私立大学3校、公立大学1校に合格した彼。第一志望には届かなかったが、偏差値50後半の大学に合格した。
一年前のことを考えればまさに夢のようだった。
彼はどこの大学に進学するかを予備校に相談に行った。
白っぽく見えた街並みと予備校の風景が何だか色とりどりに見えるようになった。
「将来地元に就職するのだったら、地元の公立大学は有利になるかも」、そんなアドバイスをいただいた。
二浪し親には経済的な負担をかけた。そのことを考えると選択肢は自然と決まってくる・・・。
何だかあたたまる思いで帰りの道を歩いていた。
きれいな夕方の風景・・・。2月下旬の仙台の街並みが美しかった。
昭和63年2月・・・。彼は何とか二浪の末大学に合格することができた。
アパートを引き払うために母がアパートに手伝いに来た。夜、一緒に近くの中華屋さんにご飯を食べに行った。
「大学に行ってから留年なんかしたら許さないよ」という言葉とは裏腹に、何だか安心した雰囲気の母がそこにはいた。
二浪時代、母の短い手紙と送られてきた缶詰やインスタント食品の数々・・・。それらが食事以上の精神安定剤となって
彼を支えてくれた。
親の有難みを身をもって知った20歳の春だった・・・。
やっとやっと試験に合格した彼・・・・・。