
2006年5月15日 [白夜の女騎士]@シアターコクーン
作:野田秀樹
演出:蜷川幸雄
出演:松本潤・鈴木杏・勝村政信・六平直政・立石凉子・杉本哲太・高橋洋
山口紗弥加・持田真樹・濱田マリ・たかお鷹・六角慎司・さとうこうじ
野田さんの昔の戯曲は、とにかくイメージの積み重ねであるような気がしてきました。
(全部読んだわけでも、見たわけでもないんですが、そこは突っ込まないでw)
野田秀樹の頭の中に広がって、膨らんだイメージがぎゅっと1つの戯曲に凝縮されてる。
ストーリーが掴みにくいのは、イメージを言葉にして紡いでいるからで、
物語を追うのではなく、イメージを追うと、
ストンと腑に落ちる瞬間があるように思います。
でも、最近上演された[贋作・罪と罰]もそうだし[赤鬼]なんかも、
イメージの積み重ねというより、物語として、キッチリ成立しているんですよね。
表現方法がどんどん、シンプルになっているのか~
そのシンプル方面に進む自分と客に抗おうと思ったのが、[走れメルス]かな。
私は、[走れメルス]でハマってしまったので、ものすごく性質が悪い。
正直1回目を見たときは、『野田さんの演出で見たい!』と思ったけれど、
私としては『昔の野田さんの演出で見たい!』というのが、正しいように思います。
今の野田さんが演出しても、もう必要以上に飾り立てることはしないと思う。
今回蜷川さん演出の[白夜の女騎士]を見て、
野田秀樹の変化を勝手にですがw感じられちゃったような気がします。
私はわざと飾り立ててごちゃごちゃにした、
わかりにくいのも見たいんですが。もう無理な話だなぁ・・・w寂しいけど。
飾り立てるとしたら[走れメルス]と同じ位の作品にはなっても、それ以上はない。
世界を越えるような、闘争本能を持ちやがれ、お前らっっ!!
のんびりしてんじゃねぇ!!!!
って話だったと思います。
だから、主演が松本潤だった。
真っ白だったまぁるい少年が、だんだんと鋭くとがっていく様を表せる役者。
それが、彼なんだと。
すっごい個人的な感情ですが、蜷川さんに対して敬意を持つと同時に、
『70のじじぃに負けてたまるか』
って敵意?を持つことがあってw、その原因が[白夜の女騎士]見てわかりました。
[白夜の女騎士]に出てくる白い線は闘争本能を掻き立てる役割を果たすもの。
私にとって、蜷川幸雄の舞台はこの白い線みたいなモノのようですw
『超えてみろよ、お前には超えられねぇだろ。』
って、舞台を見るたびに、いっつも笑われてる気がするんだよな~。悔しいわ。
で、悔しいからまた見るw
どんどん取り留めのない方向に進んで行く予感がしますが、がんがん続けますw
自分にとって、観劇した作品に対して感じた想いを
整理して行く作業として、“ブログ”っていうのが役に立ってるみたいで。
今日は、読んでくれる方を無視します。まぁ、いつも無視しているようなブログですがw
闘争本能の象徴として存在していたのが、その後の信長。
乱世の中でないと生きられない男。
だから、サスケに富士山を噴火させろとけしかける。
噴火すれば、乱世なんでしょう。
ハムを楽しむ我関せず状態だったサスケが、ハムがきっけけで知り合った
その後の信長の革命運動に巻き込まれる。
結局、信長はしなるグラスファイバーとなり、サスケを空に飛ばす流れの一部に。
空を飛ぶ=眠っていた闘争本能が目を覚ます。
(=富士山が目を覚ます。もかかるかな。)
サスケが空を飛んだその時に、眠り姫=おまけが目を覚ます。
というのも、闘争本能の目覚めに繋がるイメージ。
おまけ=白い線=闘争本能を掻き立てるモノと解釈できるから、
信長がおまけを犯すというのは、線を越えるといことであって、
彼が本能で生きているという象徴にもなる訳で。
2回目を見た今日だったら、信長=テロリストという解釈も割とすんなり理解できるかな。
時限爆弾を作って、世界を変えようとする。
その方法は違うけれど“世界を変える”そのエネルギーの継承が、
サスケと信長、そして舞台と観客の間にあると思う。
おまけが白い線というのは、
「高飛びしようとしてファールしてしまったサスケの足の間をおまけが通る」
という演出からも読み取れるし、
惚れ薬を飲み、最初に眠り姫を見てしまった神様が、
「白い線に向かって“好きだ”と連呼する」
という場面、その他いろいろなところから読み取れます。
勝村さんの演技が、熱くて素晴らしいのは、
舞台上で蜷川さんの想いを代弁する役割を果たしているからかな、
なんてことも思いました。
“若い世代に伝える。渡す。”
それが、その後の信長。
蜷川さんは最近、“若いやつらに伝える”ということを良く言っているように思います。
蜷川幸雄の思いを、勝村政信が汲み取っているからこそ、あの演技がある。
やっぱ勝村さんはカッコ良いな~
雑誌に載っていたインタビューでも蜷川さんは「勝村を信頼している」とおっしゃってたし。
ここまでやられたら、信頼するしかないだろうって感じかもw
私は蜷川幸雄と舞台を通じて、もっともっと闘いたいし、遊びたい。
[白夜の女騎士]を見ると、そう強く感じます。
こうやって、とりとめもなく、ごちゃごちゃと考えていくことが、
私にとって遊んでいるのと同じようなもんです。
これからも、蜷川作品追っかけます!
・・・ここまで読んでくださった方、本当にどうもありがとうございました。(笑)
原稿用紙にすると6枚弱ですw
うざったいですね。でも私自身はスッキリしましたw
作:野田秀樹
演出:蜷川幸雄
出演:松本潤・鈴木杏・勝村政信・六平直政・立石凉子・杉本哲太・高橋洋
山口紗弥加・持田真樹・濱田マリ・たかお鷹・六角慎司・さとうこうじ
野田さんの昔の戯曲は、とにかくイメージの積み重ねであるような気がしてきました。
(全部読んだわけでも、見たわけでもないんですが、そこは突っ込まないでw)
野田秀樹の頭の中に広がって、膨らんだイメージがぎゅっと1つの戯曲に凝縮されてる。
ストーリーが掴みにくいのは、イメージを言葉にして紡いでいるからで、
物語を追うのではなく、イメージを追うと、
ストンと腑に落ちる瞬間があるように思います。
でも、最近上演された[贋作・罪と罰]もそうだし[赤鬼]なんかも、
イメージの積み重ねというより、物語として、キッチリ成立しているんですよね。
表現方法がどんどん、シンプルになっているのか~
そのシンプル方面に進む自分と客に抗おうと思ったのが、[走れメルス]かな。
私は、[走れメルス]でハマってしまったので、ものすごく性質が悪い。
正直1回目を見たときは、『野田さんの演出で見たい!』と思ったけれど、
私としては『昔の野田さんの演出で見たい!』というのが、正しいように思います。
今の野田さんが演出しても、もう必要以上に飾り立てることはしないと思う。
今回蜷川さん演出の[白夜の女騎士]を見て、
野田秀樹の変化を勝手にですがw感じられちゃったような気がします。
私はわざと飾り立ててごちゃごちゃにした、
わかりにくいのも見たいんですが。もう無理な話だなぁ・・・w寂しいけど。
飾り立てるとしたら[走れメルス]と同じ位の作品にはなっても、それ以上はない。
世界を越えるような、闘争本能を持ちやがれ、お前らっっ!!
のんびりしてんじゃねぇ!!!!
って話だったと思います。
だから、主演が松本潤だった。
真っ白だったまぁるい少年が、だんだんと鋭くとがっていく様を表せる役者。
それが、彼なんだと。
すっごい個人的な感情ですが、蜷川さんに対して敬意を持つと同時に、
『70のじじぃに負けてたまるか』
って敵意?を持つことがあってw、その原因が[白夜の女騎士]見てわかりました。
[白夜の女騎士]に出てくる白い線は闘争本能を掻き立てる役割を果たすもの。
私にとって、蜷川幸雄の舞台はこの白い線みたいなモノのようですw
『超えてみろよ、お前には超えられねぇだろ。』
って、舞台を見るたびに、いっつも笑われてる気がするんだよな~。悔しいわ。
で、悔しいからまた見るw
どんどん取り留めのない方向に進んで行く予感がしますが、がんがん続けますw
自分にとって、観劇した作品に対して感じた想いを
整理して行く作業として、“ブログ”っていうのが役に立ってるみたいで。
今日は、読んでくれる方を無視します。まぁ、いつも無視しているようなブログですがw
闘争本能の象徴として存在していたのが、その後の信長。
乱世の中でないと生きられない男。
だから、サスケに富士山を噴火させろとけしかける。
噴火すれば、乱世なんでしょう。
ハムを楽しむ我関せず状態だったサスケが、ハムがきっけけで知り合った
その後の信長の革命運動に巻き込まれる。
結局、信長はしなるグラスファイバーとなり、サスケを空に飛ばす流れの一部に。
空を飛ぶ=眠っていた闘争本能が目を覚ます。
(=富士山が目を覚ます。もかかるかな。)
サスケが空を飛んだその時に、眠り姫=おまけが目を覚ます。
というのも、闘争本能の目覚めに繋がるイメージ。
おまけ=白い線=闘争本能を掻き立てるモノと解釈できるから、
信長がおまけを犯すというのは、線を越えるといことであって、
彼が本能で生きているという象徴にもなる訳で。
2回目を見た今日だったら、信長=テロリストという解釈も割とすんなり理解できるかな。
時限爆弾を作って、世界を変えようとする。
その方法は違うけれど“世界を変える”そのエネルギーの継承が、
サスケと信長、そして舞台と観客の間にあると思う。
おまけが白い線というのは、
「高飛びしようとしてファールしてしまったサスケの足の間をおまけが通る」
という演出からも読み取れるし、
惚れ薬を飲み、最初に眠り姫を見てしまった神様が、
「白い線に向かって“好きだ”と連呼する」
という場面、その他いろいろなところから読み取れます。
勝村さんの演技が、熱くて素晴らしいのは、
舞台上で蜷川さんの想いを代弁する役割を果たしているからかな、
なんてことも思いました。
“若い世代に伝える。渡す。”
それが、その後の信長。
蜷川さんは最近、“若いやつらに伝える”ということを良く言っているように思います。
蜷川幸雄の思いを、勝村政信が汲み取っているからこそ、あの演技がある。
やっぱ勝村さんはカッコ良いな~
雑誌に載っていたインタビューでも蜷川さんは「勝村を信頼している」とおっしゃってたし。
ここまでやられたら、信頼するしかないだろうって感じかもw
私は蜷川幸雄と舞台を通じて、もっともっと闘いたいし、遊びたい。
[白夜の女騎士]を見ると、そう強く感じます。
こうやって、とりとめもなく、ごちゃごちゃと考えていくことが、
私にとって遊んでいるのと同じようなもんです。
これからも、蜷川作品追っかけます!
・・・ここまで読んでくださった方、本当にどうもありがとうございました。(笑)
原稿用紙にすると6枚弱ですw
うざったいですね。でも私自身はスッキリしましたw