とりあえず走れ!!目指すはサンチアゴだ!!

街中を走り、山を走り、そして巡礼をしてから医師になります

“梅田墓(ばか)”発掘現場を遠くから・・・・・

2017年08月15日 | 序章

【画像】 一昨日にマスコミ公表された“梅田墓(ばか)”発掘現場(画面左下あたり)
以下、、毎日新聞社の記事からのコピペだが、、、、

         ★★ 梅田墓に「大坂七墓」物証の人骨200体 (毎日新聞)★★ 
JR大阪駅北側の再開発区域「うめきた」(大阪市北区)に江戸〜明治時代にかけてあった「梅田墓(ばか)」の発掘調査で、200体以上の埋葬人骨が見つかった。梅田墓は、江戸期に庶民の間で流行した盆行事「大坂七墓巡り」の1カ所に数えられ、近松門左衛門の「曽根崎心中」や井原西鶴の「好色二代男」にも登場するが、面影を伝えるものは残っておらず、実態はよくわかっていない。過去の工事で墓石などが出土した例はあるが、学術的な発掘調査で墓の一端が明らかになるのは初めてで、当時の大阪の都市の様相や葬送文化を知る上で貴重な発見だ。

ちなみに、、、ネット検索してみたら(“2ちゃん”で恐縮だが)、、“大坂七墓巡り”というのは・・・・・
江戸中期から始まった習慣で、、お盆の夜に、先祖の供養と自分たちの極楽往生を願い、七か所の墓地を巡る、、というものだったようだ。。
ついでに、、、梅田を除く“他の六ケ所の墓”とは、、、次の地域らしい。。これを見る限り、、七か所を巡るのって、、結構大変そうなんやが、、、、、
・・・・・・一度・・・・ジョグで七か所を回ってみても楽しいかもネ!!
①南浜・・・・茶屋町の北東付近
②蒲生・・・・京橋駅の東側付近
③小橋・・・・天王寺区。高津高校南西付近
④飛田・・・・動物園前駅付近
⑤千日・・・・難波千日前付近
⑥葭原(あしはら)・・・・天六交差点北東付近

そもそも“梅田”という地名は、淀川下流域の湿地帯であったのを、農作地にするために江戸時代だったかに「埋めた」というのが語源である、、ということは私が以前から知っていたトリビアだ。
しかし、、今回の記事を見る限り、、、まさか、、、、死体を「埋めた」、、というのが「実際の語源だった」なんてことはないよね・・・・?

なにはともあれ、、あんなに身近な場所で、人骨200体分以上が見つかるとか、、、超ビックリ!
・・・・・200体やで!・・・・200体!
しかも、今回のタイミングで“梅田墓(ばか)”なんていう“由緒正しき(?)”墓地が、あのあたり一帯に広がっていたことを初めて知ってしまい、ちょっとShocking・・・・・・(;´・ω・)
今日も、(“墓地”の件については、おそらく何も知らないであろう)多くの人々が、、いつもと同じ感じに楽し気に往来していたが、、
ま・さ・か・ね・・・・・「楽しくデートしてる」まさにその場所が、実は大きな墓地だったなんて・・・・・誰も知らなさそうだった。知る由もなさそうだった・・・・・・
そもそも、私が今日「うめきた」を訪れてみて、工事現場のおっちゃんと「うめきたガーデン」案内のお兄さんに、そのことを訪ねてみても、、両名とも全く存知なかったことには驚いた。自分らが仕事をしている、まさにその場所が一昨日に『人骨200体発見の現場』として報道されたばっかだ、ということを知らないんだから、、、、汗

まあ、、、確かに、記事としては“世界陸上”とか“北朝鮮問題”とか“高校野球”とか“上原多香子不倫”に比べたら、まるで目につかないレベルだが、、、、、それにしても、、、、せめて、、、、報道されている、“まさにその現場”でお仕事されてる人くらいは知っておいて欲しかったでござる・・・・・・_| ̄|○

これから「うめきた」が再開発されて、、新しい地下鉄も通り、駅も新設されて、新しい「大阪市街地の玄関口」となろうとしている。。私はあのあたりの未来都市をイメージしてワクワクしているんだが、、、、
今回、歴史的に見ても“由緒ある墓所”だった、ということが確認出来て、、おかげさまで、尚更にドキドキワクワクしてロマンを感じるようになってしまった。。

さらにネットで調べてみたら、“梅田墓”は、どうやら1900年ころまでは墓地として活用されていたようで、、、
つまり、、、今回発見された“人骨”といっても、、、仮に、、1900年ころに生きた人のものならば、、メッチャ身近ということやん! “ついこないだのこと”やん!!
・・・・・手の届きそうな歴史が・・・・・生きた歴史が・・・・・ご先祖様の生活が・・・・・・スグそこにある!
大阪駅に向かう帰路、、、、我々のご先祖様の生活を、、、当時の梅田界隈の姿を、、、頭一杯に、あれこれと夢想してみては楽しむ私がいた・・・・・

なんでも、、、Grand Frontを建てるときにも、墓地の掘り起こし作業があり、大量に人骨が出てきたようだが、、、、そこから出てきた遺品などはちゃんとお寺に移されて供養/埋葬されたらしい。
きっと、今回も同じように、、供養されて埋葬され、、ご先祖様らは「新たな場所で眠りにつきなおす」ことになるのだろう・・・

せっかく深い土中で“永遠の眠り”についていた“ご先祖様たち”だというのに、、、工事のせいで掘り出されて日のもとに露出され、、ガサガサと慌ただしく移動させられてしまうのは、大変に申し訳なくて/気の毒な気もする。。
しかし、、、、、
末裔たる我々が繁栄し、大阪の街を懸命に盛り上げている様子をみてもらえたら、きっとご先祖様たちも安心し、喜んでくれることだろう・・・・・・

きっと近いうちに、私も“大坂七墓所巡り”なるものをジョグでトライしてみようじゃないか!!

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする