半藤一利先生を悼む

2021年01月20日 | Weblog

作家の半藤一利先生がお亡くなりになりました。

「日本のいちばん長い日」や「昭和史」に代表される、近現代史研究の第一人者でいらっしゃいました。

「日本のいちばん長い日」は、終戦の玉音放送にいたる24時間を克明に描いた一冊で、

無名の人々のさまざまな思いを史実として織り交ぜた、珠玉の歴史書であると思います。

また、「昭和史」は、自らの言葉で昭和史をさまざまな角度から語られたものを本にしたものですが、

こちらも半藤先生が自ら取材して、ご自分の頭なかで整理整頓してわかりやすく語られたものですので、

本当にわかりやすい本、というより「語り」であったと感じています。

 

ある意味、昭和という時代の日本とはなんだったのかを背負っておられた半藤先生だけに、

これで”いよいよ昭和は遠くなりにけり”であるなあ、と思うのはきっとわたしだけではないと感じています。

 

「歴史は繰り返す」といいますが、激動の昭和史を研究された半藤先生だからこそ、

いつもこの国の行く末を心配しておられて、またしても国家としてまちがった選択をするのではないか、

若い人はしっかり勉強しているのか、楽をすることを覚えて堕落をしていないか、というような言葉が並んでいた気がします。

「昭和史」の完結編でもある「1945~1989戦後編」の後書きは、以下のような一文で締めくくられています。

 

『今の日本に必要なのは何か?

一つには、無私になれるか。マジメさを取り戻せるか。日本人皆が私を捨てて、

もう一度国を新しくつくるために努力と知恵を絞ることができるか。その覚悟が固められるか。

二つめに、小さな箱から出る勇気。自分たちの組織だけを守るとか、組織の論理や習慣に従うとか、

小さなところで威張っているのではなく、そこから出て行く勇気はあるか。

三つめとして、大局的な展望能力。ものごとを世界的に地球規模で展望する力があるか。

そのためにも大いに勉強することが大事。

四つめに、他人様に頼らないで、世界に通用する知識や情報を持てるか。

さらにいえば五つめ。「君は功を成せ、われは大事を成す」(吉田松陰)という悠然たる風格を持つことができるか。

 現在の日本に足りないのはそういったものであって、決して軍事力ではないと私は思います。

日本よ、いつまでも平和ですこやかな国であれ。』  

 

この本が出版されて15年。

半藤先生のご心配は晴れないままで、旅立たれてしまったのではないかと、痛惜の念に堪えません。

政治家の端くれとして、思いを新たにする今日この頃です。

 

こころからのご冥福をお祈りいたします。

 

 


倒産と廃業

2021年01月19日 | Weblog

コロナ禍の年始、挨拶まわりを兼ねてこのところほぼ毎日、

地元企業や団体、個人のみなさまのお話を伺っています。

薄々は昨年から気づいていたのですが、このところ確信にかわりつつあることがあります。

ときどき報道に乗ってくる『コロナ禍での倒産数が思ったより少ないのは国の政策が成功しているからだ』

という論調に違和感を覚えていましたが、実は「倒産」ではなく「廃業」している零細企業が

相当数あることに評論家や国のお役人さん、もしかしたら国会議員も気が付いていません。

「隠れ倒産」というかたちでの「廃業」がかなり進んでいると感じています。

数値を調査して説得力のある説明解説をいずれしたいと思います。

 

コロナ禍では、命も経済も大事なのです。

感染防止の徹底とともに経済をできるだけ安全に回す施策もとってこそ政治のあるべき姿だと思っています。

もう少し調査と推敲を重ね、現場からしっかりした対策を創り出せるよう精進いたしますので、

みなさまもぜひお気づきのことがありましたら、ご教示いただきますようお願い申し上げます。

 


コロナ下での経済政策②

2021年01月04日 | Weblog

 今後の経済政策には「資本ストック」と「良質な労働力」が必要である。

昨日も将来分析の大切さと準備について説いたが、まず直面する課題について論じたい。

いま県ができることとしては、県内企業がもつ「資本ストック」と「労働力」、

とくに「技術力」をいかに失わないようにするかを考えなければなりませんが、

この一年で多くの零細企業が倒産廃業に追い込まれているという厳しい現実があります。

それらのなかには、貴重な技術力をもった企業も含まれています。

例えば、繊維産業や裁縫業、染織業、工芸製品業などのような、伝統的な静岡県産業を支え、

厳しい時代をしのぎ切り生き残ってきた貴重な技術を持つ産業群も危機に瀕しています。

繊維産業は国内外の各種ブランド品を下請けとして生産していましたし、

日本伝統の匠の技としての染色や工芸製品業は、わずかな職人がその技を伝えてきています。

これらが失われることはのちのち大きな損失になると考えます。

 県としてはこのような「資本ストック」と「良質な労働力」が失われゆくことを看過してはならない。

今できることとしては、産業としての一律のくくりをするのではなく、

「技術力」を評価基準とした「資本ストック」と「良質な労働力」を守る政策を打ち出すべきでしょう。

具体的には、これらは、地域の金融機関や商工会議所、商工会などでも把握していることと推測できるので、

コロナ対策としてこれらの組織や市町と協働しての制度設計が望ましいと考えています。

 

 


コロナ禍での政策提言①

2021年01月03日 | Weblog

各種シンクタンクの分析によると、

2020年にコロナ禍で失われたGDPがコロナ前の水準に戻るのは2024年後半であろうという

驚愕のデータがあるが、これは先進諸国のなかでは回復が非常にスローペースな予測であり、

国家の存亡にかかわる由々しき事態であると考えます。

この理由としては潜在成長力の低さが挙げられていますが、

潜在成長力とは「資本ストック」と「労働力」と「生産性」から算定されていますが、

まずは「ものづくり県」と言われる本県の潜在成長力は果たしてどのくらいあるのか検証しておく

必要があり、さらにこの潜在成長力についての特徴や傾向調査をし、それをキチンと分析をしておくことが、

今後の経済政策の柱のひとつになると考えています。

たぶん国も同様の危機感のなかで政策立案をしてくると予想されますが、

国の施策立案を待ってでは、立ち遅れてしまいますので、生産現場をもつ地方からこそ

先見性のある提案をしてゆくことこそが、ひいては日本の国力になると感じています。

 


今年は政策提言とグランドデザインを描く一年としたい

2021年01月02日 | Weblog

昨年はこのブログをすっかりさぼってしまいましたが、

今年はコロナ禍から、さまざまな分野での大きなパラダイムシフトが起こると考えています。

であれば、そのパラダイムシフトに対して手をこまねいているのではなく、

積極的な政策提言はもとより、”本物の政治をやるのだ”と、志してきた政治家である以上、

やはり、この国のかたち、静岡県のかたち、浜松市のかたちについて語らねばならないと痛感しています。

誰かに任せればよい、何とかなるのではないかではなく、自分がやるのだ、という強い意志こそが必要です。

それを持って政治に臨まねば、コロナ禍の政治、大パラダイムシフトの世界のなかでの政治を

担うことはできないでしょう。そんなことを考え、あがき、挑戦してゆく一年にする。

そうした決意で今年に臨みたいと思っています。

 

明日からはまず静岡県政についての、「現場から政策提言」からはいってゆきたいと思います。


謹賀新年

2021年01月01日 | Weblog

あけましておめでとうございます

 

2021年、令和3年の始まりです。

今年はコロナ禍のなかでの一年となることが確定していますが、

「禍福倚福(かふくいふく)」の言葉通り、

「禍(わざわい)のなかにも福があり、福のなかに禍が潜んでいる」という一年であると思っています。

どんな展開になっても、それを福に変えられる準備と精神力を養い、この一年に臨みます。

「研ぎ澄ました日常」を今年の抱負としたいと思います。

 

今年もどうぞよろしくお願いいたします。