ。今回は高知と徳島、島根と鳥取がそれぞれ合区になる。おそらく、これらの4県の県民はこの改正をやりきれない不満と憤りで見ていることだろう。
たとえば高知と徳島、この2県は古代奈良時代の令制で土佐と阿波という別々の国だった。明治の廃藩置県でもその区分はそっくり残ったまま今日至っている。両県人にとって県はまさに「おらが国」であり、郷里の最大単位といってよい。県の文化、方言や料理そして出身著名人などそのまま自分たちの誇りであり、アイデンティティでもある。
一方、坂本龍馬は高知の英雄だが、徳島県人にとっては「よそ者」である。こうした県という郷土に対するこだわりを全く無視して人口の合計だけで選挙区を決めてしまうやり方は横暴以外の何ものでもない。議院選挙で隣県の候補者をとても投票する気になれず、といって同県の嫌いな政党候補者を選ぶ気にもなれない。こうなると投票へのモチベーションが大きく減退するだろう。
自分自身、日頃衆議院はともかく参議院は人口比で定員数を決めるべきではないと考えている。アメリカ連邦議会上院のように、各県同数でいいと思う。明治以後、日本は中央集権国家になったが、それまでは封建国家で地方の大名の下、独立した形態をとっていた。そして、土佐を土州、阿波を阿州と呼んでいたのを考えるとまるでアメリカの州のようにも思える。
そもそも、都会は税金が多いことで経済的に地方を支え、文化的にも、あるいは情報発信でも地方をリードしているから、人口比で選挙区の定員を決めて当然というのは都会人の傲慢ではないか。例えば都会人に対し、地方の米や野菜、肉あるいは魚介物を提供していて、これなしでは1日たりとも生活できない。あるいは最近の原発事故で明らかになったとおり、都市部の電力も地方が支えている。
また地方の郷土文化の集合体が都会の文化を形成している側面がある。さらには日本は32の国立公園を始め多くの美しい自然は地方に点在し、国民のかけがえのない財産である。この宝物を保全してきたのは地方あるいは過疎地域の人々だ。
だから、都会人は地方のこれまでの支えを配慮し、地方の声も反映させる政策をとらなければならない。それを単に人口比だけで議員定数を決めるのは、地方切り捨てであり、まさに天に唾する所作であると思う。