あべまつ行脚

ひたすら美しいものに導かれ、心写りを仕舞う玉手箱

京都五山禅の文化展 ・東京国立博物館 その一

2007-09-03 13:18:24 | 日本美術
今年の夏の旅行キャンペーンに妙心寺の八方睨みの龍がお出ましだった。
色んな駅に行くとどこからともなく龍の天井絵が現れ、
親子で、京都に行こう~と謳っていた。
それを見るにつけ、去年息子と行ったもんねぇ~と切り返したくなる。
彼は、気が付いていないが、何気に日本美術のエリート達を近くで見ているのだ。

この度、東京国立博物館に集結している禅寺の文化。
その中の相国寺にも去年訪ねた。
雪舟も若冲もここで禅を学び、精神哲学を学び、
その延長で筆による表現を身に付けていった。
日本アカデミーの根幹がある。
しかし、その根幹は、中国からやってきたこと。
そこから発展していった日本独自の精神構造。美学の構造。
仏門の道。
これらの時代の流れについては、
 「日本美術の歴史」辻惟雄著のP213~ 
  禅宗にともなう新しい美術
がとても参考になる。
東博の東洋館にもその流れを感じとることができる。

中国からの仏教美術の流れが、禅宗の底流に流れていることは、
日本の歴史を作っていった大きな要素であることも
改めて実感できる展覧だった。

そうはいっても膨大な展示品の中から、
感想をつけるのは大変なこと。
中で私の眼が喜んだものだけ、ピックアップすることにする。
資料として、東博のニュースも便利。
その図解に従って進めたい。

第一章 兼密禅から純粋禅へ
 ①禅僧の肖像 絵と彫刻を比べてみる
  僧が師のもと厳しい修行を終えた時に与えられる肖像画、彫刻なのだそうだ。
  どうりでみな厳しい顔、一癖ありそうな面構え。
 ②禅僧が死の間際に書き残した遺掲
  臨終間際の書というのが気迫溢れる。
  斜めになっていてもむしろそれが息遣いさえも伝わるものだ。
 (番号は出品目録に付けられたもの)
 3 明全戒牒 道元識語 
   光悦・宗達の歌巻のような蝶が散らばる美しい紙と、書。
11 円爾弁円像 
   椅子にかけられた布の緑が美しい、更紗模様。
22 紺地縫い合わせ直裰
   綾織のすばらしさ。潔い紺の色。
40 一山一寧墨蹟
   良寛さんにつながるような流れる文字。

第二章 夢窓派の台頭
 ③師から弟子に渡された伝法衣
  師が弟子に教えを継承した証として、衣を渡したことがあったそうだ。
  袈裟は、中国製が多く、様々な文様がある。
  今と違って当時は、中国製が珍しく憧れの品物だったことだろう。
  唐物がお茶の世界にも重用されたのは納得できる。
64 夢窓疎石墨蹟「別無工夫」
  夢窓疎石の像が立ち並ぶ中、この書が印象的。
  直接的な僧のお姿、書、使用したものなどが並べられ、
  お寺にとってはまさに生きた証拠品なのだ。

第三章 将軍家と五山僧
 ④足利将軍の肖像
 ⑤建立当時の金閣の鳳凰
108足利義満像
  この人が中国と貿易を始めたのだ。その利益が金閣寺に反映され、
  北山美術が花開いた。
  今回の記念展は、義満6百年忌記念なのだ。
  金閣寺内はさぞさぞ唐物が絢爛豪華に所狭しと
  飾り立てられたのだろう。
  私見だが、この絢爛があってこそ、後の侘びが日本のものとして
  生まれたのだと思う。
  利休は絢爛の真反対、それもまた無の絢爛であると思っている。
  憧れは、ようやく日本のものになっていったのだと思いたい。

122江天暮雪図 伝牧谿筆
  牧谿の俯瞰している絵が好きだ。
  もやっとした霧がかった冷たい空気さえも伝わり、
  その中の鳥達も実に自由で山々さえ気持ちよさそうなのだ。
125銅造鳳凰
  金閣寺建立当初のもの。
  眉毛が勇ましく、ぎょろりとした瞳もたくましい。
  秋祭りの神輿を今度しっかり見てみよう。
127阿弥陀如来立像
  光背のレース模様がキレイだった。
128青磁茶碗 銘 馬蝗絆 一口
  平重盛が宋の育王山に黄金を贈った返礼として伝来したものを
  義政が愛蔵していた時に割れがあったので明に送ったところ
  これに代わるものがあろうはずもないと、
  イナゴのような鎹を打って返され、銘が馬蝗絆となったという逸話付き。 
  東博の茶の美術コーナーで時々見ることができるが
  翡翠色ではなく、まさに翡翠からできていると思う色で、
  ため息。茶碗は一口と数えるのだ、と知った。

第四章 五山の学芸
 ⑥詩画軸
  禅僧達による五山文学
  山中の書斎で静かに暮らすのが憧れの世界。
  その中で詠んだ漢詩と、画のコラボレーション軸。
150墨梅図 物外筆
  梅の根元が波打ってシュールな匂いがあった。
156楼閣山水図
157寒山拾得図 牧谿の筆による渋い水墨画の世界。
173山水図 守拙筆 一休宗純賛
   ちょっと、応挙の水墨画を思い出した。
175十牛図 伝 周文筆
   都路華香の十牛図を思い出す。
   十牛図は、牛を飼いならす方法を段階ごとに絵で説法するようなもの。

第五章 五山の仏画・仏像
 ⑦大画面、迫力の仏画とさまざまな仏像
 ようやく私にでも楽しめる世界が広がってきた。
 面白いものが目白押し!

でも、これを書き連ねると大変なので、続き物にしようと思う。
今回は、ここまで。
禅は、見るものも修行の一つとなっているのだろうか??
疲れます。しかし、興味深いものばかり。
業の深いことよのう。

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2 コメント

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宋元ー鎌倉室町 (とら)
2007-09-04 20:41:44
こんばんは。
この展覧会は、学び取る展覧会でした。
この辺の辻惟雄さんの著述は冴えていますね。
沢山のものを観たいのですが、展示替えが多すぎて残念です。
とら さま (あべまつ)
2007-09-05 12:20:06
こんにちは。
このアカデミックな人達が時代を支えてきたのだとすれば、今は・・・とつい思ってしまいます。
その背景には憧れの中国文化が神々しく存在していたことも、それがあればこそ、憧れに追いつきたいと願ったのでしょう。
禅は、ストイックな世界と思っていましたが、
思いの外、生々しい人々の息づかい感じられました。
確かに列品数が盛り沢山の上、展示替えが多く、
通うのも大変ですね。

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