My life

私の生活の一端を綴って見たいと思います。

昭和記念公園

2010-11-29 23:21:53 | 

2010,11,23(Tuesday)

今日は孫を連れて、昭和記念公園に行った。

10時半頃家を出た時には小雨が降っていたが、昭和記念公園に着いた時は雨も上がり良い天気になった。

11時半頃着いたがあの広い駐車場が満杯状態で、辛くもセーフでした。

レンタル自転車を借りて園内を廻りながら遊んで来ました。

                     

 


男の料理

2010-11-25 17:27:22 | 男の料理

2010,11,17(Wednesday)

ちくわとインゲンとキノコの卵とじ

《材料》二人分

インゲン・・・・・・・・・・100g

マッシュルーム・・・・・1個

エノキ・・・・・・・・・・・・½袋

ヒラタケ・・・・・・・・・・・20g

昆布1×10㎝・・・・・・1枚

竹輪・・・・・・・・・・・・・小5本

かつを節・・・・・・・・・・1袋(5g)

卵・・・・・・・・・・・・・・・2個

A(しょうゆ・みりん各大1)

塩少々

 

【作り方】

① 竹輪は小口切りにする。

② インゲン、マッシュルーム、エノキ、ヒラタケは適当な大きさに切る。

③ フライパンに、水2カップ、キッチンばさみで細かく切った昆布、②を入れ、弱火で煮る。

④ インゲン、キノコ類が軟らかくなったら、竹輪を入れてさらに煮る。

⑤ ④にAを入れ、塩少々を入れて味を調えたらカツオ節を加えてさっと混ぜる。卵を溶いて、全体に回し入れたら出来上がり。

今回はたまごフワフワチャーハンも作って二品で食べる。

 


マッターホルンNo.2

2010-11-22 01:47:47 | 山歩き

8月4日:シュトックホルン(3,533m)に妻と二人で登った。他のメンバーは疲れたから、シュトックホルン駅で待っているから行って来てくれと言うので二人で行く事にした。

尖がった山がシュトックホルン 

シュトックホルン山頂に登頂 

  

その帰りはゴルナグラートからリュフェルベルグまで下りながらのハイキングを楽しんだ。アルプスの花々を愛で、景色を堪能してとても良いハイキングでした。

       

これがかの有名な、本場ヨーロッパアルプスの『エーデルワイス』です。なかなか見つけるのが難しい花ですが、M君が良く見つけました。

 リュフェルベルグにて、左M君の甥、右私

8月5日:クラインマッターホルン~フーリー~ここからツムット村を通りツェルマットのホテルまでハイキング。

クラインマッターホルンはその名の通り小さなマッターホルンで、遠くから見ると山頂が尖っていてマッターホルンに似ています。しかしロープウェイとエレベーターで頂上直下まで行き、鉄の階段を上って誰でも行けるところです。

 頂上の展望台にキリストの像が有りました。

 

 

ツムット村

          

 

8月6日:ツェルマット~スネガ~ウンターロート散策

8月7日:ツェルマットのメインストリートで買い物、食事や山岳博物館等観光

 

マッターホルンの遭難者の墓地、年間20人から30人位遭難すると聞きました

今日でツェルマット最後の夜なので、ホテルでディナーの予約をして、チーズフォンデュ、ラクレット(これが最高に美味しかった)等をバンドの音楽を聴きながら味わった。デザートが大きな部屋一杯に並んでいてその数の多さに驚かされた。

8月8日:ツェルマットから氷河特急でブリークまで行き、列車を乗り換えてコンパートメントでミラノまで行った。ミラノ駅には改札口は有るが駅員が誰も居ないので、切符を渡さず出てきたが、入る時も切符無しで入れるのでしょうか?HOTEL GALLESに落ち着いてから、ミラノ市内を歩いて観光、喫茶店で本場カプチーノ等を飲みました。

8月9日:アリタリア航空機北回り便で一路成田へ帰国の途に就く。

8月10:朝9時成田空港到着

以上、私がマッターホルンに登頂した証拠写真を見てもらいました。有難うございました。


マッターホルンNo1

2010-11-21 16:14:02 | 山歩き

2010,11,14(Sunday)

今日は中学校の同窓会が有りました。 総会が終わり懇親会の時、私が山に行っていたのを知っている人が、最近山に行っていますかの質問に、そばに居た人が、山登りするんですかと言って来ましたので、最近はあまり行っていませんが、マッターホルンに登ったことも有るんですよと言ったら、本気にされませんでした。

18年前になりますが、私がマッターホルンに登った証拠写真をここに載せて、彼の疑いを晴らしたいと思います。

1992年7月30日~12日間スイスのツェルマットに行きました。メンバーは私の妻と山仲間のM君とその妻、その甥と、JRC山岳部で一緒だったT君の6人です。

7月30日 : 成田~給油の為モスクワ空港で2時間空港内に居て~ローマ~イタリア国内便にて~ミラノ(ミラノに着くのに成田から18時間位掛かったと思います)ミラノ泊

31日 : ミラノからバスでスイス国境を越えて、ブリークに行き列車でツェルマットへ。

ツェルマットはガソリン車の使用禁止の為、馬車か電気自動車が走っています。

我々が泊まったホテルブリストル 

ホテルの窓からマッターホルンを望む

ホテルの傍の橋の上にて

 

8月1日:ロッククライミングの実力をガイドが見定めるため、リュッフェルホルンに登る

   

フランス人ガイドフレッドと私

  

  

今日はスイスの建国記念日 夜は山間に花火が上がった

8月2日:シュバルツゼー経由でロープウエイと徒歩でマッターホルンの真下の、ベルベデールヒュッテに向かう。

      ベルベデールヒュッテから見たマッターホルンが黒い岩山として立ちはだかる ベルベデールヒュッテで今日は一泊する。

8月3日:朝3時起きで、朝食(あまり美味しくなかった)を搔き込み、4時5分に出発する。ガイドはフランス人ガイド二人で、フレッドと私とM君、ミッシェルとM君の甥とT君の二パーティーに分れて登る。私の妻とM君の妻はベルベデールヒュテで待機である。

  先頭が私です

 

マッターホルンの中間にあたる、避難小屋ソルベイヒュッテ

頂上直下の雪の急斜面、外人のパーティーが登って来る

  

マッターホルンの頂きに立つ、8時15分

これがマッターホルンの頂上です。白いヘルメットが私です。

   M君と固い握手山頂は下から見たのと同じで鋭く尖がっていた

        

今回のメンバー、左からT君、私、M君、M君の甥

ガイドのミッシェル

これがマッターホルン北壁の一部です

下りは登りと同じ位の時間が掛かった。

 

ベルベデールヒュッテに13時20分に到着した。

   

今回のフランスのガイドは良くなかった。こちらのペースなど全然考えないで、hurry upの連続でガンガン登らされてガンガン下らされたと言う感じでゆっくりとクライミングを楽しませてくれなかった。他のパーティーが詰っているとその脇を強引に登って行きマナーの無い事あきれるほどです。そして我々とのコミニュケーションはとらないし、全然フレンドリーでは無くてがっかりでした。後で聞いた話ではフランス人ガイドはそういうのが多いそうです。日本人に対してだけなのかは解りませんが、皆さんもしマッターホルンに登るときは、地元のスイス人ガイドを雇うと良いですよ。我々が登って居る時にスイス人ガイドが居ましたが、連れている人に合わせて登っている様で見ていても和やかな感じに見えました。ベルベデールヒュッテに到着した時には汗びっしょりで脱水症状ぎみで、喉カラカラでした。ビールがさぞ美味しかろうと思ってヒュッテの生ビールを飲んだのですが、美味しくなくて水を飲んだら水が凄く美味しく感じられました。汗が出切るとビールは美味しくない事が解りました。 今日はこれからツェルマットのホテルへ帰りゆっくり休みます。

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 


イルミネーション

2010-11-11 05:42:20 | 買い物

2010,11,8(Monday)

光陰矢のごとしと申しまして、月日のたつのは早いものです。

吉祥寺に買い物行ったら、北口駅前に恒例の年末イルミネーションが飾られていました。

今年も後一月と少しです、昔の暮と正月の情緒が薄くなりましたが、押っ取りとしていた教師も走り出す師走は直ぐです。

そんな中で中々暮らしが楽にならないので、アメリカではオバマ大統領の中間選挙では大敗を喫しています、日本でも菅政権の自民党返りに国民はがっかりしています。

次の選挙ではアメリカの中間選挙と同じ結果が出るのではと、民主党の大敗が目に見えるようです。

政治献金は駄目だと野党時代から行っていて、今になって一億円以内の政治献金は貰いますと言い出した、全くぶれるのも良い加減しなさい。

鳩山氏は議員を辞めると云ったのに、やっぱり辞めるのヤ~メタ、小沢氏は何の疑いも無ければ国会で証人喚問を受けて潔白を証明すればよい、司法は司法で調査しても一国会議員として国民の前で堂々と説明責任を果たすべきである。

菅総理の外交姿勢は何等世界各国に訴えるものが無い、中国にはやらせたい放題、ロシアにはその弱腰を見透かされて、我が国土で有る北方四島に足を踏み入らせ、アメリカには思いやり予算を増やせと言われている。

たまにはこちらから中国の国家主席とは会えないと言ってやったらどうですか。

今回の尖閣諸島の映像流出の件でも、私は最初の頃にビデオを全面公開すべきだと最初から思っていた、政府は国民の為によかれと動くのが当たり前で有り(国民の税金、赤字国債でも国民の金が主です)金の使い道は透明性が求められるはずです。

極秘、マル秘等は発表すれば国民の不利益になるのが解るから隠すのであり、アメリカが沖縄返還の時も農民から強制収容した土地を原状復帰して返すのが当然でしたが、アメリカは金が無いと言って日本政府から金を引き出しました。

その金はあたかもアメリカが出したように見せかけるために、日本国民には極秘事項として一切知らされませんでした。

一新聞記者の努力で国会に発表され、大問題に成り政府、官僚、検察の陰湿な追及が始まるのです、この話は山崎豊子氏の『運命の人』を是非お読みください。

今回の尖閣諸島のビデオの件も、どの様な意図で流したのかは解りませんが、政府が国民に公開しなかったのは国民の知る権利を無視したものだと思います。

海上保安官が発表した事には色々意見が有ると思いますが、私は彼の行動を勇気ある行動として認めます。

何はともあれ、刻々と時は刻まれ、「正月は冥土の旅の一里塚めでたくも有りめでたくも無し」(一休禅師)がやって来ます。

皆さまご自愛下され。