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矢内原忠雄『日本精神と平和国家』(岩波新書、1946) (1)

2007-05-20 17:51:59 | 日本近現代史
 矢内原忠雄(やないはら・ただお 1893-1961)は、戦前・戦後に活躍した経済学者。『帝国主義下の台湾』などの著作で知られる。クリスチャン。自由主義者。1937年、軍国主義批判を攻撃され、東大教授を辞職。戦後東大に復帰し、1950年代には総長を務めた。



 表紙の「岩波新書」の下に「100」の番号がある。岩波新書の旧赤版は100点で終了したそうだから、これが最後の1点だったのだろう。
 刊行は1946年の6月だが、45年の10月に行われた「日本精神への反省」と題する講演と、同年11月に行われた「平和国家論」と題する講演(ともに長野県で行われた)の2つを収録したもの。

 数年前の古本市で見かけて、高名な矢内原が終戦直後に日本精神云々と語っている、果たしてその内容は?と気になって購入し、そのまま本棚の片隅で眠らせていたもの。
 私は矢内原の著作を読むのはおそらくこれが初めて。
 以下、私の無知ゆえ、感想というよりも、内容の紹介と若干の印象を述べる。

 まず、「日本精神への反省」について。
 「民族精神とは何か」「日本精神の特質」「本居宣長の思想」「本居宣長批判」「太平洋戦争と日本精神」「日本精神を嗣ぐ者」の全6章で構成。
 最初に、民族精神とは何であるかを定義づけ、次いで、日本精神の特質として、神を拝む心、清浄を尊ぶこと、淡泊であること、迷信的要素が少ない(偶像崇拝が少ない)といったことを挙げる。
 そして、日本精神を説いた代表格として本居宣長の思想を取り上げ、解説する。

《宣長の言うには、天皇が日本の国を治め給うということ、そして日本の国が本つ国であることは天つ神の御意によって定まった事であって、日本の国自体の個別的な価値とか天皇の個人的価値とかによって定まったのではない。神意によって定まったのである。それ故にわが国は小国であるなどという事を以て、日本が世界の本つ国であるということを疑ったり、けちをつけられたり、自ら卑屈に考える事は少しもないんだ。又天皇の中には善き事をせられる天皇もあるし、それほどでもない天皇も御歴代の中にはあったけれども、そんな事でもって、天皇が日本の国を治め給うという事の意味を少しも動かすことは出来ない。そんなことを考えるのは漢心(からごころ)だ。漢心によると、善人が出て悪王を覆して自ら王となる。そして一旦自分が王となれば、君に背くは悪い事だと教える。併し自分自身が君に背き、君を顛覆して王となったことは口を拭うて顧みない。日本の国柄はそうでない。日本の国柄は、その地位に当たる人の人物如何によって君になったり、ならなかったりするのでなくして、天皇が君であるという事は神の定めである。或る時代の政治が善くない事があっても、之を顛覆して新しい王朝を立て、又それが顛覆せられてゆく事によって世の中が乱れる事に比べて見れば、君如何に拘わらず君は君として畏み事えるということの方が、本当はよく国が治まるんだ。これが宣長の国体論であり、又政治論であります。》(p.18~19)

 その上で、唯一絶対神の信仰が宣長にはない、人格的存在としての神の観念がない、非常に安易な現状是認論となる、理想に向かっての追求、真理に向かっての探求という真の意味の宗教的若しくは哲学的な熱情を抑えてしまうと批判する。
 クリスチャンとしての矢内原の面目躍如といったところか。

《結局宣長の見た信仰心というものは人間的な気持ちに過ぎない。彼の見た神というものは人間的な神、否人間である。彼の見た神の国はありのままの人間の国である、そう言われても仕方がないでありましょう。それは彼の思想には信仰的な善い要素をもっておりながら、彼の神観があまりにも素朴であるからです。神をば人より超越せしめ、絶対者として仰ぐ時、始めて神は真の意味の霊的存在となり、我々のまことの神、まことの祭りの対象となるのです。又まことの学問、まことの政治の根本となるのであります。然るにそうでなくして、宣長の認識した程度の素朴さに止まっておりますと、凡ての事が人間の水準に引き下げられてしまう。現実の人間の状態、現実の社会の状態に引き下げられてしまう。そして名は神ながらと呼ばれようとも、実は人ながらという事になります。それからは宣長の考えた事と正反対な事、即ち不信仰、無宗教、無理想、無道徳の社会が起こってくる危険がある。宣長自身は真面目な学者であり、高潔純情の士でありました。それを私は疑いません。けれども宣長の説からは真の宗教と学問とを弾圧し、阻止する亜流の出る危険はあったのです。》(p.37~38)

 そして矢内原は、太平洋戦争と日本精神との関係について述べる。外国思想の排斥、国体観念の強調に日本精神がいかに用いられたかを説く。その中に、興味深い記述が散見される。

《神の大前に額づいて敬虔な祈りの感情を披瀝することは〔中略〕日本人のそれこそ神代ながらの姿であります。併し東京に於いても地方に於いても電車やバスが神社の前を通過する時、車掌の注意に従って、座席に座ったものは座ったまま、吊革にぶら下がったものはぶら下がったまま、或いは神社に背中を向け或いは横を向いたまま目礼して過ぎた。そういう事が要求せられ、それを実行しないものは非国民であるかの如くに言われた。之は〔中略〕敬虔な感情をどれだけ養成することが出来たか。之も結果はマイナスであったでしょう。そこに見られたものは、形式化した日本精神以外の何物でもなかったのです。》(p.39~40)

 こんな愚かなことをしていたとは、初めて知った。これでは北朝鮮を嗤えまい。

《戦争終了後の混乱は実際見っともない事でありまして、私は大に悲しみ大に恥じました。日本人というのはこんなにもつまらない民族であるか、こんなにも低級なものであるか。宣長は私心を去れと言っておりますけれども、私心ばっかしだ。而もそれが、日本精神日本精神とあんなに洪水のように言われ、それで養われて来た筈の日本人がこんな姿か。殊に日本精神をやかましく唱えた人々自身、日本精神による教育を重んじ、日本精神の権化であると言われた軍隊や学校の中にも、周章狼狽して幹部が非常な私心を発揮した実例を聞いているのであります。支那やフィリッピンに於いて日本の軍隊が暴行を働いたということを、支那の方はまだ公に暴露せられておりませんけれども、フィリッピンの事に就いてアメリカの方から発表があって、国民が苦い思いをさせられた。日本の軍隊が全体としてそういう行動をしたのではないでしょうし、軍全体の方針としてしたのではないでしょう。それを以て全班を推すことは間違だろうと思いたいのでありますが、併し或る部分に於いてはああいう事実があったのでしょう。之も日本精神が徹底していなかったというよりも、寧ろ日本精神そのものの中に欠陥がある、そう反省して考えた方がよいでしょう。村にありては善良な村民であり、家庭にありては善良な父であり夫である者が、こんな事をするとは思われないと言いますけれども、戦争その事が人を気違いにするものである。その上に軍隊という団体の中に入っていて、個人が責任を有たない。而もそれが日本本国でない事からして一層責任観念が曖昧となりまして、その場の勢いによって暴行を働くということはあり得るのです。》(p.47~48)

 支那における暴行とはいわゆる南京大虐殺を指すのだろうか。
 いずれにしろ、公にはされずとも、その種の情報が一部では伝えられていたことが推察される。

《太平洋戦争となった後に、八紘為宇、そういうことが持ち出されたのであります。時間的順序を見てごらんなさい。太平洋戦争を始めたときに、八紘を宇となすとか大東亜共栄圏とか東亜の諸民族の解放とか、そういうことが言われたのではありません。あれは戦争遂行上政治工作が必要になった時に始めて言われたことです。あとから附加えた理屈です。共栄圏とか八紘為宇とかいうことは、それだけ取り出してみれば立派な思想であります。之が国民を鼓舞したこともあるでしょう。併しそれが原因となって太平洋戦争が起こったのではありません。》(p.49)

 全くそのとおりだろう。そんないきさつも知らずに、日本が解放戦争を戦ったかのように言いつのる輩が最近増えているようで嘆かわしい。

 最後の章で矢内原は、次のように述べる。

《現代に於いて日本精神を反省し、之に新生命を与えて、之を深め、充実し、展開する仕事をする人間は、何処に見出されるか。それは之まで日本精神を振りかざして来たところの所謂日本主義者ではないと、私は信ずるのであります。》(p.51)

 だからといって、儒教、仏教も、死物同然だという。そして武士道もまた。

《武士道は封建時代の華でありまして、日本の武士の生き方を明らかにしました。けれども今は武士道が復興すべき社会的地盤がありません。軍人の中には立派な人もありますけれども、一般的に見て今日の職業的軍人が武士道精神をもって行動したとは言えず、又行動し得ると私は思わない。》(p.52~53)

 では、何者が日本精神を嗣ぐのか。
 
《結論と致しまして私が申すことは大胆にお聞きかもしれないけれども、今日日本精神を反省して之を立派なものに仕上げる力は、基督教である。私はそう信ずるのであります。》(p.53)

 いや、そりゃアナタはクリスチャンだからそうかもしれないけど・・・。

 矢内原は、基督教も日本精神も共に真理であり、信仰的、霊的であり、私心を去って神の御心に拠るという点で、脈絡がないわけではないと説く。日本は明治維新で西欧文明を取り入れたがそれは形だけで、その精神、つまり基督教を取り入れていなかった、今こそ取り入れるべきだと説く。
 しかし日本古来の神道と基督教とは対立するのではないか?
 だが矢内原は、基督教の神は絶対神であるから日本の神でもあると説く。

《日本には日本でなければ果たすことの出来ない使命を神から与えられている。そういう意味で、日本は神の選びを受けた国として絶対的な存在価値を有する。他の国も同様である。日本はほかの国より卑下する事もないけれども、他の国は夷である、日本だけ神国であると言って、他国を軽蔑する事もない。それぞれの国がいずれも唯一の絶対神によって絶対的なる存在価値をもつのである。完き万邦平和はこの認識の基礎の上に於てのみ成立つのです。》(p.57)

 では基督教と天皇との関係はどうなるのか?

《之だけ申してまだ大に言い足りません。天照大御神或いは天皇の問題に就いて論じませぬといけませんけれども、私は基督教の信仰によって実際的にも思想的にも日本の国体を毀すものではなく、却って一層美しく又一層確実なものとすることが出来ると思うのであります。其の事に就いてはもっとお話ししたいのでありますけれども、もう時間がありませんから省略致しまして、最後に私は》(p.57~58)

 省略しないでいただきたい・・・・・・。
 最後に矢内原自作の詩を朗読した上で、基督教の下での日本復興を唱えて、この講演は終わる。

 結論には全く同意できないけれども、戦争直後の自由主義的知識人(そしてクリスチャン)の主張を知る上で、参考になる箇所が多かった。
続く


(本書では旧かなづかい、旧漢字が用いられているが、引用文中では全て新かなづかい、新漢字に直した。ひとえに入力上の便宜のためである)


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