今年の夏の旅行キャンペーンに妙心寺の八方睨みの龍がお出ましだった。
色んな駅に行くとどこからともなく龍の天井絵が現れ、
親子で、京都に行こう~と謳っていた。
それを見るにつけ、去年息子と行ったもんねぇ~と切り返したくなる。
彼は、気が付いていないが、何気に日本美術のエリート達を近くで見ているのだ。
この度、東京国立博物館に集結している禅寺の文化。
その中の相国寺にも去年訪ねた。
雪舟も若冲もここで禅を学び、精神哲学を学び、
その延長で筆による表現を身に付けていった。
日本アカデミーの根幹がある。
しかし、その根幹は、中国からやってきたこと。
そこから発展していった日本独自の精神構造。美学の構造。
仏門の道。
これらの時代の流れについては、
「日本美術の歴史」辻惟雄著のP213~
禅宗にともなう新しい美術
がとても参考になる。
東博の東洋館にもその流れを感じとることができる。
中国からの仏教美術の流れが、禅宗の底流に流れていることは、
日本の歴史を作っていった大きな要素であることも
改めて実感できる展覧だった。
そうはいっても膨大な展示品の中から、
感想をつけるのは大変なこと。
中で私の眼が喜んだものだけ、ピックアップすることにする。
資料として、東博のニュースも便利。
その図解に従って進めたい。
第一章 兼密禅から純粋禅へ
①禅僧の肖像 絵と彫刻を比べてみる
僧が師のもと厳しい修行を終えた時に与えられる肖像画、彫刻なのだそうだ。
どうりでみな厳しい顔、一癖ありそうな面構え。
②禅僧が死の間際に書き残した遺掲
臨終間際の書というのが気迫溢れる。
斜めになっていてもむしろそれが息遣いさえも伝わるものだ。
(番号は出品目録に付けられたもの)
3 明全戒牒 道元識語
光悦・宗達の歌巻のような蝶が散らばる美しい紙と、書。
11 円爾弁円像
椅子にかけられた布の緑が美しい、更紗模様。
22 紺地縫い合わせ直裰
綾織のすばらしさ。潔い紺の色。
40 一山一寧墨蹟
良寛さんにつながるような流れる文字。
第二章 夢窓派の台頭
③師から弟子に渡された伝法衣
師が弟子に教えを継承した証として、衣を渡したことがあったそうだ。
袈裟は、中国製が多く、様々な文様がある。
今と違って当時は、中国製が珍しく憧れの品物だったことだろう。
唐物がお茶の世界にも重用されたのは納得できる。
64 夢窓疎石墨蹟「別無工夫」
夢窓疎石の像が立ち並ぶ中、この書が印象的。
直接的な僧のお姿、書、使用したものなどが並べられ、
お寺にとってはまさに生きた証拠品なのだ。
第三章 将軍家と五山僧
④足利将軍の肖像
⑤建立当時の金閣の鳳凰
108足利義満像
この人が中国と貿易を始めたのだ。その利益が金閣寺に反映され、
北山美術が花開いた。
今回の記念展は、義満6百年忌記念なのだ。
金閣寺内はさぞさぞ唐物が絢爛豪華に所狭しと
飾り立てられたのだろう。
私見だが、この絢爛があってこそ、後の侘びが日本のものとして
生まれたのだと思う。
利休は絢爛の真反対、それもまた無の絢爛であると思っている。
憧れは、ようやく日本のものになっていったのだと思いたい。
122江天暮雪図 伝牧谿筆
牧谿の俯瞰している絵が好きだ。
もやっとした霧がかった冷たい空気さえも伝わり、
その中の鳥達も実に自由で山々さえ気持ちよさそうなのだ。
125銅造鳳凰
金閣寺建立当初のもの。
眉毛が勇ましく、ぎょろりとした瞳もたくましい。
秋祭りの神輿を今度しっかり見てみよう。
127阿弥陀如来立像
光背のレース模様がキレイだった。
128青磁茶碗 銘 馬蝗絆 一口
平重盛が宋の育王山に黄金を贈った返礼として伝来したものを
義政が愛蔵していた時に割れがあったので明に送ったところ
これに代わるものがあろうはずもないと、
イナゴのような鎹を打って返され、銘が馬蝗絆となったという逸話付き。
東博の茶の美術コーナーで時々見ることができるが
翡翠色ではなく、まさに翡翠からできていると思う色で、
ため息。茶碗は一口と数えるのだ、と知った。
第四章 五山の学芸
⑥詩画軸
禅僧達による五山文学
山中の書斎で静かに暮らすのが憧れの世界。
その中で詠んだ漢詩と、画のコラボレーション軸。
150墨梅図 物外筆
梅の根元が波打ってシュールな匂いがあった。
156楼閣山水図
157寒山拾得図 牧谿の筆による渋い水墨画の世界。
173山水図 守拙筆 一休宗純賛
ちょっと、応挙の水墨画を思い出した。
175十牛図 伝 周文筆
都路華香の十牛図を思い出す。
十牛図は、牛を飼いならす方法を段階ごとに絵で説法するようなもの。
第五章 五山の仏画・仏像
⑦大画面、迫力の仏画とさまざまな仏像
ようやく私にでも楽しめる世界が広がってきた。
面白いものが目白押し!
でも、これを書き連ねると大変なので、続き物にしようと思う。
今回は、ここまで。
禅は、見るものも修行の一つとなっているのだろうか??
疲れます。しかし、興味深いものばかり。
業の深いことよのう。
色んな駅に行くとどこからともなく龍の天井絵が現れ、
親子で、京都に行こう~と謳っていた。
それを見るにつけ、去年息子と行ったもんねぇ~と切り返したくなる。
彼は、気が付いていないが、何気に日本美術のエリート達を近くで見ているのだ。
この度、東京国立博物館に集結している禅寺の文化。
その中の相国寺にも去年訪ねた。
雪舟も若冲もここで禅を学び、精神哲学を学び、
その延長で筆による表現を身に付けていった。
日本アカデミーの根幹がある。
しかし、その根幹は、中国からやってきたこと。
そこから発展していった日本独自の精神構造。美学の構造。
仏門の道。
これらの時代の流れについては、
「日本美術の歴史」辻惟雄著のP213~
禅宗にともなう新しい美術
がとても参考になる。
東博の東洋館にもその流れを感じとることができる。
中国からの仏教美術の流れが、禅宗の底流に流れていることは、
日本の歴史を作っていった大きな要素であることも
改めて実感できる展覧だった。
そうはいっても膨大な展示品の中から、
感想をつけるのは大変なこと。
中で私の眼が喜んだものだけ、ピックアップすることにする。
資料として、東博のニュースも便利。
その図解に従って進めたい。
第一章 兼密禅から純粋禅へ
①禅僧の肖像 絵と彫刻を比べてみる
僧が師のもと厳しい修行を終えた時に与えられる肖像画、彫刻なのだそうだ。
どうりでみな厳しい顔、一癖ありそうな面構え。
②禅僧が死の間際に書き残した遺掲
臨終間際の書というのが気迫溢れる。
斜めになっていてもむしろそれが息遣いさえも伝わるものだ。
(番号は出品目録に付けられたもの)
3 明全戒牒 道元識語
光悦・宗達の歌巻のような蝶が散らばる美しい紙と、書。
11 円爾弁円像
椅子にかけられた布の緑が美しい、更紗模様。
22 紺地縫い合わせ直裰
綾織のすばらしさ。潔い紺の色。
40 一山一寧墨蹟
良寛さんにつながるような流れる文字。
第二章 夢窓派の台頭
③師から弟子に渡された伝法衣
師が弟子に教えを継承した証として、衣を渡したことがあったそうだ。
袈裟は、中国製が多く、様々な文様がある。
今と違って当時は、中国製が珍しく憧れの品物だったことだろう。
唐物がお茶の世界にも重用されたのは納得できる。
64 夢窓疎石墨蹟「別無工夫」
夢窓疎石の像が立ち並ぶ中、この書が印象的。
直接的な僧のお姿、書、使用したものなどが並べられ、
お寺にとってはまさに生きた証拠品なのだ。
第三章 将軍家と五山僧
④足利将軍の肖像
⑤建立当時の金閣の鳳凰
108足利義満像
この人が中国と貿易を始めたのだ。その利益が金閣寺に反映され、
北山美術が花開いた。
今回の記念展は、義満6百年忌記念なのだ。
金閣寺内はさぞさぞ唐物が絢爛豪華に所狭しと
飾り立てられたのだろう。
私見だが、この絢爛があってこそ、後の侘びが日本のものとして
生まれたのだと思う。
利休は絢爛の真反対、それもまた無の絢爛であると思っている。
憧れは、ようやく日本のものになっていったのだと思いたい。
122江天暮雪図 伝牧谿筆
牧谿の俯瞰している絵が好きだ。
もやっとした霧がかった冷たい空気さえも伝わり、
その中の鳥達も実に自由で山々さえ気持ちよさそうなのだ。
125銅造鳳凰
金閣寺建立当初のもの。
眉毛が勇ましく、ぎょろりとした瞳もたくましい。
秋祭りの神輿を今度しっかり見てみよう。
127阿弥陀如来立像
光背のレース模様がキレイだった。
128青磁茶碗 銘 馬蝗絆 一口
平重盛が宋の育王山に黄金を贈った返礼として伝来したものを
義政が愛蔵していた時に割れがあったので明に送ったところ
これに代わるものがあろうはずもないと、
イナゴのような鎹を打って返され、銘が馬蝗絆となったという逸話付き。
東博の茶の美術コーナーで時々見ることができるが
翡翠色ではなく、まさに翡翠からできていると思う色で、
ため息。茶碗は一口と数えるのだ、と知った。
第四章 五山の学芸
⑥詩画軸
禅僧達による五山文学
山中の書斎で静かに暮らすのが憧れの世界。
その中で詠んだ漢詩と、画のコラボレーション軸。
150墨梅図 物外筆
梅の根元が波打ってシュールな匂いがあった。
156楼閣山水図
157寒山拾得図 牧谿の筆による渋い水墨画の世界。
173山水図 守拙筆 一休宗純賛
ちょっと、応挙の水墨画を思い出した。
175十牛図 伝 周文筆
都路華香の十牛図を思い出す。
十牛図は、牛を飼いならす方法を段階ごとに絵で説法するようなもの。
第五章 五山の仏画・仏像
⑦大画面、迫力の仏画とさまざまな仏像
ようやく私にでも楽しめる世界が広がってきた。
面白いものが目白押し!
でも、これを書き連ねると大変なので、続き物にしようと思う。
今回は、ここまで。
禅は、見るものも修行の一つとなっているのだろうか??
疲れます。しかし、興味深いものばかり。
業の深いことよのう。
この展覧会は、学び取る展覧会でした。
この辺の辻惟雄さんの著述は冴えていますね。
沢山のものを観たいのですが、展示替えが多すぎて残念です。
このアカデミックな人達が時代を支えてきたのだとすれば、今は・・・とつい思ってしまいます。
その背景には憧れの中国文化が神々しく存在していたことも、それがあればこそ、憧れに追いつきたいと願ったのでしょう。
禅は、ストイックな世界と思っていましたが、
思いの外、生々しい人々の息づかい感じられました。
確かに列品数が盛り沢山の上、展示替えが多く、
通うのも大変ですね。