「3月11日」
1月17日や9月1日と並んで、日本にとって忘れることができない日です。
今年の3月11日は、東日本大震災から10年になります。
10年前の「あのとき」は、今も衝撃的な数時間として忘れることはありません。
地元で親水機能を備えた河川改修のための市内先進事例視察を市役所職員や地元関係者と行っていた最中に、
けたたましいアラーム音。「津波の危険」と表示され、東北で起きた地震でここでなぜ?
と皆で思ったことが思い出されます。それでも、視察はそこで打ち切りして解散。
車のテレビをつけて、その後その場から動けなくなったことをよく覚えています。
ヘリコプターの上空からの中継映像でした。海の上の。
津波を警戒しての飛行であったと思いますが、沖合から一直線の白い線が陸にむかって進んでいました。
映像のみで音声がなかったので、より無音による恐怖感で胸がざわついたのを覚えています。
一直線の白波は、陸に押し寄せ一気に海岸を、防潮堤を、田畑を、民家を、つぎつぎと静かに飲み込んでゆきます。
まさか、人はいないよな、避難してるんだよね、とひとりで映像をみながら悲鳴をあげたのを覚えています。
家が流され、ひとが電信柱にしがみつき、車が、大きな船が、とにかくすべてのものが内陸部に流されてゆく、
信じられない光景が映し出されていたのに、だれもなにもできない、・・・人がながされているのに、です。
・・・そんな光景をはっきりと覚えています。
忘れてはいけない。
そして、あの犠牲を生かされている我々は決して無駄にしてはいけない。
あらためて、あの大震災で犠牲になられたかたがたのご冥福を心からお祈りしたいと思います。