虚構の世界~昭和42年生まれの男の思い~

昭和42年生まれの男から見た人生の様々な交差点を綴っていきます

生きる意味~親友~

2017-07-13 17:48:32 | 小説
 私が妄想にふけることのできる喫茶店でよく会う老人がいる。
名前を「源さん」という。


 源さんは今の私の親友だ。67歳を迎える源さんは、かつては健康レジャーランドの店長をやっていたが、そこが倒産してから人生の歯車が狂いだす。当時、54歳の男性に地方都市ではなかなか再就職先が見つからなかった。まして、手取りで20万円をもらえる会社など皆無に等しかった、

 源さんは、その後、都会に出て、運転手などの仕事をするがどれも長続きせず、64歳でこの生まれた街に戻ってきた。妻と息子はいたが、60歳を過ぎてから、自堕落な借金を繰り返す源さんに愛想を尽かして出ていった。

 今、源さんは倉庫の夜間警備の仕事をしながら生計を立てている。

そんな源さんと私はこの喫茶店で出会い、何度か道ですれ違うようになり、そして話をする間柄になり、お互いに友達になった。

 源さんのアパートは私は大好きだ。その理由は、こんなところで暮らす初老の男性を見るだけで自分の仲間だと心から思えるからである。築50年は経過している風呂なし、共同トイレのアパート・・・。

 私は若いころは、自分はすごいことができると錯覚して生きていた。若いころの私は、才能のない中年を見ると、「あんたの人生この先生きていてなんかいいことあるの」、人生をあきらめて生きている人を見つけては、自分はああはならないと思っていた。

 しかし、今、時は流れ、自分が人生をあきらめる立場になった。


 源さんの家でよく酒をのむ。
 「ご飯食べられるだけで俺は幸せなんだ」と口々に言う。
 「あんたはまだ50になったばかりだろう。まだ、やり直しがきく」

 「俺も源さんみたいに一人で気ままに生きていたい」と心にも思っていないことを言う。

 自分は今だに30歳の頃に付き合った彼女と街で偶然に再会し、そして、「やっぱり、あなたのことが忘れられないの」と言われ結ばれるという惨めな妄想にしがみついて生きている。

 どんなに惨めになっても、男は地位とか名誉とか女性という欲にまみれている。もう自分の人生には名声や地位は入らない・・・。そして、女性も・・・。

 

 源さんの姿が自分の姿に重なって見えることがある。


 初夏の霧に包まれたある街で、自分と源さんは今日も仕方なく生きている・・・。


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