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領土問題をめぐる議論のウソ(4) 4島全てを放棄したというウソ

2016-03-26 22:51:51 | 領土問題
承前) 

 BLOGOSの記事「大前研一「日本人が知らない日本の歴史」について、話をしよう【前編】」という記事に含まれるウソの指摘を続ける。

 大前氏の記事にはこうある(太字は引用者による。以下同じ)。

スターリンが主張したのは南樺太の返還と千島列島の領有で、ルーズベルトはこれを認める見返りとしてスターリンに日ソ中立条約の破棄と対日参戦を求めた。実は、ルーズベルトは日米開戦当初から何度もソ連に対日参戦を要請してきた。スターリンは日ソ中立条約を表面上は守ってきたのだが、ヤルタ協定でドイツ降伏後2カ月ないしは3カ月というソ連の対日参戦のタイミングが決まった。

ドイツが無条件降伏したのは1945年5月。その3カ月後の8月8日にソ連は日本に宣戦布告(日ソ中立条約は4月5日に不延長を通告)して、ソ連軍は満州、南樺太、朝鮮半島に進攻。千島列島に到達したのは日本がポツダム宣言を受諾した8月14日以降。

したがって、ソ連が日ソ中立条約を破って南千島を不当占拠したという日本政府の言い分は当たらない。戦争はすでに終わっていて、日本は「無条件」降伏をしていたのだ。満州および南樺太、千島列島に対するソ連の出兵がアメリカの強い要請によることは明白だし、北方四島を含む千島列島を「戦利品」としてソ連が得ることをアメリカは認めていた。日本固有の領土、というなら、ロシアに対して主張するのではなく、アメリカに対して“取り消し”を迫らなくてはならない。

実は当時、スターリンは北海道を南北に割って北半分をソ連が占領することを求めた。もし米大統領がルーズベルトのままだったら、実現していた可能性もある。しかしドイツ降伏直前にルーズベルトは病死、後を受けたトルーマンはスターリンの要求を拒絶、戦勝権益として代わりに南樺太の返還と南クリル(北方四島)を含めた千島列島の領有をソ連に提案したのだ。

こうした経緯を日本人はほとんど知らされていない。ただし、政府・外務省はよくわかっていて、戦後10年以上、北方領土の返還を求めてこなかった。それどころか1951年のサンフランシスコ講和条約において、早期講和のために日本は千島列島の領有権を一度放棄している。

▼日ソ関係の修復をアメリカは警戒した

これを翻して、「放棄した千島列島に北方四島は含まれない」との立場を日本政府が取るようになったのは、日ソ共同宣言が出された1956年のことだ。


 これを読むと、いわゆる北方4島(歯舞、色丹、国後、択捉)の全てが「千島列島」に属し、わが国はサンフランシスコ平和条約で一度はそれを放棄していたかのようだ。
 これも正しくない。
 わが国は、確かにサンフランシスコ平和条約締結時には、国後、択捉は同条約に言うところの「千島列島」に含まれているとの見解をとっていた(後に含まれていないと変更した)のは事実だが、歯舞、色丹については、同条約に言うところの「千島列島」に含まれるとはしていなかったからだ。

 1951年9月7日、サンフランシスコ会議における平和条約の受諾演説で、吉田茂首相はこう述べている。

過去数日にわたってこの会議の席上若干の代表国はこの条約に対して反対と苦情を表明されましたが、多数国間に於ける平和解決に当ってはすべての国を完全に満足させることは不可能であります。この平和条約を欣然受諾するわれわれ日本人すらも若干の点について苦悩と憂慮を感じることを否定できません。この条約は公正にしてかつ史上嘗て見ざる寛大なものであります。われわれは従って日本の置かれている地位を十分承知しておりますが、あえて数点につき全権各位の注意を促さざるを得ないのであります。これが国民に対する私の責任と存ずるからであります。
 一、領土の処分の問題であります。奄美大島、琉球諸島、小笠原諸島〔中略〕の主権が日本に残されるという米全権および英全権の発言を私は国民の名において多大の喜びをもって了承するものであります。〔中略〕千島列島および南樺太の地域は日本が侵略によって奪取したものとのソ連の主張には承服致しかねます。日本開国の当時千島南部の二島択捉、国後両島が日本領土であることについては帝政ロシアも何んら異議を差しはさまなかったものであります。たゞウルップ島以北の北千島諸島と樺太南部は当時日露両国人混住の地でありました。一八七五年五月七日日露両国政府は平和的外交交渉を通じて樺太南部は露領としその代償として千島諸島は日本領とすることに話合いをつけたものであります。〔中略〕千島列島及び樺太南部は日本降伏直後の一九四五年九月二十日一方的にソ連領に収容されたものであります。また日本の本土たる北海道の一部を構成する色丹島及び歯舞諸島も終戦当時たまたま日本兵が存在したためソ連軍に占領されたまゝであります。(吉田茂『回想十年 3』中公文庫、1998、p.103-105)


 そして、同年10月19日、衆議院の平和条約及び日米安全保障条約特別委員会において、北海道出身の農民協同党の高倉定助議員と吉田茂首相及び西村熊雄外務省条約局長との間に次のようなやりとりが交わされた(国会会議録検索システムより)。

○高倉委員 本会議また昨日の委員会を通じまして、いろいろと條約問題につきまして質問がなされておりますので、われわれの言わんと欲することも大方言い盡されているような次第であります。実は二十四日に大体質問をする考えでおりましたし、本日は総理もお疲れのことと思いますから、頭を冷静にされてからお聞きした方がむしろいいかと思いますので、簡潔に二、三御質問申し上げたいと思います。
 まず領土の問題でありますが、過般のサンフランシスコの講和條約の第二條の(C)項によりますると、日本国は千島列島の主権の放棄を認められたのである。しかしその千島列島というものはきわめて漠然としておる。北緯二五・九度以南のいわゆる南西諸島の地域の條文におきましては、詳細に区分されておるのでありまするが、千島列島は大ざつぱではつきりしていないのであります。そこで講和條約の原文を検討する必要があります。條約の原文にはクリル・アイランド、いわゆるクリル群島と明記されておるように思いますが、このクリル・アイランドとは一体どこをさすのか、これを一応お聞きしたいと思います。

○吉田国務大臣 千島列島の件につきましては、外務省としては終戰以来研究いたして、日本の見解は米国政府に早くすでに申入れてあります。これは後に政府委員をしてお答えをいたさせますが、その範囲については多分米国政府としては日本政府の主張を入れて、いわゆる千島列島なるものの範囲もきめておろうと思います。しさいのことは政府委員から答弁いたさせます。

○西村(熊)政府委員 條約にある千島列島の範囲については、北千島と南千島の両者を含むと考えております。しかし南千島と北千島は、歴史的に見てまつたくその立場が違うことは、すでに全権がサンフランシスコ会議の演説において明らかにされた通りでございます。あの見解を日本政府としてもまた今後とも堅持して行く方針であるということは、たびたびこの国会において総理から御答弁があつた通りであります。
 なお歯舞と色丹島が千島に含まれないことは、アメリカ外務当局も明言されました。しかしながらその点を決定するには、結局国際司法裁判所に提訴する方法しかあるまいという見解を述べられた次第であります。しかしあの見解を述べられたときはいまだ調印前でございましたので、むろんソ連も調印する場合のことを考えて説明されたと思います。今日はソ連が署名しておりませんので、第二十二條によつてへーグの司法裁判所に提訴する方途は、実際上ない次第になつております。

○高倉委員 このクリル群島と千島列島を同じように考えておられるような今のお話でありますが、これは明活八年の樺太・クリル交換條約によつて決定されたものであつて、その交換條約によりますと、第一條に、横太全島はロシヤ領土として、ラペルーズ海峡をもつて両国の境界とする。第二條には、クリル群島、すなわちウルツプ島から占守島に至る十八の島は日本領土に属す。カムチヤツカ地方、ラパツカ岬と占守島との聞なる海峡をもつて両国の境とする。以下省略しますが、こういうふうになつておる。この條約は全世界に認められた国際的の公文書でありますので、外務当局がこのクリル群島というものと、千島列島というものの翻訳をどういうふうに考えておられるか、もう少し詳しく御説明を願いたいと思います。

○西村(熊)政府委員 平和條約は一九五一年九月に調印いたされたものであります。従つてこの條約にいう千島がいずれの地域をさすかという判定は、現在に立つて判定すべきだと考えます。従つて先刻申し上げましたように、この條約に千島とあるのは、北千島及び南千島を含む意味であると解釈しております。但上両地域について歴史的に全然違つた事態にあるという政府の考え方は将来もかえませんということを御答弁申し上げた次第であります。

○高倉委員 どうも見解が違いますのでやむを得ないと思いますが、過般の講和会議においてダレス全権が、歯舞、色丹諸島は千島列島でない、従つてこれが帰属は、今日の場合国際司法裁判所に提訴する道が開かれておると演説されておるのであります。吉田全権はそのとき、千島列島に対してもう少しつつ込んだところの―歯舞と色丹は絶対に日本の領土であるとは言つておられますけれども、国際司法裁判所に提訴してやるというまでの強い御意思が発表されていなかつたようでありまするが、この問題に対しまして、ただいまあるいは今後も、どういうようなお考えを持つておられるかということについてお伺いします。

○吉田国務大臣 この問題は、日本政府と総司令部の間にしばしば文書往復を重ねて来ておるので、従つて米国政府としても日本政府の主張は明らかであると考えますから、サンフランシスコにおいてはあまりくどくど言わなかつたのであります。しかし問題の性質は、米国政府はよく了承しておると思ひます。従つてまたダレス氏の演説でも特にこの千島の両島について主張があつたものと思います。今後どうするかは、しばらく事態の経過を見ておもむろに考えたいと思います。これは米国との関係もありますから、この関係を調節しながら処置をいたす考えでおります。


 元々、歯舞諸島は、地理的にも行政的にも、北海道の一部とされてきた。
 色丹島は、当初は歯舞諸島と同じく「根室国」に属するとされてきたが、1885年に「千島国」に移された。しかし「千島列島」に含めるか否かは資料によってまちまちで、はっきりしない。地理的には、千島列島の一部というよりは、歯舞諸島とともに別の一群を形成しているように見える(旧ソ連では、歯舞と色丹を合わせて「小クリル諸島」と呼ぶようになった)。
 しかし、サンフランシスコ平和条約締結時には「千島列島」には含まれないと明言されている。

 だから、日本はサ条約で一度は千島列島を放棄したではないかという主張は、少なくとも歯舞、色丹には当てはまらないのである。

続く


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