喧噪と余韻 ーロビーにて

映画を待つ間にロビーの喧噪に耳を傾け、終了後は余韻に浸る。グラスを傾けながら、観終わった映画の話でも…。

セレステ∞ジェシー(13年No.97)

2013-07-30 23:20:08 | 映画
極個人的には、セレステには感情移入できなかった。私が、男だからだろうが。
ジェシーに対しては、同性として、痛いほどに共感できた。
だから、ジェシーの立場で観て、切ないものはあったが、映画全体としては、さほどでもなかった気がする。

前半には愛しさもあった2人のおふざけに、終盤には哀しさも感じた。


ミラーボールが、輝きながら回る。
弦楽器の音が聞こえてくる。
2人が、楽しそうに証明写真らしきボックス、カーテン内に入る。
原題=CELESTE AND JESSE FOREVER=
弦楽器から始まったメロディは、リリー・アレンの「リトレスト・シングス」。
若い2人のスナップショットに、オープニングクレジット。
運転するジェシーに、助手席のセレステ。
カーオーディオから流れる「リトレスト・シングス」を、2人で歌う。
セレステに、仕事の電話が掛かってきても、ふざけ気味のジェシー。
誰が見ても、ラブラブな2人は、学生時代からの親友で、間もなく結婚するベスとタッカーとのディナーの席でも、イチャつき、異常だとベスの怒りを買う。
何故なら、セレステとジェシーは、離婚を前提に別居している関係だったから。

新潟での公開2週目の土曜日、ユナイテッドシネマ新潟、11:30の回は、客層は幅広いが、16名ほどの観客。
東京へ遊びに行ったときに、観る候補に入れていた作品だけに、新潟まで足を延ばすのは問題ない。


映画の予告編などでは、「最高に気の合うジェシーとは永遠の親友でいたいから。」という理由で離婚を決意したように伝えられていた。だが、映画の中では、明確にそうは言っていない。
ただ、ベスに聞かれ、売れないイラストレーターで、礼装用の靴も口座もないジェシーを「親友以外の何者でもない」と言っている。

ある出来事がキッカケで、一時、ジェシーと連絡が取れなくなるまでのセレステは、自分から離婚を言い出していながら、ジェシーが自分から離れる訳がないとタカをくくり、見下したような感じも受けた。
それが、ジェシーから、「他の女性との間に子どもが出来たから。」と、正式な離婚手続きを求められると、慌て、狼狽し、取り乱してしまう。

前半は、大人のセレステに対して、ジェシーは、子どもじみたところも感じさせ、セレステへの未練たっぷりだった。

後半は、仕事の失敗もあり、崩れかかったセレステに対し、ジェシーはセレステへの愛を残しながら、次の人生にステップを踏み出す大人らしさを感じさせた。

セレステは、「ジェシーに成長して欲しかっただけ。」とも言っていたが、図らずもセレステから完全に離れることで、ジェシーは成長したのだと思う。


やはり、女性と男性では、見方は違ってくると思う。
女性はセレステに共感し、あるいはジェシーに非難的な感情を抱くかも知れない。
だが、男性の私からすると、セレステの悲しみとは異なるジェシーの悲しみに、気持ちが理解できるだけに、セレステを許しきれない感情がある。かといって、新たな人生を歩み始めたジェシーを、祝福する気にもなれないのだが。


ラストは、ストアのレジに割り込みされたセレステが、それ以前とは違う態度で、その客を咎めることなく、順を待つ。
店を出たセレステのアップ。


蛇足だが、セレステを演じ、共同脚本、製作総指揮に名を連ねるのラシダ・ジョーンズは、クィンシー・ジョーンズの令嬢。

セレステの経営する会社の共同経営者スコット役で、イライジャ・ウッドを久しぶりにスクリーンで観た。

バスが、来ない。ー豪雨が止んだ朝

2013-07-30 19:41:57 | 日記
昨夜は眠くて、帰宅後に風呂に入り、夕食を取り、少し休んだら、布団に横になった。
眠かった割には、夜中に何度も目が覚め、その都度、激しい雨音を聞いた。
長い時間、かなりの雨が降っているようなので、家の直ぐ裏の、小さな用水路から水が溢れ出ないか、心配だったが、起きる気力はなかった。
明け方に、また目が覚めたときには、雨音は聞こえなかった。

起きると、家の庭が、水溜まりになっていた。
母の話では、これでも、だいぶ水が引いたのだという。
床下までは、水は来てないようだった。

ケーブルテレビで、市内の様子を見ると、冠水している道路があるということだったが、大きな被害はないようだ。
避難準備勧告が出た地域もあったようだが、夜中に出されても気がつかない人もいるだろう。

朝食を取り、身支度を整え、バス停に行くと、10分前のバスに乗るはずの乗客が待っていた。新潟に通勤していたときに、利用していたバスだ。
私が待つバスも、5分以上待っても来ず、諦めて歩くことにした。(後で、バスルートの一部が通行止めだったことを知った。)
歩くこと自体は嫌いではないが、この時期に歩くと、汗をかくので、それが嫌だったのだが、仕方がない。

歩き出すと、道が冠水したらしい跡が、残された泥で分かった。
駅まで歩くときに使っている道が、途中、冠水していた。
水が溜まったところに、1台の軽自動車が取り残されていた。
停めていたのが、流されたのだろうか。何となく、そんな感じを受ける置かれ方だった。

迂回して、また普段の道に戻り、駅へ向かうと、バスルートになっているガード下が、冠水で通行止めになっていた。

駅に着くと、上越線と信越線が、大雨の影響で、運転見合わせになっていた。
売店に寄り、新聞を買って、また歩き出す。
会社に着いたときには、歩き出してから小1時間が経過していた。
ワイシャツの、袖も背中も、汗でぐっしょりとなっていて、着替えたい気分だったが、着替えはない。
汗をかきながら歩くと、だいぶ体力を消耗した気になる。
休暇を取って、帰りたい思いもあったが、元気な顔で席に付いている部下たちを見る、そんなワガママも言ってはいられない。


帰る頃には、豪雨が嘘のような青空になっていた。

終戦のエンペラー(13年No.98)

2013-07-28 21:52:36 | 映画
リアル(史実)にファンタジー(架空の恋)を織り交ぜて、日米の文化の違いと、2つの国を繋いだ1人の軍人が描かれていた。
だが、終わって残ったものは、天皇陛下の御心だったのは、私が日本人だからだろうか。
マッカーサーと面会したときの、陛下のお言葉に、涙が滲んだ。


映画は、記録映像だろうか、1945年8月6日、原爆が爆撃機に搭載される場面から始まる。
原爆の投下。
キノコ雲。
焦土とかした跡。

=原題「EMPEROR」=
当時の白黒の記録映像をバックに、天皇陛下に関するフェラーズ准将の独白。
オープニングクレジット。
飛行機内の映像になり、カラーになる。
マッカーサーに呼ばれ、意見を求められる。
フェラーズの意見を聞き、武器を持たずに、厚木に降り立つマッカーサー元帥。

到着後、直ちにA級戦犯の逮捕を急がせるフェラーズ。
「島国で逃げ場はない。」と言う同僚に、「自決される。」と答えるフェラーズ。

自殺未遂の東條英機を逮捕し、戻ったフェラーズは、マッカーサー最高司令官から、天皇に戦争責任があるかを、10日間で調べるように命じられる。
統治を平和のうちに行うには、天皇の存在が必要と考える人たちがいる一方、天皇を裁判にかけたいと思う勢力があった。

果たして、10日間で大統領を納得させられる結論と証拠が得られるのだろうか。

また、フェラーズには、日本に探している女性がいた。アメリカに留学していたアヤ。
フェラーズは、専属通訳の高橋に、その行方を探すように依頼する。


公開2日目の日曜日、地元T・ジョイ11:20の回は、やはり題材ゆえか、高齢者を中心に80名ほどの観客。
字幕は、石田泰子さん。


観ていて、若干だが、不思議な感覚があった。
日本映画のような、違うような。
日米合作ではなく、製作国はアメリカになっている。
台詞は、日本語も登場するが、英語が主体だ。

リアルな部分に関しては、違和感は感じなかったが、ファンタジー部分は、日本人以外による創作、という印象を受けた。


ダグラス・マッカーサーについては知っていても、ボナー・フェラーズ准将については知らなかった。
フェラーズは、小泉八雲の親族と交流があったそうだ。
きっかけとなったのは、大学で出会った日本人女性に、日米の架け橋となるために読むべき本を訪ねたところ、ラフカディオ・ハーンを薦められたことだという。

実際に、その女性と恋に落ちたのかどうかは知らないが、映画の中で、フェラーズは何度となく、アヤとの想い出を回想する。
時代が引き裂いた2人の恋に、切なさを感じても良いのだろうが、微妙な異質感があって何の感慨もなかった。


この映画は、あの戦争に関して、日米の公平な視点で描かれていたと思う。


ラストは、天皇陛下とマッカーサー元帥の面会を成功させ、マッカーサーの公邸の玄関を晴れがましいような表情で出るフェラーズ。高橋に、飲みに行こうと誘う。
門を出たジープが、焼け跡の道を走っていく。

登場した人物たちの、その後を説明するクレジットから、エンディングロール。


蛇足だが、映画に登場する関屋宮内次官は、奈良橋陽子プロデューサーの祖父にあたられるそうだ。

汗っ', 眠っzZ! 疲れた(__)

2013-07-27 21:51:53 | 日記
自宅の車庫の前に、蝉の脱け殻がが落ちていた。


ときおり、激しい雨が降ったり、晴れたり、安定しない天候の週だった。
毎朝、駅から会社まで歩いて行くと、汗が吹き出てくる。背広を着ていると尚更だが、手に持って歩いても、同じことだ。
グレーのスーツは、汗染みが目立ってじまう。


7月に異動があり、新潟から長岡に勤務先が変わった。
いろいろと雑務も多く、なかなかやるべき仕事にたどり着けないが、挨拶回りにも出掛けないといけない。

行った先で、会社の同期や、一緒に仕事をした人と再会し、予想はしていたが、5時過ぎに一献傾けることになる。
プライベートや、仕事で、火曜日から飲み続けの日々だった。

深く飲んでいるつもりはないのに、酔いが回る。
疲れもあるだろうが、睡眠不足もあるだろう。

飲んで帰って、服を脱いで、そのまま布団の上に。
何時間も寝たつもりで目を覚ますと、まだ日付は変わったばかり。
水を飲んで寝て、3時過ぎに目が覚めて、水を補給。
5時前後に目が覚めて、もう一眠り。

6時前後に起き出して、シャワーを浴びて、身体はスッキリしても、頭の芯は痺れのような、ボッーとした感覚が残っている。

身体も重い。

重い足取りで駅から歩く。
汗をかき、汗が引くのを待ちながら、仕事を始める。

部下からは、決裁が次から次へ。

毎朝の打ち合わせが終われば、出張に出る時間が間近。

出ては、飲んで帰って、すぐ布団。
夢とも、妄想ともつかぬものを見ながら、2度、3度と目を覚ます。

かなり激しく雨が降っている。雨音に起こされ、そう思う。
窓を開けたままだが、吹き込んできていないか?
そうは思っても、起きる気力はない。


そんな日々だった。


蝉の脱け殻が、自分に思えた。

遠くで、雷鳴が聞こえた。

風立ちぬ(13年No.96)

2013-07-22 23:20:46 | 映画
青地に、白い文字で
=タイトル=

青地に白い文字で、ポール・ヴァレリーの詩の一節の原文と、堀辰雄の訳
“風立ちぬ、いざ生きめやも”

田園。
朝靄の中、一軒の家。
蚊帳の中で眠る、少年と女の子。

屋根を登る少年。
屋根に据えられた、飛行機に乗り込む。
エンジンを始動し、空に飛び立つ。
田園地帯から、川の上を飛行する。
手を振る町の人たち。
雲の中から、飛行船のような大型機が現れる。
大型機に立ち向かう少年。
大型機には、小型の鉄の物体が吊り下げられている。。
黒ずくめの人が乗った、その物体が、少年の飛行機を直撃し、飛行機を破壊する。
蒸気機関車が走る線路に近くに、足から落下していく少年。

蚊帳の中で、少年が目を覚ます。
枕元に置かれた眼鏡を掛け、庭を見る。
起き上がり、布団をたたむ少年。


公開2日目の日曜日。地元T・ジョイ、14:05の回は、幅広い客層で、180名を超える観客数。
満員ではないが、2スクリーンでの上映だけに、仕方のないところか。


飛行機の設計家を夢見る堀越二郎は、東京の大学に入学する。
蒸気機関車に乗っていたときに、関東大震災に遭い、同じ汽車に乗っていた里見菜穂子とお絹を助ける。


今までの宮崎駿作品とは、(物語性において)少し違う印象を受けた。
起承転結はあるのだが、大きく物語が動くことはなく、淡々と進行していく。

始まりから終わりにかけて、ゆるやかに大河(物語の幹)は流れ、中盤から、二郎と菜穂子の恋が、切なくも激しい波を起こす。そんな感じだったろうか。
物語の幹は、あの時代のうねりだ。貧しくも、人々は凛として、自分の境遇を嘆くことも、他人を貶めることもなく、真っ直ぐに生きていた。
そして、国家としての日本は、近代産業に力を入れ、やがてボロボロの終戦を迎えることになる。


飛行機の美しさに魅せられた堀越二郎と、イタリアの飛行機製作者カプローニ氏との、夢の中での交流といったファンタジー。

現実とファンタジーの間にある、堀越二郎と菜穂子との一途な愛。

飛行機を設計する技師として生きた人々の日常、軍部の発注による飛行機の開発といったリアル。

それらが織り成して、ラストには静かな感動が訪れた。

だが、物足りなく思う人もいるだろう。
私自身、日本が戦争へ突入していった時代の若者たちの、熱い生き様がもっと描かれているのかと思っていた。
一緒に観に行った母も、思っていた内容とは違っていたので、少しガッカリしていたようだった。


劇中、菜穂子と二郎が結婚する場面は泣けた。2人の想いと、黒川夫妻の思いに。


それにしても、荒井由実さんの「ひこうき雲」は、この映画にあまりにもマッチしている。そう思うのは、私だけだろうか。


ラストは、風の吹く草原で、カプローニと話をする二郎。
カプローニに誘われ、歩き出し、ふと立ち止まり、風の吹く方向を見る。

映画の中に登場した風景に、「ひこうき雲」が流れるエンディングロール。


蛇足だが、菜穂子の嫁入りのシーン、ごく個人的な感想だが、高橋留美子さんの「めぞん一刻」の音無響子さんを思い起こした。
何故だろう?