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領土問題をめぐる議論のウソ(5) 日ソ中立条約違反ではないというウソ

2016-04-02 23:04:21 | 領土問題
承前) 

 BLOGOSの記事「大前研一「日本人が知らない日本の歴史」について、話をしよう【前編】」という記事に含まれるウソの指摘を続ける。

 大前氏の記事にはこうある(太字は引用者による。以下同じ)。

日本人の多くは、日ソ中立条約があったにもかかわらず、日本がポツダム宣言を受諾して無条件降伏した後にソ連軍が侵攻を続け、北方領土を不法に占拠し、以来、実効支配しているのだ、と思い込んでいる。しかし史実は異なる。

連合国側で戦後の対日政策が最初に話し合われたのは、第二次大戦中の1943年に開かれたカイロ会談で、出席したのはルーズベルト米大統領、チャーチル英首相、そして蒋介石中国国民政府主席の3首脳。日本の無条件降伏、日本軍が占領した太平洋の島々の剥奪、満州、台湾、澎湖島の中国返還、朝鮮独立などを盛り込んだカイロ宣言が発せられて、これが後のポツダム宣言につながっていく。

その後、1945年2月のヤルタ会談において戦後処理問題が本格的に話し合われることになるのだが、ドイツの分割統治やポーランドの国境策定などテーマの中心はヨーロッパの戦後処理だった。対日政策については、ヤルタ会談に先立ってルーズベルト米大統領、スターリンソ連共産党書記長、チャーチル英首相の間で秘密協定が交わされている。それがヤルタ会談で「ヤルタ協定」として取りまとめられた。

スターリンが主張したのは南樺太の返還と千島列島の領有で、ルーズベルトはこれを認める見返りとしてスターリンに日ソ中立条約の破棄と対日参戦を求めた。実は、ルーズベルトは日米開戦当初から何度もソ連に対日参戦を要請してきた。スターリンは日ソ中立条約を表面上は守ってきたのだが、ヤルタ協定でドイツ降伏後2カ月ないしは3カ月というソ連の対日参戦のタイミングが決まった。

ドイツが無条件降伏したのは1945年5月。その3カ月後の8月8日にソ連は日本に宣戦布告(日ソ中立条約は4月5日に不延長を通告)して、ソ連軍は満州、南樺太、朝鮮半島に進攻。千島列島に到達したのは日本がポツダム宣言を受諾した8月14日以降。

したがって、ソ連が日ソ中立条約を破って南千島を不当占拠したという日本政府の言い分は当たらない。戦争はすでに終わっていて、日本は「無条件」降伏をしていたのだ。満州および南樺太、千島列島に対するソ連の出兵がアメリカの強い要請によることは明白だし、北方四島を含む千島列島を「戦利品」としてソ連が得ることをアメリカは認めていた。日本固有の領土、というなら、ロシアに対して主張するのではなく、アメリカに対して“取り消し”を迫らなくてはならない。


 これを読んでも、何故
「ソ連が日ソ中立条約を破って南千島を不当占拠したという日本政府の言い分は当たらない」
となるのか、私にはわからない。

 どうも、「戦争はすでに終わっていて、日本は「無条件」降伏をしていた」し、「アメリカの強い要請」もあったから、「ポツダム宣言を受諾した8月14日以降」に南千島を占拠したのは不当ではないと言いたいように読み取れる。
 「戦争がすでに終わってい」るのなら(言うまでもなく、降伏文書に調印したのは9月2日だから、それまでは戦争は終わっていないのだが)、何故侵攻を続け、他国の領土を併合することが認められるのか、私には不思議なのだが、大前氏には不思議ではないらしい。

 わが国が受諾したポツダム宣言には

八、「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ


とある。
 カイロ宣言の主な内容は大前氏が挙げているとおりだが、その中には次のような一文がある。

三大同盟国ハ日本国ノ侵略ヲ制止シ且之ヲ罰スル為今次ノ戦争ヲ為シツツアルモノナリ右同盟国ハ自国ノ為ニ何等ノ利得ヲモ欲求スルモノニ非ス又領土拡張ノ何等ノ念ヲモ有スルモノニ非ス


 このカイロ宣言にはソ連は加わっていないが、ポツダム宣言の日本の領土についての条項はカイロ宣言の履行を前提としたものなのだから、一度もロシアまたはソ連領となったことのない北方4島を併合するのは領土拡張以外の何物でもなく、やはり不当なのではないだろうか。

 そうしたことを抜きにしても、何故ソ連の対日参戦が日ソ中立条約違反とならないのか、理解できない。
 米ソ間でどんな取り決めがなされようが、それは米ソの問題であって、わが国が関知するところではない。
 日ソ中立条約には

第二条 締約国ノ一方カ一又ハ二以上ノ第三国ヨリノ軍事行動ノ対象ト為ル場合ニハ他方締約国ハ該紛争ノ全期間中中立ヲ守ルヘシ


とあり、さらに

第一条 両締約国ハ両国間ニ平和及友好ノ関係ヲ維持シ且相互ニ他方締約国ノ領土ノ保全及不可侵ヲ尊重スヘキコトヲ約ス


ともあるのだから、対日参戦がこれに違反することは疑いようがない。

 また、大前氏は

(日ソ中立条約は4月5日に不延長を通告)

とさりげなく挿入して、不延長を通告済みであるからもはや無効であるかのような印象を作り出しているが、同条約には

第三条 本条約ハ両締約国ニ於テ其ノ批准ヲ了シタル日ヨリ実施セラルヘク且五年ノ期間効力ヲ有スヘシ両締約国ノ何レノ一方モ右期間満了ノ一年前ニ本条約ノ廃棄ヲ通告セサルトキハ本条約ハ次ノ五年間自動的ニ延長セラレタルモノト認メラルヘシ


とあり、同条約が締結されたのは1941年4月であるから、不延長を通告したとしても1946年4月までは有効だったことは広く知られている事実である。
 大前氏が領土問題におけるわが国の方針を批判するのは氏の自由だが、見えすいたウソはやめていただきたいものだと思う。

 なお、ソ連の中立条約違反については、日本も独ソ開戦(1941年6月)を受けてソ連侵攻を計画し、1941年7月にはそのために関特演(関東軍特種演習)と称して北方への兵力の動員を行ったのだから、ソ連を非難する資格はないという主張があるが、計画は計画、演習は演習でしかなく、実際にわが国がソ連に侵攻することはなかったのだから、これは強弁でしかない。
 米国が対日戦を想定しており、ハル・ノートが苛酷な内容であったとしても、わが国から米国に開戦した事実に変わりはないのと同じことである。

(続く)


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