INSIGHT

ある化学工学系大学教員の大学とあまり関係ないブログ.twitterやFacebookに載りきらない長文の置き場.

微妙にやばいですぞ

2010年02月09日 | 大学をめぐる状況
あんなことこんなことを書き散らかしたら,こんな新聞記事が出た.

って,うちの大学やんけ!!(汗)

確かにこの手の文章作成の基礎知識は必修にしないと効果は出ないだろうな.大体,「やばい」とかレポートで書くような人ってのはそれだけ文章に対する意識が低いのだから自分から進んで受講するとは期待できない.

ただ,こうした試み自体はやった方がいいと思っているのだけれど,そもそも「学び」に対する意識の低さがどうにかならないと,どうにもならないような気もする.「学生」とは言うけれどそもそも「学ぼう」って思っているのか疑いたくなるような人もいるからだ.

文章能力を磨かずして正確なコミュニケーションや論理的思考など望むべくもなく,大学での「学び」が成り立つわけもない.「微妙にやヴぁい」(日本語訳:かなり深刻な)状況はこれからも続く.

文章作成技術の形式知化

2010年02月06日 | 研究室
前の記事を書いていてふと思ったこと.

そう,毎年この時季になると学生さんの文章の手直しで同じことを繰り返しているような気がして,進歩がないというかもっとマシなやり方にできないか・・・要するにもっとラクしたい(笑)と思うわけである.

前の記事で挙げたポイントが教員の暗黙知になっていて,学生に伝わっていないことが一因だと思う.我々教員自身,自分で考えながら時間をかけて身につけてきたものなので,あまり形式知化することを意識してこなかった.

研究発表・論文作成技法の形式知化.研究室内でもぼちぼち始めてみようか.まあ普段の実験でも意識しておくべきことも含まれてはいるが.


ぼやき:
理科系の作文技術」とかが多くの学生に読まれている状況ならこんなことで苦労はしないのですが^^;

文章をまとめることは本質をつかむこと

2010年02月06日 | 研究室
超久々の書き込み(苦笑).
ブログとしては破綻してるよな.

ま,コンスタントな読者がほしいわけじゃなくてたま~に通りすがりさんに見てもらえればそれで十分.

てなわけで,今後もボソボソつぶやく場として継続予定.


で,本題.

「おまいら,文章書く前によ~く考えや~」

何の話かというと,職場の学生の話.

只今卒論,修論の追い込みの時期で,学生さんは発表の要旨やらプレゼンやら論文やらをそれこそ昼夜ぶっ通しで書いている.

ご苦労さんです.本当に.

でもね,ガンガン書いてボリュームを稼いでも,俺はOKしないよ.

文章力の問題もあるけれど,それ以前に自分が何をやってきたのかがわかっていないとダメ.

その「自分が何をやってきたのか」というのがミソで,やってきた実験を羅列するしかないようでは困るのです.(あ,もちろんそれ自体は必要なことですよ.念のため.)

今までは,やってきたことを列記すれば,読み手(聞き手)は理解してくれた.それは,読み手(≒学校の先生)が全体のストーリーを把握していて,学生はその中で仕事をしてきたにすぎないから.だから学生がどんなに目茶苦茶なことを書いても,大体どのことを言っているのか見当がついたわけだ.でも,これからは違う.全体のストーリーを学生自身が描いて見せないといけないのだ.そのストーリーを知らない他人が読んで理解できるように.

  • それぞれの実験はどんな目的でやったのか?
  • その実験の結果はどんな一般的事実を示唆しているか? (つまり溶液が赤くなったとか青くなったとかいう結果から化学反応のどういう仕組みや性質が分かるのか?)
  • 結果を並べ替えてみる・整理してみることで新たにわかる傾向はないか?
  • それぞれの実験・結果の全体の中での位置づけは? どれがメインで,どれが補助的な役割のものか? 他人に説明する上でどこを押し出すべきか?
  • それらを総合して,研究の目的に照らし合わせてどこまで達成・解明できたのか?


書き出してみれば凡庸なことだけれど,必ず考えておいてほしいことだ.本来なら普段から,と言いたいところだけれど,せめて今研究をまとめる過程でぜひ考えてほしい.

研究の中身を簡潔にまとめるという作業は,枝葉末節を捨て本質をつかむという大切な要素を含んでいる.

こうした作業を積んでいけば,文章力なんて自然についてくるはず(楽観).