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建築随想
屋根の上
木匠(こだくみ)の猪名部真根(いなべの_まね)や闘鶏御田(つげの_みた)たちとの係わりが「日本書紀」に語られる雄略天皇ですが、「古事記」には彼が建物の屋根に取り付けられた“堅魚(木)”にふれた記述があります。堅魚木(かつおぎ)とは、現在は主に神社建築の屋根に“千木(ちぎ)”とともにみられる建築部材のことですが、雄略天皇は自らの御所以外に屋根に堅魚木がのっている家を見つけて激怒した、というのです。実は堅魚木は家型埴輪にも多く見られるように、当時すでに地方の首長層の家の象徴として広く普及していました。それを雄略天皇は天皇の宮殿以外に使用することを禁じた、というのです。
この宮殿の堅魚木は、天皇が宗教司祭者的性格を持っていて、それを自らの建物の象徴として残そうとしたことを暗示している、と建築史家の伊藤ていじ*01さんはいいます。その宗教的性格は飛鳥時代以降さらに強められて、堅魚木と千木の使用は神社建築に限られるようになっていったというのです。
千木はもともと木材を棟の上で交差させて結び、屋根を固定させる働きを持つ部材として登場しました。堅魚木ももとは、その交差させた千木の交点に丸太を水平に結びつけたもので、重しとして屋根を安定させる働きを持っていました。それが次第に装飾化され、現在みるようなかたちになっていったのです。
「原初の小屋」の屋根を固定する交差する木材から千木はスタートします。
出雲大社本殿の千木とセットになった堅魚木。堅魚木の役割がわかりやすく残っています。
伊勢神宮本殿の装飾化された千木と堅魚木。千木は両端に独立し、堅魚木も数多く整然と並んでいます。
*01:日本の工匠/伊藤ていじ/鹿島研究所出版会 SD選書13/1967.03.05
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