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街角の映像制作下請け零細業者のブログ




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昨日から、漫画や音楽において、制作技術を学ぶために学校に行くことが意味があるのか、ということが話題になっていたので、映像はどうなんだろうか、とすごく考えた。僕自身は、大学の専攻は中国語、卒業論文も中国文学についてだったので、 映像とは全く関係がない学生生活を過ごした。ビデオカメラなんて触ったこともなかったし、映画もほとんど見なかったし、テレビにもあまり関心がないほうの部類に入っただろう。僕はたぶんそういう意味では特殊なほうだと思うんだけど、映像業界においては映像について学校で勉強することは意義があるんじゃないかというのが僕自身の印象だ。

 

漫画家になるために大学や専門学校は必要か? 「佐藤秀峰の日記」より

 

まず単純な前提だが、プロの漫画家とプロの映像ディレクターでは、そもそもの数が違う。映像ディレクターは会社員でも成り立つが、プロの漫画家はそうはいかない。「映画監督」まで絞れば、漫画家に近い立場かもしれないのだが、映画監督は逆に漫画家より希少価値があるだろう。なかなか単純比較できるものではないので、これから僕が書こうとしていることと上記の素晴らしいエントリとは全く意味が異なる話と思いつつ書いてみる。

 


 

まず映像学校なんて必要ないよな、と思う点をいくつか。

 

人生経験がないと語るものは生まれない

映像ディレクターに必要な資質についてなんどか弊ブログでも書いたことがあるんだが、映画監督やCM監督に求められるのは「アイデア」であって技術ではない。僕のようなしがない街角の映像ディレクターも似たようなものだ。斬新なアイデア、人がうなるアイデアを生むには「人生経験」が必要だと僕は考える。学校で学べるようなことではない。外に出て、いろんな仕事をしてみたり、海外を放浪したり、いろんな人と出会ったり、そういうことだと僕は思う。

僕自身、なんで僕が映像ディレクターとして成立しているのだろうか?とよく考える。モーショングラフィックスの凄まじいセンスの持ち主や、恐ろしいCGモデリングの技術を持っているアーティストや、信じられないカメラワークをもたらしてくれる撮影監督などと仕事をしていると、いずれにも遥かに劣ると、心から実感する。

それらの専門分野の凄まじい技術を持ったプロフェッショナルより、僕が遥かに劣るのはもうどうしようもないことなんだけど、たぶん今までしてきたいろんな経験を映像に凝縮させることに関してだけは、きっと他の人にはそんなに劣っていないんだろうな、、と思ったりする。

映像を演出することにおいて、技術ももちろん重要だけど、その人がどんな背景を持っているかって、その人の個性そのものだし大切なことだなと思う。

 

最新機材も明日は古びた技術に

学校には素晴らしい機材が揃っていることだろう。が、残念ながらその機材は卒業する頃には古びていて、全く使えないものになっている確率は高い。映像系の学校でどのくらいの頻度で機材が入れ替わっているのか知らないが、今の時代1年ごとに入れ替わっているくらいでないと追いつかないと思う。

僕自身の印象では「カメラの寿命は1年」。つまり1年で償却するつもりでないと買う意味がない。

編集ソフトでいうと例えばAdobeは1年半サイクルだし(クラウドになってもっと早く細かくなっているらしいが)、4年間の間に2回ないし3回更新されることになる。学んだ技術が卒業する頃に必要なくなっている可能性すらある。

  

学校の資本に頼る必要がない

カメラが何百万、編集機に数千万かかる時代は、個人では全く手が出なかったので学校の存在価値はものすごくあったと思うが、例えばソフトだと今や10万円を超えるものを探すほうが難しいし、ましてや撮影機材の価格下落はほんと信じられないくらいだ。カメラも、3DCGソフトも編集ソフトもコンポジットのソフトも、学生がバイトして買えるくらいの値段になっているので、学校の資本に頼る必要はない。

ソフトの学割はいまでもあるけど、価格的にそこまでうまみのある話じゃなくなってるし、将来プロとしてそのソフトを使うことを考えると、学割の利点は少ないだろう。

 

学校で学んでいるときにはない現場の緊張感

失敗が許されない。この緊張感は学校では一切学べないだろうなと思う。学校でどんなことを学ぶのか知らない中でこんなことを語るのは無責任だけど、たぶん学生に失敗できない仕事なんて任せられないだろう。

失敗が許されない。

1度しかないライヴ撮影。結婚式。何千枚も複製するDVDの元データにノイズ。CMプリントが終わってから発覚するテロップの間違い。。。怖い怖い。。

ものすごく単純に金の話にすると、失敗したときに何十万円何百万円何千万円を払う覚悟があるかないか。僕はその覚悟はあるし、実際に失敗したときにそういう補填をしてきた。さすがに何千万はないけど、何万はふつーに毎月のようにあるし、百万単位は隔年に1回くらいはある。学生にはどう考えてもそこまでの覚悟は求められない。それくらいの差はあると思う。

 

現場の一日と学校の一日

そういう緊張感を持ちながら現場で走りまわるのと、学校で学んでいるときの濃密度の差。僕が自分の学生時代を思い浮かべると、まあ、歴然としているな、、と。上記の佐藤さんの記事にも書いてあったけど、4年間で学校で学ぶことは、制作の現場では3ヶ月で学べる、というのは映像でもきっと同じだ。

 


 

じゃあ意味ないじゃん学校なんて、という結論になるかもしれないが、そうでもないんじゃないかなと自分で反論を試みてみようと思う。それは僕がいつまで経っても足りないなあ、と思うことだからだ。


体系的に映像の歴史を知らない

僕は映像に全く興味がなかったし、映画も全然見なかったから、映像の文脈というものを全く知らない。後付で「勉強」しているので体系的に映像の歴史を学んでいる人には全く敵わない。

そしていったん仕事を始めてしまうと、他の人が作った映像なんて見る余裕はあまりないし、特に映画のような時間を消費するものはほんとに見るのが難しい。。僕はこの15年で10回も映画館に行けてないし、DVDすら年に数本見るのが精一杯だ(幸い僕は難病持ちで入院してしまうので入院時に一気に見たい映画を見る時間を作れるけど)。

そういうことを考えると学校に行く4年間でそういう文脈を学ぶ時間を得られるというのは絶対無駄ではないと思う。

 

縦のつながり

どういう方々が講師をしているのよく知らないが、師匠を知る機会というのは多分にあると思う。誰もが必要な師匠。僕ももちろん師匠というような存在は何人か思い浮かぶ。弊ブログでも書いている気がするが、すばらしい師匠たちにめぐり合えたのが僕の僥倖だった。だけどその確率はどうなんだろう。学校で勉強せず、たまたま入った会社にそういういい師匠にめぐり合えるかどうか。。。

なので、師匠を「選別」する、と言ったら講師に失礼かもしれないが、そのチャンスを得るためにには学校は絶好の場だと思う。師匠の選別のために行く!

 

横のつながり

映像を志す人たちと同世代でいっぱい知り合うことができるのは学校ならではの利点だと思う。僕は、業界に入ったのが遅すぎたので、同世代で一緒に這い上がっていくということはできなかった。そういう横のつながりって、ものすごくうらやましいし、学校だからこそできる「共感」とか「連帯感」というのはあると思う。

もちろん映像ディレクターって、そんなの「屁」とも思わない自我の強い人がなる傾向があるので、まあ「ビジネス上の利点」くらいに矮小化して考えておいたほうがいいかもしれないケド。

 

ああ、ここまで書いて思うのは、実は僕は映像学校に否定的なんだなーという気がしてきた。だけどルーカスもスピルバーグも映像を学校で専攻してるんだよね。。。僕の個人的な意見なんて、たった二人の巨匠の存在でまるで説得力なし。

 

※追記
そうだ、そういえばルーカスは「帝国の逆襲」を南カリフォルニア大学時代の先生だったアーヴィン・カーシュナーに監督を依頼したんだよね。。

 

関連エントリ

映像ディレクターが映像制作以外に必要な5つの能力

僕が映像業界に入った理由



コメント ( 8 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (smd)
2012-07-29 22:58:46
>最新機材も明日は古びた技術に

そうですか?日本人が作る映像って2009年から何も変わってない気がしますけどね
一部の人間は瑣末な画質の差にこだわって検証や分析を繰り返してますが、アウトプットされるものは3年前と同じですよ
同様に「学生時代映像を学校で学んだ人」と「海外を旅した人」を天秤にかけてどっちが有意義な時間を過ごしたか検証するなんてことも、非常に瑣末でチンケな事ですよ
 
 
 
おもしろい! (3RD EYE(管理人))
2012-07-30 00:18:19
smdさん!

うれしいです!コメントいただいたことほとんど同意します。

が、いくつか反論が。。。

なぜ2009年を現在のベンチマークの例に出されたのか分かりませんが、まず「日本人が作る映像」だけが競争相手ではないということが僕と出発点が違います。そもそも日本人が作る映像はほとんど見てませんので。

あと一部の人間だけじゃないのではないかなあ、、、そういう瑣末な画質の差にこだわってるのは。世界中の映像制作者がこだわってるという印象を持ってます。。。それこそノーランからインディ映画監督までものすごく気にしてるんと。。。

また、おっしゃるとおりどちらが有意義かなんてまったく計り知れないです。本文にも書きましたがルーカスもスピルバーグも映像系の学校出てるし。なのでそこは人それぞれだと思います。

唯一同意できないのは、2009年と今の日本人がアウトプットしている映像が同じ、、という点。僕は映像のセンスや技術の進歩の速さに焦っているくらいで、同じだと感じられるのは幸せだなあ。。と。
 
 
 
Unknown (KT)
2012-07-30 01:07:35
こんにちは。過去一年ほど楽しく読ませて頂いています。
色々あって、海外の大学で一応映像専攻をしているので、興味を持って読ませて頂きました。最終学年ですが、まだ学生で、実際の業界にいるわけでもないのですが、この記事にとても賛同します。

才能がある人は学校に行かなくても自分でスキルを身につけて飛び出していくのがどんどん簡単になっている時代に、教育機関で学ぶことの大切さってなんだろう、ってことですよね。専門学校はより実践的に学ぶのかな、と考えていますが、大学の映像専攻に関して言えば、ハンズオンな技術を学ぶよりもやはり大学/高等教育として幅広く知識を入れることに価値があると思いますし、そういったことが実際に映像プロジェクト等に生きてくることが多く、大学にいってよかったなと思っている次第です。
僕の大学は特に、メディア・コミュニケーションという領域の中で、ジャーナリズム、広告、PR等と並列して映像を配置しているので、他の分野についても詳しく学べたことで、今後の方向性についての考えにも良い影響がありました。ネットワーキングも、クラスメート同士で、学生プロジェクトだけでなく最近は実際にお金を頂くプロジェクトのクルーを募っているのをよくみかけます。なので、横のつながりという点は確かに!と思います。
「最新機材も明日は古びた技術に」というのはその通りだと思いますし、大学側もわかっているとおもいます。なので、大学にあるソフトもカメラも毎年更新されていて、また、実践的なクラスに関してはどの機材に依存しないようなコースデザインはされていると感じました。映像表現のエッセンス、土台を教えてくれるという感じですかね。

長文失礼しました。今後の更新も楽しみにしています。
 
 
 
ものすごくうらやましくて死にそうです.. (3RD EYE(管理人))
2012-07-30 01:26:33
KTさん

僕も志があったなら同じように映像を外国の学校で履修していたかったです。そして

> 幅広く知識を入れることに価値がある

ということをしておきたかった。
それこそまさに映像学校が学生に対して用意しておくべき学びの場、、だと僕は考えます。

> お金を頂くプロジェクトのクルーを募っている

ほんとすごいですね。まぢで。学校が信用されているのだと思います。

> 映像表現のエッセンス、土台を教えてくれるという感じですかね

であれば、僕のような門外漢があーだこーだいうことではないなあと実感。ほんとうらやましいです。。

コメント、ほんとうにありがとうございました!ものすごく参考になりました!!
 
 
 
Unknown (li7an)
2012-08-04 21:33:19
先月Yahooで「自宅NAスタジオ」を検索したらこのブログを拝見しました。今日この記事で3RD EYEさんは中国語勉強してたことを知り、すごい縁だと思って、コメントしたくなりました。
私はフリー中国語ナレーターです^-^自宅収録できるよう、今ゼロからスタートしてます。これからもこのブログの記事を読ませてください ^0^
 
 
 
もう僕は中国語はなかなか出てこないです。 (3RD EYE(管理人))
2012-08-04 23:40:23
li7anさん

おわ!
ありがとうございます!

僕も結構中国語ナレーションが必要な仕事しているのでよく中国語ナレーターを探しています。ぜひこんどボイスサンプルをお聞かせください。

メアドはブログの上のほうに書いてあるので、、

よろしくです!!
 
 
 
学校という場 (KanaT)
2012-08-05 10:20:23
フランスの映像専門大学に合格はしたものの、LAなどの大学と比べると機材が古いのが気になって、入学前にLAでプロとして働いている日本人ディレクター、カメラマン、コーディネータさんたちを紹介してもらい、話を聞いたんですが、結局入学を決意したのは

「最新の機材なんて、古い機材の使いかたを知ってればすぐ使えるようになるし、そんなものは学校出たあとでも学び続けること。学校で学べることってそんな表層のことじゃなくてもっと根本的なことなんだと思うよ。そしてそれを学ぶにはフランスはきっとLAよりいい選択なんじゃないかな?」

と言われたのが大きかったです。

でも実際に卒業してから思うのは、構図の分析、(ビジュアル・アートとしての)美術史、スタジオを借りての照明やオプティカル合成の実習も、演出理論や既存の映画のカット割りの分析など、学校に入らなければ学べないというものではありませんでしたが、学校で教われてもっとも役に立ったのは法務、税務関係の知識でした。(苦笑)

映像制作を専門とする会社とそうでない会社の法人番号の違い。契約書の文面で注意すべき点。フリーランスであっても前年度の収入の10%分が業界団体の自分の口座に積み立てられ、翌年度に休暇申請をすると、国鉄の割引券とともに小切手が送られてくるフランス独自の有給休暇制度。

映画学校の学生を職業研修生として雇ったときの制作会社にとっての税務上のメリット。

映画館入場券のうち一定額はその映画のプロデューサー口座に自動的に振込まれ、プロデューサーはその金額を数年以内に新作の製作に使わないと口座抹消になる(=映画プロデューサーと名乗れなくなる)ので、新人でも臆せずプロデューサーに脚本を売り込むように、というアドバイス。

そしてフランスの映像制作会社が海外で撮影する場合、アフリカや東欧など、人件費がフランスよりずっと安い国であっても、フランス人に払うのと同じギャラを払わなければならないという規定。これに違反すると、映像制作会社としての法人登録を抹消されかねないみたいで、フランスの制作会社が絡む企画のときはいつもいいギャラをいただけてます。(笑)

いずれも学生や学校を出たばかりでたいした経験がないときなら、知らないと相手の言いなりになってしまいそうなところ、知識があることで、自分を守れたし、学校で教わらなかったら体系的に学ぶのは難しいことでした。

学校側としては映像制作は1人でできることではないので、人間関係の構築のしかた、グループでの働きかたを経験を通して学ばせるという点も重視していたようでした。
 
 
 
なるほど~ (3RD EYE(管理人))
2012-08-06 01:03:07
KanaTさん

なるほど~
でもそういうことなんですね、きっと。

難しいのは学校でてもすぐにプロになれない、という点なんだろうなあ。。その意味で、フランスの映像業界の仕組みを教えてくれる、人間関係の構築のしかたを学ばせるというのは学校は存在意義を知ってるんでしょうね。

たぶん編集のしかた、撮り方よりぜんぜんそういうののほうが役に立つんだろうな。。

いずれにしてもうらやましい話です。

 
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