goo blog サービス終了のお知らせ 

自分自身で出来る危機管理

左サイドバー、表示順を変更しました。各項目クリックで過去記事等へ移動出来ます。検索エンジン対策放棄しましたm(_ _)m

ゴール にて

2016年05月03日 | すりらんか


約6700Km離れた異境の地のテラスハウスの飾り棚に、
この書籍が置かれていたのは驚きであったし、釈宗演師という明治期の僧侶が、
130年前に訪れ、滞在されていたその場所に、自分がいることの「縁」をありがたく感じていた。



現在のご当主は、Dr. Janaka Goonetilleke さんであるが、
英国での医師を引退され、スリランカと往復されており、
ノーアポの、日本からの突然の来訪者を快く迎えて下さり、
勉強不足以前の、全くの無知状態の私ではあったが、時間を割いてご案内下さった。

アタパトゥ ワラワ
「http://www.atapattuwalawwa.com/」/
として、現在ゲストハウスとしても機能しているが、基本260年前に建てられたようだ。


 130年前、釈宗演師も踏みしめたであろう階段



Dr. Janaka Goonetilleke さんは、2009年に横浜に訪れていらっしゃった。
macbookに再生された写真は、三會寺ご住職の安藤尊仁師である。

「新訳・釈 宗演『西遊日記』 単行本 – 2001/12 」/
アマゾンプライムで発注した。本日中に届きそうだ!


 この2階の部屋に迎えられ、どんな思索をなさったのであろうか?

BUDDHIST INTERNATIONAL ACTIVITY
Japan

He sponsored initially two Japanese Buddhists monks to study in Sri Lanka in 1880's The first Ven Kozen Gooneratne was the first Japanese Theravada priest ordained at Malwatte Temple in Kandy in 1892 who was a companion to Anagarika Dharmapala in his fight to establish Buddha Gaya as a Buddhist site. He took the name Gooneratne as a mark of respect to E.R.Gooneratne his sponsor. The other Shaku Soen the teacher of the now famous D T Susuki was the pioneer who took Buddhism to America. Six other Japanese Student monks studied at Simbali Avasaya the pirivena he established in his Residence AtapattuWalawwa.
「http://www.atapattuwalawwa.com/PeopleofInterest.html」より、引用


※Ven Kozen = 釈 興然師??
※D T Susuki = 鈴木大拙師

追記 メールにてお知らせ頂きました 5/3 10:08
>因みに、宗演さんは多分三会寺とは直接的に関係ないと思われます。で、あの二階に滞在されたのは興然さんのようです。コーゼン・グラナトラは釈興然(三会寺中興)のことです。

追記 エキサイトで翻訳させてみました。無いよりマシかな?? 5/3 12:59
最初、1880年代に、スリランカで勉強するために、彼が2人の日本仏教徒修道士を後援した 仏教のサイトとしてブッダガヤを設立する彼の戦いにおいてAnagarikaダルマパーラに仲間であった1892年にカンディーのMalwatte寺院で定めた 最初のフェンコウゼンGooneratneは最初の日本小乗仏教聖職者であった。彼は、E.R.Gooneratne 彼のスポンサー についての尊重のマークとして名Gooneratneを取った。現在有名なD Tススキの先生が仏教をアメリカに持って行ったパイオニアであった他の釈宗演。6人の他の日本学生修道士は、 pirivena 彼が彼のレジデンスAtapattuWalawwaに落ち着かせたSimbali Avasayaで勉強した。


出典 中外日報 平成19年3月6日号より

追記 資料追加しました 5/3 22:09
    


原本は https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/19/1/19_1_174/_article のようです。

「東元 慶喜 (著) 釈尊正風会のひとびと」/
http://ci.nii.ac.jp/lognavi?name=nels&lang=jp&type=pdf&id=ART0008934743

追記 なかなか興味深いです↓ 5/4 8:09
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/31/2/31_2_486/_article

追記 本が届いた!! 5/4 21:32




「西遊日記」78~81頁より

果たして、釈興然師と釈宗演師の接点はあったのだろうか?という疑問は、
あっさり氷解した。

「日記」によれば、明治20年3月8日の正午に
ドイツの「ウエルデル号」に乗船し、横浜を出港している。(44頁)
翌9日、夜9時に神戸港に到着。11日午前2時に神戸港を出港した、となっている。(47頁)
(正確に表現すると、11日の26時なのかもしれない、が大したことではないと思う)

コロンボ港に到着したのが、31日の午後10時(74頁より)
グランドホテルに投宿なさったようだ。

4月1日、ガール(表記のママ、ブログ記事「ゴール」GALLEのことと思われる)行きの汽船を捜すが、カルタレニ行きの汽車を探し、午後1時半に到着している。
そして、馬車会社に行き、ガール行きの発車を尋ねたようだ。

コロンボまでの航海日数は約3週間。現在の航空機であれば約9時間である。


追記 良い資料が見つかった!! 5/9 21:58


「http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/177215/1/ctz_2_023.pdf」/

コメント    この記事についてブログを書く
« 余程、ウザい、らしい。 | トップ | 今となっては・・・、 »

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。