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リタイアーのよもやま話

見果てぬ夢

2017-06-19 23:11:21 | 音楽

亡くなった姉のことが気になって、ネットで
姉の名前と「中核派」なんて、うったら、
なんと、ヒットした。

もっとも、

恐れるべきは、中核派云々かんぬんで
はなく、公安警察が勝手に市民団体を
暴力セクトと関連付けて捜査・検挙・
拘留すること。

ということだったから、姉が中核派だった
ということではない。

姉の訃報がネット上で、ヒットしたという
ことである。

いくつかあるそのヒット先を読むと、結局
私の住む生活とは全く違う世界に住んで
いたようだ。

今の私には、これらの人々との接点は
どこにもない。

それにしても、自分の葬式をしてもらえる
人々を準備していたということは、自分の
人生の完結を家族に頼らずできたという
ことでは、「あっぱれ」であるかもしれない。

いや、彼女の生き方からして、自分の
人生と全く縁のない人々に葬式される
ことは、納得し得ないことだったのか
もしれない。


そうこうしているうちに、この曲を思い
だした。

3番の歌詞にこういうのがあった。

一枚残った写真をごらんよ
ひげづらの男は君だね
どこにいるのか今ではわからない
友達もいく人かいるけど

あの日のすべてが空しいものだと
それは誰にも言えない

今でも同じように見果てぬ夢を描
いて走りつづけているよね どこか



この歌詞の「髭面の男」は、結局
私の姉の人生だったかもしれない。

インターネットで、情報が飛び交い、
資本主義の末期的状況にあって、

姉の見てぬ夢は、「賞味期限の
切れた夢」ではと、

かつて左翼かぶれだった弟の私
は思うのだが、あの戦前の貧しい
農家のような生活をしていて、そ
の夢を疑わなかったのは、私の
理解を超えたものだ。

しかし、これも、彼女が生涯、所属
する家庭を持ち得なかったという他
人には、窺い知れぬ不条理な人生
と苦悩・葛藤がなしえたかも知れぬ
と思うと、そのような不幸な人生を
演出した彼女の祖母に、どうしよ
うもない怒りを覚える。

彼女の家を見て、とても、ベットで
寝たきりの父親の見舞いに来れ
る生活ではないと、納得と驚嘆を
している。

こんなに生活に格差があっては、
主義主張の問題ではなく、つき
あいようがないと、彼女の現実
を知るとこになった。

どうして、家族でこんなに格差の
ある生活になるんだろう。

と愕然とする。

彼女は、家族に知らせるなと
強く望んだようである。

その散骨式にわたしが参加
できたのは、姉の気持ちを知
っている彼女の友人等には、
衝撃であったようだ。

奇跡に近い、いや、運が良か
ったかもしれない。

父親が、寝たきりになって、
14年経った。

毎日リハビリをしている私が、
誰かは、知らないと思うが、
機嫌のいい時は、とても、
90歳には見えない。私より
も、若い顔をしてにこにこして
いる。

自分でも思いもよらぬ突然の
寝たきり生活も不幸だが、
このような姉の最後を知らなく
て済んだのは、今となっては、
幸運だったかもしれない。