尾崎光弘のコラム 本ときどき小さな旅

本を読むとそこに書いてある場所に旅したくなります。また旅をするとその場所についての本を読んでみたくなります。

「昔の国語教育」 柳田国語教育論の急所

2015-12-16 06:00:00 | 

 毎週水曜日は、(時間はかかるだろうが)柳田國男の国語教育論を既読のものも含めてすっかり読んでみたい。ではどこから始めるか、論文リストを眺めながらあれこれ思案しているときです。在野史家の礫川全次さんがブログで戦後の検定教科書『太郎花子国語の本』を紹介していました。これを読んでその内容項目を知っていささかびっくりしたのです。というのは、「学校の国語教育」における教育項目が「前代教育」におけるそれを幾つも拾いあげながら相互の連関によって編集されていたからです。ここで「教育項目」というのは教えたい教育内容を題目で表したものです。

 学校の国語教育でこんなことまでやろうとしているのかという思いで、しばらくこの教育項目を眺めているうちに、もっとあったはずだ、と思い直しました。そこで今年五月五日に物故された・庄司和晃先生の重要論文「解説──柳田國男教育論の再検討」(『現代国語教育論集 柳田国男』明治図書 一九八七)をめくってみると、・・・ありました。その第一章の「以前の世の国語教育の発見と復原」には、柳田が「昔の国語教育」(一九三七)(『国語の将来』所収)で論じたさまざまな教育項目が抽出され、ずらりと並べてありました。これをじっくりと眺めながら、やはり「昔の国語教育」から始めようと思ったのです。「やはり」というのは、若い頃柳田國男を初めて読み解こうとした一篇が「昔の国語教育」だったからです。当時はなんとかレポートにでっち上げましたが、完全な敗北です。ちっとも理解できなかったからです。もう一つは「昔の国語教育」は、さきの重要論文にある柳田国語教育論の急所は「昔の国語教育」にあり、という一節を覚えていたからです。

 教育項目群をじっくり眺めていると、さまざまな記憶が甦ります。記憶には片端もあれば全体もあります。年齢や生まれ育った場所にもよります。なんだろうと首を傾げることもあります。でもこの「想像」がとても大切なのだと、先生に教わったと思っています。若い頃は性急でした。では紹介します。

 「昔の国語教育」とは何か。具体的に、どんな事柄を指すのか。たとえば、つぎがそれだ。/小児が母の言葉を覚えて行くこと・子守唄(こもりうた)・遊ばせ唄・労働用の唄・睡(ねむり)をすすめる歌・お月様幾つなどの歌謡・民謡・夕やけ小やけなどの童(わらべ)言葉・遊戯に伴う唱えごと・毬突唄(まりつきうた)・子供組などの群の力による国語修得・児童群の活発なる言葉造り・遊びの中の約束言葉や名称・指切りなどのうそを言わぬ誓文・一きめ鬼きめの言葉・相手を辱(はずか)しめる言葉・手毬唄・語りと手事(てごと)・話の発達・噂話(うわさばなし)・世間話・昔話・笑い話の類い・謎・諺。古風な暗誦法・字を識(し)る方法・手習いのこと・もの言うすべ・素読式とも名づくべき書物以外の教授法・辞儀・挨拶・神仏を拝む言葉・お礼の言葉・改まった式日(しきび)でのもの言い・晴れの言葉・型にはまったものの言い方・口上(こうじょう)・演舌(えんぜつ)・敬語と良い言葉の区別・尊む者を説く言葉・単語の新増・都市と田舎とその言葉・方言と片言(かたこと)・新語生成、等々。/言わば教育内容の諸群である。/何はともあれ、これが柳田の「昔の国語教育」である。その当体だ。しかもその中身をなす項目群である。(前出 庄司和晃編・解説『現代国語教育論集成』三五三頁)

  上の項目を、柳田の記述上でたしかめながら、じっくり読んでいきたい。その中身と柳田の主張を区別しながら読んでいきたい。


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