伝教大師や弘法大師が創建したといわれる古刹が、
この亀岡市にあることは余り知られていない。
今回の亀岡市の寺社巡りのメインの一つである千手寺。
こちらは弘法大師が創建したと伝わる古刹です。
ナビはこんな道を進めと指示をする。
お寺は低い山の上にあるのは分かっていたので、
細い道は想定していたが、さすがにこの道は不安にある。
一台がやっと通れる道なので、一旦降りて、
先に進めるか徒歩で確認するほど。
何とか細い道を進むと行き止まり。
マジか~?(泣)
ナビさんよ~、一体どうなってんのよ~?
これ以上進まれへんがな。(泣)
仕方ないので車を停めて右側の道を進む。
どう見ても誰も歩いていない道。
予想通り、突き当りで水が溢れてこれ以上進めなかった。
うわぁ~、もうお寺に行けないじゃん。
というか、通行止めになっているということは、
千手寺が廃寺になったのかと思った。
参拝は諦めて次のところに行こうと引き返すが、
あの細い道は通りたくない。
通行止めの場所に別の道があって進むと、
千手寺の別ルートがある事が分かった。
【寺号標】
あの通行止めの所から僅か1分で到着。
何だよ、別ルートは道も広くて余裕で通れるやん。
ナビの野郎、あんな糞ルートを紹介しやがって。
通行止めの道を見た時は軽く泣いたぞ。(^^;
ナビは最短ルートが良いんじゃないんだよ。
走り易い王道ルートを紹介するのが偉いんだよ、まったく。(苦笑)
最短ルートだけど道が細いですとか、
アナウンスする機能がナビには無いのかな。
あったら買うわ。(笑)
所在地:京都府亀岡市ひえ田野町鹿谷大タワ7
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:十一面千手観音菩薩
創建:大同2年(807)
開山:弘法大師
【縁起】
寺伝によると大同2年(807)弘法大師の開創といわれ、
遣唐使として唐に渡り、密教の奥義を伝授された大師が帰国に際し、
本国に向かって独鈷を天に投げたところ白雲を引いて飛び去ったといいます。
帰国後その行方を奈良の春日神社に伺い「丹波国佐伯の庄山内村の北峰、
娑婆山の松の枝にかかっている」との神託により、
白鹿に導かれてこの地に来られたということです。
以来この地を鹿谷、山号を獨鈷抛山、十一面千手観音を安置するので、
千手寺と言うようになりました。
その後、戦火により廃寺となりましたが、
応永10年(1403)鎌倉建長寺の蘭渓道隆の法孫、
止菴和尚が来住して臨済宗寺院として中興されました。
その後、天正5年(1577)にも兵火にかかり、
妙心寺の禅岩和尚が再興して妙心寺派に属するようになりました。
古来より眼病に霊験あらたかな寺として親しまれています。
【参道】
細い道や通行止めを見てきたトラウマがあって、
かなりナーバスになっていたので、徒歩でお寺まで行くことにした。
寺号標からお寺までナビだと数百メートル。
こんな細い道を歩いて行く。
車だと対向車よ来ないでくれ、と願う道だけど、
経験上、こんな参道は滅多に対向車には出合わない。
結果的に車に乗っていれば余裕だったと思う。
【朝霧藤左衛門塔】
朝霧藤左衛門は誰か調べてもよく分からん。
円山応挙の父親で丸山藤左衛門という名前はヒットするんだが。
【金毘羅社】
あそこまで行く元気ないわ。(^^;
【参道】
しかし、こんな暑い時に徒歩は予想以上に疲れる。
車に乗らなかったことを後悔した。(泣)
白山登山が控えているので体力アップも兼ねて歩いたけど、
この暑さは結構堪えた。
それに小虫が耳の周りにいて鬱陶しい。
【無料駐車場】
参道から約15分で到着。
汗だくです。(^^;
車は駐車場というか、ちょっとした広場に停めれますね。
【手水舎】
余りに暑いから顏を洗ったら最高でした。(^^
【石段】
疲れた身体にこの石段はアカーン。
ハァハァしながら登る。
【山門】
実に渋い山門です。
とても禅寺の山門には見えない。
【仁王像】
【風景】
【鐘楼】
この山門は鐘楼門だったようです。
【境内】
右手が庫裏となります。
【虚空蔵堂】
お堂の下にハチの巣が出来ていて近寄れませんでした。(泣)
【石仏】
【薬師堂】
【観音堂】
参拝した時は当然のように本堂と思っていたが、
オフィシャルHPを見ると本堂は別にありました。(^^;
【開基堂】
普通は開山堂ですが、
開基堂という名前は初めて見ました。
【本堂】
こちらが本堂のようです。
書院のようでどう見ても本堂には見えませんが、
本堂だけ禅宗の雰囲気がありますね。
【百日紅】
御朱印は御不在ということでいただけませんでした。
書置きも無いとのこと。
現在は臨済宗妙心寺派に属していますが、
お寺の雰囲気は臨済宗の雰囲気は本堂以外は感じられない。
お寺全体から感じるのは真言宗のそれ。
未だに弘法大師のDNAが脈々と引き継がれていますね。(^^
この亀岡市にあることは余り知られていない。
今回の亀岡市の寺社巡りのメインの一つである千手寺。
こちらは弘法大師が創建したと伝わる古刹です。
ナビはこんな道を進めと指示をする。
お寺は低い山の上にあるのは分かっていたので、
細い道は想定していたが、さすがにこの道は不安にある。
一台がやっと通れる道なので、一旦降りて、
先に進めるか徒歩で確認するほど。
何とか細い道を進むと行き止まり。
マジか~?(泣)
ナビさんよ~、一体どうなってんのよ~?
これ以上進まれへんがな。(泣)
仕方ないので車を停めて右側の道を進む。
どう見ても誰も歩いていない道。
予想通り、突き当りで水が溢れてこれ以上進めなかった。
うわぁ~、もうお寺に行けないじゃん。
というか、通行止めになっているということは、
千手寺が廃寺になったのかと思った。
参拝は諦めて次のところに行こうと引き返すが、
あの細い道は通りたくない。
通行止めの場所に別の道があって進むと、
千手寺の別ルートがある事が分かった。
【寺号標】
あの通行止めの所から僅か1分で到着。
何だよ、別ルートは道も広くて余裕で通れるやん。
ナビの野郎、あんな糞ルートを紹介しやがって。
通行止めの道を見た時は軽く泣いたぞ。(^^;
ナビは最短ルートが良いんじゃないんだよ。
走り易い王道ルートを紹介するのが偉いんだよ、まったく。(苦笑)
最短ルートだけど道が細いですとか、
アナウンスする機能がナビには無いのかな。
あったら買うわ。(笑)
所在地:京都府亀岡市ひえ田野町鹿谷大タワ7
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:十一面千手観音菩薩
創建:大同2年(807)
開山:弘法大師
【縁起】
寺伝によると大同2年(807)弘法大師の開創といわれ、
遣唐使として唐に渡り、密教の奥義を伝授された大師が帰国に際し、
本国に向かって独鈷を天に投げたところ白雲を引いて飛び去ったといいます。
帰国後その行方を奈良の春日神社に伺い「丹波国佐伯の庄山内村の北峰、
娑婆山の松の枝にかかっている」との神託により、
白鹿に導かれてこの地に来られたということです。
以来この地を鹿谷、山号を獨鈷抛山、十一面千手観音を安置するので、
千手寺と言うようになりました。
その後、戦火により廃寺となりましたが、
応永10年(1403)鎌倉建長寺の蘭渓道隆の法孫、
止菴和尚が来住して臨済宗寺院として中興されました。
その後、天正5年(1577)にも兵火にかかり、
妙心寺の禅岩和尚が再興して妙心寺派に属するようになりました。
古来より眼病に霊験あらたかな寺として親しまれています。
【参道】
細い道や通行止めを見てきたトラウマがあって、
かなりナーバスになっていたので、徒歩でお寺まで行くことにした。
寺号標からお寺までナビだと数百メートル。
こんな細い道を歩いて行く。
車だと対向車よ来ないでくれ、と願う道だけど、
経験上、こんな参道は滅多に対向車には出合わない。
結果的に車に乗っていれば余裕だったと思う。
【朝霧藤左衛門塔】
朝霧藤左衛門は誰か調べてもよく分からん。
円山応挙の父親で丸山藤左衛門という名前はヒットするんだが。
【金毘羅社】
あそこまで行く元気ないわ。(^^;
【参道】
しかし、こんな暑い時に徒歩は予想以上に疲れる。
車に乗らなかったことを後悔した。(泣)
白山登山が控えているので体力アップも兼ねて歩いたけど、
この暑さは結構堪えた。
それに小虫が耳の周りにいて鬱陶しい。
【無料駐車場】
参道から約15分で到着。
汗だくです。(^^;
車は駐車場というか、ちょっとした広場に停めれますね。
【手水舎】
余りに暑いから顏を洗ったら最高でした。(^^
【石段】
疲れた身体にこの石段はアカーン。
ハァハァしながら登る。
【山門】
実に渋い山門です。
とても禅寺の山門には見えない。
【仁王像】
【風景】
【鐘楼】
この山門は鐘楼門だったようです。
【境内】
右手が庫裏となります。
【虚空蔵堂】
お堂の下にハチの巣が出来ていて近寄れませんでした。(泣)
【石仏】
【薬師堂】
【観音堂】
参拝した時は当然のように本堂と思っていたが、
オフィシャルHPを見ると本堂は別にありました。(^^;
【開基堂】
普通は開山堂ですが、
開基堂という名前は初めて見ました。
【本堂】
こちらが本堂のようです。
書院のようでどう見ても本堂には見えませんが、
本堂だけ禅宗の雰囲気がありますね。
【百日紅】
御朱印は御不在ということでいただけませんでした。
書置きも無いとのこと。
現在は臨済宗妙心寺派に属していますが、
お寺の雰囲気は臨済宗の雰囲気は本堂以外は感じられない。
お寺全体から感じるのは真言宗のそれ。
未だに弘法大師のDNAが脈々と引き継がれていますね。(^^