舞い上がる。

日々を笑い、日々を愛す。
ちひろBLUESこと熊谷千尋のブログです。

僕も君もイケ・メン太郎!

2024-05-09 23:48:15 | Weblog


時々会って、観た映画の話などをしている友人の渡部さん。
最近は渡部さんが演劇の稽古に参加していてなかなか会う時間がないのですが、連絡すると5/9(木)の夕方なら時間があるということに。

そこで、久し振りにじゅんさい池公園に行って話してきました。
写真は、自然を感じる渡部さんの図。



さて、僕が渡部さんと話したかったのは、ちょっと聞いてほしい話があったのです。
それは僕がここ最近ずっと考えていることで、例えば最近やっている新潟劇王や、テレビで毎年やっているM-1グランプリなど、演劇やお笑いの大会や賞レースが、僕はどうしても好きになれない、それは何故か、ということ。

単純に面白い演劇やお笑いが見られるなら普通に楽しめるのですが、そこに点数で競わせるというゲーム性が加わると、僕は一気に興ざめする。
しかし、これだけスポーツが人気の世の中を見ると(なんならギャンブルとかもそうかもしれない)、ゲーム性があった方が面白いと感じる人の方が多いだろうし、それが自分の感覚とまったく違うのです。

いや、切磋琢磨することで表現や芸を磨き合う、という意図は分かるんですよ。
でも、そもそも本来あらゆる表現や表現者はそれぞれ個別に価値のあるもので簡単に優劣を決められるものではない、という考えが僕にはあるので、それを単純に誰かの点数で競わせるのはちょっと乱暴だなとずっと思っています。

あと、これは自分が表現者として思うことなのですが、何かを表現する人は、見た人を楽しませたいとか、世の中に何かを訴えたいとか、そういう想いでやってほしいのです。
でもこういう大会だと、それより「高得点がほしい」「審査員に評価されたい」の方が前に出ている感じがして、それが嫌なのかな、などと思っていました。

少し前に違う演劇関係者の人に相談した時は、「ちひろさんは人より優位に立ちたいとかなさそうだもんね」「相対的な優劣とか順位にとらわれず、シンプルにそのものの良さを判断する力があるから」と言われました。
確かに、僕はプロ、アマを問わず、どんな作品を見てもその作品の本質的な良さみたいなものを考えるのが好きなので、単純に「どっちが面白いか」みたいなことで競わせるのには興味がないな…などということを思いました。



そして話は戻って、5/9(木)のじゅんさい池公園で、渡部さんに同じ話をしてみたわけです。
すると、渡部さんは「ジョン・ロールズというアメリカの哲学者が提唱した『正義論』という考えがあるんですが…」と予想外の話を始めたではないか!

渡部さん曰く、正義論とは平たく言うと、高い能力を持った人間は、その能力を社会に貢献するために活かす必要がある、それが正義だ、という考え。
アメリカでは当たり前に人々に浸透している考えで、例えばアメリカンコミックのヒーローも、高い能力を持った人間がヒーローとなって社会のために頑張る、大して敵キャラはその能力を自分の欲望のために使う、表裏一体の存在である、という構造が物語にあるそうです。

そして渡部さん曰く「この考えでいうと、面白い演劇を作る能力のある人間は、世の中の人達を楽しませたり社会を良くするために頑張るべきだと思うのですが、そうではなくて、自分が評価されたいがために演劇をしている人が、ちひろさんは許せないんじゃないですか?」とのこと。
いやー、これは妙に納得する意見でしたね…そうか、僕は正義が強かったんだな…(強そうだな…)



それにしても渡部さん、演劇の稽古が忙しいのにこうして僕の相談にも乗ってくれていい人だな…
感謝の気持ちを込めて、渡部さんに笑ってもらおう…



ちひろ「渡部さん…どうも!イケ・メン太郎です!」

渡部さん「ハハハハハハ!イケ・メン太郎!いいですねー!」

ちひろ「いや、僕もこういう能力があるので、渡部さんを笑わせて社会に貢献しようかなと」

渡部さん「素晴らしい!それが正義論ですよ!イケ・メン太郎!」



というわけで、自分の中でずっと引っかかっていたことが、渡部さんのお陰で整理できました。
渡部さん…キミこそイケ・メン太郎!
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