千の風になって(コラボ)
だいぶ前に、「宝塚歌劇団 すみれの花咲く頃~千の風になって 秋川雅史」という番組を、たまたまテレビで見る機会があった。
その時、「千の風になって」がデュエットで歌われたが、正直言って、最初は、このデュエットにたいして、期待していなかった。
しかし、宝塚の女性が歌いだすや、そのホールに響きわたる人を愛おしむような歌声に、鮮烈なショックを覚えた。こんな音楽があるのかという驚きであった。
今まで、楽器を演奏し、歌を歌ってきた。いろいろな音楽も聴いてきた。
しかし、彼女のような音楽を念頭においたことは、一度もなかったし、
聴いたこともなかった。
驚きである。
その印象が忘れられず、昨晩、You Tubeで検索をしてみた、すると、びっくりである。
その時の演奏が見つかったのである。
そして、その時のステージの「千の風になって」の部分だけカットし、「コラボ」バージョンにした映像も出てきたのである。
かの歌声の主が分かった。「綾乃かなみ」さんという方であった。
わたしにとって、大切なプレーヤーの一人になった。
「愛しい」、わたしにとって、大変懐かしい言葉である。
わたしの人生で、一番苦しかった日々にあって、幾重にも張りめぐらした心の壁を、音もなくソーッと通り抜け、わたしの側で、静かに立ってくれた人がいた。
なんと嬉しかったことか。
この女性が、わたしに使った言葉が「愛しい」という言葉であった。
彼女が、この言葉を発した時、一瞬、戸惑いを感じた。
この言葉、わたしたちの日常の生活で、使われる言葉ではない。
しかし、彼女が他の言葉ではなく、この言葉をわたしに使ってくれたことに対して、わたしは、喜ばしく思ったし、嬉しかった。
その時から、「愛しい」という言葉は、わたしにとって、大切な言葉になった。
今回、綾乃かなみさんの愛おしさに満ちた「千の風になって」に出会うことになったが、このような音楽に出会えて、このうえない喜びとしている。
綾乃かなみさんに感謝したい。
だいぶ前に、「宝塚歌劇団 すみれの花咲く頃~千の風になって 秋川雅史」という番組を、たまたまテレビで見る機会があった。
その時、「千の風になって」がデュエットで歌われたが、正直言って、最初は、このデュエットにたいして、期待していなかった。
しかし、宝塚の女性が歌いだすや、そのホールに響きわたる人を愛おしむような歌声に、鮮烈なショックを覚えた。こんな音楽があるのかという驚きであった。
今まで、楽器を演奏し、歌を歌ってきた。いろいろな音楽も聴いてきた。
しかし、彼女のような音楽を念頭においたことは、一度もなかったし、
聴いたこともなかった。
驚きである。
その印象が忘れられず、昨晩、You Tubeで検索をしてみた、すると、びっくりである。
その時の演奏が見つかったのである。
そして、その時のステージの「千の風になって」の部分だけカットし、「コラボ」バージョンにした映像も出てきたのである。
かの歌声の主が分かった。「綾乃かなみ」さんという方であった。
わたしにとって、大切なプレーヤーの一人になった。
「愛しい」、わたしにとって、大変懐かしい言葉である。
わたしの人生で、一番苦しかった日々にあって、幾重にも張りめぐらした心の壁を、音もなくソーッと通り抜け、わたしの側で、静かに立ってくれた人がいた。
なんと嬉しかったことか。
この女性が、わたしに使った言葉が「愛しい」という言葉であった。
彼女が、この言葉を発した時、一瞬、戸惑いを感じた。
この言葉、わたしたちの日常の生活で、使われる言葉ではない。
しかし、彼女が他の言葉ではなく、この言葉をわたしに使ってくれたことに対して、わたしは、喜ばしく思ったし、嬉しかった。
その時から、「愛しい」という言葉は、わたしにとって、大切な言葉になった。
今回、綾乃かなみさんの愛おしさに満ちた「千の風になって」に出会うことになったが、このような音楽に出会えて、このうえない喜びとしている。
綾乃かなみさんに感謝したい。