来たよ殺処分。
27日朝日新聞夕刊1面左端の記事。
この問題は、これまでにも何度かこのブログで取り上げてきた。
(オオサンショウウオに交雑の恐れというが・・・(5)
オオサンショウウオに交雑の恐れというが・・・(4) 等)
これまでの新聞報道では、交雑によりわが国固有種の遺伝子が保たれないから、外来種や交雑種を捕獲する必要があると言うのみで、捕獲した後どうするのかという視点を欠いていた(無視していた?)ように思う。
しかし、実際に捕獲を始めたらこうなることは、私も以前少し書いたように、ちょっと考えればすぐわかることだろう。
さて、どうするんでしょうね。
研究者にとっては、おそらく遺伝子汚染というのは大問題なのだろう。
しかし、大半の人間にとっても、当の生物にとっても(固有種、外来種、交雑種を問わず)どうでもいいことではないだろうか。
京都市のホームページを見てみた。
これかな?
対策検討会の名称には「外来種チュウゴクオオサンショウウオ」とあるが、割合から言って問題となっているのは、外来種ではなく交雑種のはずである。
新聞報道にあるように、外来種が1970年代に持ち込まれ野生化したものなら、外来種のみで交配を繰り返す割合は減っていくから、いずれは純粋な外来種は死に絶える。しかし、固有種との交雑種が生まれたなら、交雑種と交雑種の子孫もまた交雑種だろうから、交雑種の血統が延々と続くことになる。それこそが問題であるはずだ。
なのに、ここで「外来種」の語が用いられていることには、意図的なものを感じる。
「2 捕獲個体の取扱い」という項目には、次のような意見がある。
さらに、こんなことも。
気分が悪くなった。
しかし、こんな意見もある。
私はどちらかというとこういった意見に賛成だが、項目の末尾には
とあるので、検討会としては殺処分OKということなのだろうか。
じゃあお前飼えるのかと言われれば、飼えないというほかはない。金魚や亀とはわけが違う。
しかし、平穏に暮らしている生物、しかも外見上固有種と極めて似ている生物を、外来種だからといってわざわざ捕獲して、もてあましたあげく、餓死や焼却によって殺処分というのは、どうにも違和感を覚える。
固有種であれ外来種であれ、実害があるのなら、殺処分もやむを得ないと思う。農作物に被害を与えるとか、人間に危害を加えるとか、病原菌を媒介するとか。
しかし、遺伝子汚染というのは、そもそも実害なのだろうか。
外来種を捕獲し、交雑種も捕獲し、固有種のみを川に残せば、その川特有のオオサンショウウオの遺伝子型が受け継がれてゆくということなのだろう。
何だか、箱庭をいじっているようである。生物を全て人間のコントロール下に置かなければ気が済まないと考えているように私には見える。
しかし、自然って、そういうものなのだろうか。
また、上記の意見にもあるように、オオサンショウウオを一気に除去することで、生態系に影響は生じないのだろうか。
京都市民はどう考えるのだろうか。
しかし、トキやコウノトリと違って、地域のシンボルでもなければ町おこしのネタにもなりそうにないオオサンショウウオのことなど、大して注目を集めず、殺処分(いやサンプル作成と言うべきなのか)が進められていくのだろうか。
余談だが、冒頭の朝日記事は、朝日新聞デジタルでは次のような見出しになっている。
私はこの朝日新聞デジタルに会員登録していないので、記事の全文は読めないのだが、仮に新聞紙上と同じ記事だったとしたら、紙面での記事の全文は上記のとおりなので、「サンショウウオに悲しんだ」という見出しがよくわからない。記事には「やっかいもの」とはあり、「殺処分には市民の理解が必要」とは言うものの、「悲し」みについては特に言及されていないからだ。
これってもしかして、井伏鱒二の『山椒魚』の冒頭の「山椒魚は悲しんだ」のもじり?
でも、「○○を悲しむ」とは言っても、「○○に悲しむ」とは普通言わないから、やはりよくわからないな。
27日朝日新聞夕刊1面左端の記事。
サンショウウオ 行き場なし
鴨川で交雑種急増 処分悩む京都市
京都市下京区の京都水族館の展示プールに、鴨川から連れてきたオオサンショウウオ36匹がひしめくように展示されている。いずれも交雑種や外来種で、国の特別天然記念物に指定される日本固有種の保護調査のため捕獲したものの行き場のない「やっかいもの」たちだ。奥の水槽にもプールに入りきらない22匹がおり、さらに別の施設にも160匹が暮らす。貴重な生物なので安易に殺すこともままならず、市は多額の餌代を負担しながら頭を悩ませている。
鴨川で急増する中国産と日本固有種の交雑調査に取り組む京都市が捕獲した。昨年度は125匹を捕獲。固有種は23匹で96匹が交雑種、6匹が外来種だったという。
日本固有種が激減し、中国産との交雑が急速に進んでいることが判明したのは京都大の松井正文教授(動物系統分類学)らの調査がきっかけだった。1970年代にペットや食用で持ち込まれ、野生化したとみられる。
市は2011年から6年かけて調査捕獲をする計画だが、捕獲した交雑種は増える一方。固有種が絶滅する可能性があるので川に戻すことはできないが、貴重な生物なので安易に殺すこともできない。
京都市水族館に譲渡したものの、「水槽はもういっぱい」。「日本ハンザキ研究所」(兵庫県朝来市)にも160匹の一時保管を委託。だが餌代などで月に10万円程度かかり「100年以上生きるとも言われる生き物。いずれ管理しきれなくなる」(同研究所)。
松井教授は「標本にしたり殺処分したりすることも考えなければならないだろう」との意見だが、市は「殺処分には市民の理解が必要」。対策検討会の議論を市のホームページで公開し、反応を見ているという。(合田禄)
この問題は、これまでにも何度かこのブログで取り上げてきた。
(オオサンショウウオに交雑の恐れというが・・・(5)
オオサンショウウオに交雑の恐れというが・・・(4) 等)
これまでの新聞報道では、交雑によりわが国固有種の遺伝子が保たれないから、外来種や交雑種を捕獲する必要があると言うのみで、捕獲した後どうするのかという視点を欠いていた(無視していた?)ように思う。
しかし、実際に捕獲を始めたらこうなることは、私も以前少し書いたように、ちょっと考えればすぐわかることだろう。
さて、どうするんでしょうね。
研究者にとっては、おそらく遺伝子汚染というのは大問題なのだろう。
しかし、大半の人間にとっても、当の生物にとっても(固有種、外来種、交雑種を問わず)どうでもいいことではないだろうか。
京都市のホームページを見てみた。
これかな?
「第2回外来種チュウゴクオオサンショウウオ対策検討会」議事録要旨
開催日時
平成24年2月16日(木曜日)10:00~12:00
開催場所
京都市勧業館みやこめっせ 第1会議室
1 調査結果について
○調査は1月及び2月も続いており,今年度の最終結果ではない。
○鴨川水系では,16箇所で調査を行い,84頭を捕獲した。内訳は,在来種3頭(3.6%),交雑種78頭(92.8%),外来種3頭(3.6%)であった。
○桂川水系の最上流域である上桂川(左京区花脊付近)では,4箇所で調査を行い,13頭を捕獲した。内訳は,在来種1頭(7.7%),交雑種12頭(92.3%),外来種0頭(0%)であった。
○桂川水系の清滝川では,1箇所で調査を行い,9頭を捕獲した。全て在来種
○桂川水系の久我橋下流では,1箇所で調査を行い,10頭を捕獲した。全て在来種
○問題は,鴨川水系以外,しかも桂川水系の最上流域で多数の交雑種が発見されたことである。
○捕獲された個体の年齢は,わかるもので20歳くらいのものが多い。
対策検討会の名称には「外来種チュウゴクオオサンショウウオ」とあるが、割合から言って問題となっているのは、外来種ではなく交雑種のはずである。
新聞報道にあるように、外来種が1970年代に持ち込まれ野生化したものなら、外来種のみで交配を繰り返す割合は減っていくから、いずれは純粋な外来種は死に絶える。しかし、固有種との交雑種が生まれたなら、交雑種と交雑種の子孫もまた交雑種だろうから、交雑種の血統が延々と続くことになる。それこそが問題であるはずだ。
なのに、ここで「外来種」の語が用いられていることには、意図的なものを感じる。
「2 捕獲個体の取扱い」という項目には、次のような意見がある。
○一時保管場所を探し続けているが,保護に適当な場所の確保が難しく,このまま捕獲し続けると,いずれ限界が来る。利活用を含めた取扱いを考えなければならない。
○交雑種を含めた外来種は国内希少種の取扱対象になっておらず,殺処分をすることは可能であるが,剥製等で譲り渡す場合は,個々に手続が必要となる。焼却等の処分であれば規制はなく問題ない。
○殺処分することはやむをえないが,情報公開を進めること,生物多様性を守るために外来種問題を市民に認識してもらう必要がある。殺処分するにしても苦しまない方法を考えなければならない。焼却するのは一つの方法であるが,大学,博物館等の管理体制の整ったところで標本として保管することが望ましい。
さらに、こんなことも。
○殺処分という言葉が独り歩きするのではなく,サンプル(標本)を増やしていくという言葉を使ったほうが穏やかである。交雑種には餌を与えないことも重要である。
気分が悪くなった。
しかし、こんな意見もある。
○鴨川水系では在来種は絶滅状態に近い。現在保護されている個体から在来種のオオサンショウウオを増やして復元することは可能なのか。また,オオサンショウウオという最高捕食者を一気に取り除いてしまうことで,鴨川の生態系に影響は及ぼさないのであろうか。戻し交配等でかぎりなく在来種に近いものもある。在来種(日本産)として認定する範囲を決めて置かないと,処分することについて市民への説明も難しい。
○元々,鴨川にオオサンショウウオはいなかったとする市民もいれば,交雑種でもオオサンショウウオがいる鴨川が良いと考える市民もいる。今言えることは,遺伝的なものから戻し交雑の可能性があるものはなるべく残し,可能性のないものを処分していくことが良いのではないか。
私はどちらかというとこういった意見に賛成だが、項目の末尾には
○在来種の特別天然記念物が危機的状況に陥っており,人間の手で交雑問題が起こったことを,人間の手で解決する手段として,検討会は,最終的に殺処分することになったとしてもしかたがないと考える。
とあるので、検討会としては殺処分OKということなのだろうか。
じゃあお前飼えるのかと言われれば、飼えないというほかはない。金魚や亀とはわけが違う。
しかし、平穏に暮らしている生物、しかも外見上固有種と極めて似ている生物を、外来種だからといってわざわざ捕獲して、もてあましたあげく、餓死や焼却によって殺処分というのは、どうにも違和感を覚える。
固有種であれ外来種であれ、実害があるのなら、殺処分もやむを得ないと思う。農作物に被害を与えるとか、人間に危害を加えるとか、病原菌を媒介するとか。
しかし、遺伝子汚染というのは、そもそも実害なのだろうか。
外来種を捕獲し、交雑種も捕獲し、固有種のみを川に残せば、その川特有のオオサンショウウオの遺伝子型が受け継がれてゆくということなのだろう。
何だか、箱庭をいじっているようである。生物を全て人間のコントロール下に置かなければ気が済まないと考えているように私には見える。
しかし、自然って、そういうものなのだろうか。
また、上記の意見にもあるように、オオサンショウウオを一気に除去することで、生態系に影響は生じないのだろうか。
京都市民はどう考えるのだろうか。
しかし、トキやコウノトリと違って、地域のシンボルでもなければ町おこしのネタにもなりそうにないオオサンショウウオのことなど、大して注目を集めず、殺処分(いやサンプル作成と言うべきなのか)が進められていくのだろうか。
余談だが、冒頭の朝日記事は、朝日新聞デジタルでは次のような見出しになっている。
サンショウウオに悲しんだ 交雑種殺せず水族館満杯
私はこの朝日新聞デジタルに会員登録していないので、記事の全文は読めないのだが、仮に新聞紙上と同じ記事だったとしたら、紙面での記事の全文は上記のとおりなので、「サンショウウオに悲しんだ」という見出しがよくわからない。記事には「やっかいもの」とはあり、「殺処分には市民の理解が必要」とは言うものの、「悲し」みについては特に言及されていないからだ。
これってもしかして、井伏鱒二の『山椒魚』の冒頭の「山椒魚は悲しんだ」のもじり?
でも、「○○を悲しむ」とは言っても、「○○に悲しむ」とは普通言わないから、やはりよくわからないな。
保全生態学の研究者は外来種(人間によって持ち込まれた個体群)およびそれによって生じた交雑種は原則、殺処分するべきだと考えています。
捕獲後の視点を欠いていたというのは行政の問題だと思います。
細かなことですが、「交雑によりわが国固有種の遺伝子が保たれないから」というのは正確ではなく、「個体群の遺伝的多様性が損なわれるから」が研究者側の提示する理由です。そのことが実害につながると考えているのでしょう。その主張を理解した上で「本当に実害なの?」という反論があって然るべきとは思いますが、今の社会ではそのようにはなっていないし、なりそうにもないですね。
繰り返しになりますが、研究者は特定の生物集団を保護するために活動しているわけではなく、すべての地域個体群がそれぞれの場所において保全されるべきだと考えています。そのために人為的な生物の移動を極力排除することが重要であるというスタンスだと思います。
>生物を全て人間のコントロール下に置かなければ気が済まないと考えているように私には見える。
むしろ逆で、コントロールできないからこそ生物の移動に対する人間の影響を極力排除しようという意識をもっていると思います。影響してしまった部分については、実害が出る前に、可能なかぎりもとに戻そうということでしょう(ここに傲慢さを感じるという意見を否定はできませんが)。
保全活動の適否は費用対効果で考えるべきとは思いますが、人間生活への実害が定量化できないところにこの問題の難しさがあると感じています。
2chでの交雑に関する論議
何だか、ある種のネトウヨ的な差別思想が底にありそうで怖いですね。
少子化対策で無効な子ども手当(児童手当)や子育て支援には血相を変える癖に
少子化対策として有効な国際結婚の推奨(支援)に関しては政治家も行政も無視してるのと同じなのかも知れません。
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/wild/1288018587/
オオサンショウウオは成体になると失明するようですが
交雑サンショウウオは目が見えるように感じますね
(捕食行動等の変化を考えるとそうとしか思えません)
過去の洞窟等で世代交代した事が原因で日本のオオサンショウウオが失明するのであれば
それを結果的に交雑で治療したのと同じでは?
ココからちょいと暴言を許して頂ければ
日本人には困難に直面すると「空気」を読んで
他人と同じ行動で意味も無く安心する傾向があります
(リクルートスーツなどが典型ですね)
もし、異民族と交雑する事でこの欠点が是正出来れば
日本社会は変わるでしょうかね?
>しかし、大半の人間にとっても、当の生物にとっても(固有種、外来種、交雑種を問わず)どうでもいいことではないだろうか。
そのとおりなのですが、大半の人間がどうでもいいと思っていることが外来種を放置してよい理由になるわけではないですよね。
要は、税金を費やしての捕獲&殺処分が妥当であることの根拠として研究者の主張が適当なのかどうかがポイントですよね。
研究者の主張が正しく伝わって吟味された上で「どうでもいい」となるならやめて然るべきですが、そうはなっていません。
問題を認識していないから「どうでもいい」となっていることはよくあります。
まずは、行政が伝える努力を怠って小手先の対応(言葉をかえてごまかすなど)で市民を誘導しようとすることをやめさせるべきだと思います。
殺処分が決定していない段階で捕獲してしまう無計画性と殺処分の妥当性はわけて考える必要があり、この記事で指摘されている問題はほとんど前者、つまり行政の対応に帰することだとおもいます。
どうでも良い事ですね。
勿論、サンショウウオ本人の意見は知る由もありませんが
もし、サンショウウオに自意識があって純血種だと盲目
交雑種だと視覚がよみがえるとなれば
交雑種として産まれる方が幸せかも?
それを考えれば、ある在来種の遺伝子を保全しようとしても100年経てば別の生き物になることは容易に説明できる
縄文時代の人間と現代の人間は同じ種族と言えるだけ形質が互いに似通っているだろうか?
何も悪い事をしてないのに殺されるなら
鴨川のサンショウウオを何処かの川に引っ越しさせたい